編集方針とファクトチェックの手順

当サイトは、歴史上の偉人になりきったAIとの対話という形式をとっています。だからこそ、どこまでが創作で、どこからが資料にあたって書いた部分なのかを、はっきりさせておく必要があると考えています。

このページでは、記事の作り方、出典の扱い方、公開前に通しているチェック、誤りが見つかったときの対応をまとめました。数字はいずれも2026年8月14日時点の実測値です。

記事のどこがAIで、どこが調査か

各記事は、大きく2つの部分からできています。

部分内容割合
偉人AIとの対話(吹き出し)史料をもとに人物像を再現した創作です。実際の発言をそのまま載せたものではありません約20%(うち偉人AIの発言は約16%)
解説の地の文生涯・功績・年表・死因など、資料にあたって書いた部分です約80%

2026年8月15日の時点で、公開記事は34本、本文の合計は414,001字です。このうち吹き出しの対話は83,850字で全体の約20%、そのうち偉人AIが話している部分は67,279字(約16%)、残りは聞き手である筆者の質問です。残るおよそ8割は、出典を確認しながら書いた解説です。

対話が創作であることは、各記事のリード文の直後に必ず明記しています。

出典の扱い方

全34本すべての記事末尾に、参考にした資料の一覧を置いています。現在の総数は420本、147のドメインにわたります。内訳は次のとおりです。

引用元本数
事典(コトバンク・ジャパンナレッジ等)84
自治体・公立博物館・観光公式サイト57
国立国会図書館(デジタルコレクション・レファレンス協同データベース等)52
国の機関(国立公文書館・アジア歴史資料センター・文化庁・宮内庁・日本銀行・内閣府・首相官邸等)40
公式サイト・記念財団36
大学・研究機関20
原典テキスト(青空文庫・Wikisource・中國哲學書電子化計劃)18
Wikipedia14
その他(出版社・報道・専門サイト、書誌情報のみの書籍など)99

Wikipediaを唯一の根拠にしません。 上の表のとおり、Wikipediaへのリンクは420本中14本、全体の約3%です。人物や出来事の全体像をつかむ入口としては使いますが、記事の記述の根拠としては、事典、国立国会図書館、国立公文書館、文化庁、自治体、大学・研究機関、公式サイトなどに当たり直しています。

参考資料には、その資料がどの記述の根拠なのかを1件ずつ括弧書きで添えています。読者が根拠をたどれるようにするためです。

この書き方を決めたのは2026年8月3日です。それより前に公開した記事には注記のないものが残っていましたが、2026年8月14日にさかのぼって追記し、現在は全420件すべてに注記が付いています。この作業では、あわせて出典そのものの見直しも行いました。参考資料が3〜6本しかなかった記事(伊藤博文・豊臣秀長・豊臣秀吉・西郷隆盛・坂本龍馬・卑弥呼・野口英世・福沢諭吉)については、事典・国立国会図書館・国の機関・自治体の資料に当たり直して増補し、その過程で見つかった本文の誤りも直しています。

出典が誤っていた記事は、記事のなかでそのことを書いて直しています。たとえば「坂本龍馬の名言・伝承35選」では、ある言葉の出典として挙げていた『坂本竜馬言行録』(1913年)を国立国会図書館デジタルコレクションで全文検索したところ、該当語句が見あたりませんでした。実際の出典は千頭清臣『坂本竜馬』(1914年)でした。こうした場合は、こっそり差し替えるのではなく、何をどう間違えていたのかを記事に書き残すようにしています。

外部リンクは定期的に確認しています。直近の確認は2026年8月15日で、420本すべてが有効でした。リンク先のサービス終了やURLの移転を見つけた場合は、差し替えるか、同じ根拠を示せる資料に置き換えています。

書くときに守っているルール

記事の誤りを見つけるたびに、同じ間違いを繰り返さないためのルールを積み上げてきました。主なものを挙げます。

年月日と年齢

  • 年齢は満年齢で統一し、数え年は括弧で補足します
  • 和暦の年末は、西暦にすると翌年になります(明治4年12月=1872年1月)。資料の年が1年ずれて見える主な原因です
  • 年表で年齢を機械的に引き算しません。旧暦生まれの人物は、西暦の満年齢と旧暦の生年がずれるためです
  • 推定値には「いつの時点の推定か」を書きます(江戸の人口約100万人は、1721年の町方50万人に武家の推計を足した18世紀初頭の数字です)

諸説あるとき

  • 有力説を1つ選んで断定せず、諸説を並べて根拠の強弱を示します。死因を扱う記事では、これがいちばん大切だと考えています
  • 公式資料の間で記述が割れる場合は、どちらにも寄らない中立の表現を選びます
  • 「〜を示す史料は確認されていません」とは書きません。すべての史料を調べたように読めるためです。「断定できる史料は乏しく」とします
  • 「全〜」「すべての〜」と書く前に、引用元の同じ項目に例外規定がないか読み直します

史料の格を書き分ける

  • 軍記物と同時代の一次史料を区別します(『甲陽軍鑑』は「〜と記されています」、同時代の書状は「〜が残っています」)
  • 「自筆原本が現存する」「写しが伝わる」「刊本で文面をたどれる」「二次資料が紹介している」の4つを混ぜません
  • 銘文・碑文を引くときは、原物が現存するかどうかまで書きます
  • 現代の病名を過去の症状に当てはめることの限界にも触れます

名言と逸話

  • 出典を確認できない名言は載せません。「〜と言われています」とぼかしても、読者には本人の発言として伝わるためです
  • 漢文調の一節は、原典が中国の古典である可能性を必ず疑います(「風林火山」は『孫子』軍争篇、「四民用足ればすなわち国の安楽」は『三略』下略です)
  • 「調べても出典を特定できなかった」と「該当箇所を確認していない」を混ぜません。未調査なら、そう書きます
  • その史料に載っていることと、本人がそう言ったことは別に扱います

功績の帰属

  • 著作は脱稿と刊行を分けて書きます(『福翁自伝』は1898年5月に脱稿、1899年に刊行です)
  • 共著を単独の著作として書きません(『学問のすゝめ』初編は小幡篤次郎との共著です)
  • 個人・組織・後継者の功績を混ぜません。組織の話は主語を組織にします
  • 設立年・改称年・本人が経営を引き受けた年を分けます。入城・叙任・改名・任官も、それぞれ別の年として書きます
  • 後世に形づくられた人物像を、史実として断定しません。「温厚だった」「私心がなかった」といった内心や性格は、史料から断定できないことがほとんどです

偉人AIの発言

  • 史料にない記憶・体験・面識・読書歴を語らせません。「会った」だけでなく「会っていない」も断定にあたります
  • 本文で慎重に書いた箇所を、AIの台詞で断定に戻しません。地の文が「〜とされます」なのに台詞が「わしはそう申した」では、記事全体としては断定したことになります
  • 死因を扱う記事でも、本人に診断名を断定させません。語ってよいのは、史料が伝える範囲の症状と経緯だけです
  • 没後の出来事は、本人の知識の範囲外として扱います

公開前に通している2つのチェック

1. 機械チェック

自作のチェックツールで、段落の長さ、使わないと決めた表現、書きかけの仮置き、参考資料の書式、Wikipediaへの依存度、英雄化・扇情的な言い回しなどを自動で検出します。エラーが0件になるまで公開しません。

記事に出てくる書名は、このツールが一覧で書き出します。書き出された書名は1つずつ出典に当たり直します。似た書名を取り違えると、記事の信頼性が根本から崩れるためです。

2. 反証レビュー

書いた本人は自分の文脈を持っているため、思い込みに気づけません。そこで書き手とは別のAIに、記事全文とチェック項目だけを渡し、「違反を探す」という指示で読ませています。「問題なし」で終わらせず、必ず指摘候補を挙げさせる形です。

返ってきた指摘は、1件ずつ妥当性を判断してから反映します。レビュー側が誤っていることもあるためです。採用しなかった指摘は、理由とともに記録に残しています。

AIの利用について

記事の執筆にAIを使っていることは隠しません。そのうえで、次の2点を守っています。

  • 偉人AIの発言は創作です。各記事のリード文の直後に、その旨を明記しています
  • 史実に関する記述は、公開されている資料に当たって確認しています。出典は記事末尾に一覧で示し、確認できなかったことは「確認できませんでした」と書きます

調査の範囲を正確に書くほうが、記事の主張は長持ちすると考えています。あとから原典が見つかっても、記事が覆らないためです。

やらないと決めていること

  • 出典を確認できない名言・逸話を、事実のように載せること
  • 数を増やすために、出所のあやしい言葉を足すこと
  • 死を美化・英雄化する表現を使うこと(「命を懸けた」「壮絶な最期」など)
  • 参考資料で確認できない希少性や優劣の評価を書くこと(「きわめて珍しい」「例がない」など)
  • 特定の宗教・政治への一方的な肯定・否定
  • 偉人を過度に貶めたり、揶揄したりすること
  • 記事内に書きかけの仮置きを残すこと

誤りにお気づきの際は

それでも誤りは残ります。これまでに見つかって直したものには、次のような例があります。

  • 『北越軍記』と『北越軍談』という似た書名を取り違えていた
  • 『福翁自伝』の脱稿と刊行を混同し、執筆のきっかけを誤って書いていた
  • 参勤交代が「1642年に全大名へ広がった」と書いたが、引用元自身が例外を記していた(対馬の宗氏は三年一勤、水戸藩や役付の大名は江戸定府)
  • 豊臣秀吉の遺言状を「自筆文書が現存するもの」に分類したが、たどれるのは写しだった

記述の誤りにお気づきの際は、お問い合わせページよりご指摘ください。根拠となる資料をお示しいただけると助かります。確認のうえ、速やかに修正します。

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最終更新:2026年8月14日

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