NHKが、公式の「人物相関図 ver.0」を2026年10月30日に公開しました。出演者つきの35役と、配役がまだ出ていない7人の名前が、1枚の画像に載っています。
参考:2027年 大河ドラマ「逆賊の幕臣」 人物相関図 ver.0 を公開!|NHK
その7人のうち6人の配役が、2026年11月6日の第9次発表で出ました。大久保忠寛は渡辺いっけいさん、福沢諭吉は山時聡真さん、中浜万次郎は武井壮さんです。これで41役になりました。
この記事では、公式の図に載る顔ぶれを文字で読めるようにしたうえで、その関係が史料でどこまで確かめられるのかを調べました。調べてみると、思っていたより線が引けませんでした。
この記事の結論
ドラマが描く人間関係には、幕末の記録でたどれるもの、明治以降の記録が伝えるもの、番組が示す役どころの3つが混ざっています。 この3つを分けないまま「相関図」にすると、どこまでが記録に残っているのか分からなくなります。
たとえば三野村利左衛門は、士分の家臣ではありません。事典が使う語は「雇仲間」で、武家に雇われた奉公人を指します。井伊直弼にいたっては、事典の項目に小栗忠順の名前が出てきません。
- 41役
第9次発表までに出演者が出た役 - 0件
コトバンク収録の井伊直弼の事典項目で、小栗忠順に触れているもの - 原作なし
本作は安達奈緒子さんによるオリジナル脚本

印刷して手元に置きたい方のために、同じ図をA4横1枚のPDFにしました。印刷用PDFを開く(A4・1枚)
図の色は、関係の根拠の違いを表します。読み方は最初の章で説明します。
小栗自身を含む41役の一覧のあと、関係がとくに語られる人物について、どこまで言えるのかを確かめます。
そして今回は、忠順AI(小栗忠順をモデルにしたAI)にも登場してもらいます。ドラマそのものは小栗の没後に作られたものですから、本人が中身を知っているという設定にはしていません。
史料で確かめられないことは言い切らない対話としてお読みください。
※以下のインタビュー部分は、公開されている史料をもとに小栗忠順の人物像を再現した創作です。実際の発言をそのまま掲載したものではありません。
また、小栗の没後に作られた作品や、没後に伝わった話については、後の世のこととして伝えたうえで語ってもらう形にしています。
出典の確かめ方と、公開前に行っているチェックは編集方針にまとめています。

小栗さん、本日はよろしくお願いします。
小栗さんから見れば後の世の話ですが、あなたを主人公にしたドラマが2027年1月10日から放送されます。題は『逆賊の幕臣』です。

逆賊、とな。これはまた、ずいぶんな題にて候。
主君や朝廷に背く者を申す語、私が自分で名乗る語ではございませぬ。捕らえた側がその類の語を使うたのなら、後の世がそう呼ぶのも道理かもしれませぬが、それを看板に掲げなさるとは、度胸のある方々ですな。
して貴殿、その物語には何人の顔ぶれが出てまいるのでござるか。

いまのところ、41役が発表されています。

四十一。私の四十年に、ずいぶんと大勢をお集めくだされたものにございます。
まずは、どのような面々か、そこからうかがいたく存ずる。
- 『逆賊の幕臣』の人物相関図は?配役41役を3つの層で色分け
- 登場人物は3つの層に分けて読む
- 『逆賊の幕臣』とはどんな作品か|原作のないオリジナル脚本です
- 「逆賊」とは何を指すのか|処刑の日に掲げられた札の言葉
- 小栗家の人々|父・母・妻・養子の配役が出ています
- 妻・みちは何をした人か|会津への逃避行は資料で書き方が違う
- 勝海舟|「ライバルでかつ理解者」を史料で見ると
- 井伊直弼は小栗を抜擢したのか|事典に言及がない
- 栗本鋤雲との関わりを刊本でたどる
- 三野村利左衛門|士分の家臣ではありません
- 朝廷の人々|2026年9月に発表された4人
- 薩摩・長州の4人と小栗の接点は?2026年10月9日の第8次発表
- 幕府を支える6人と小栗の接点は?2026年11月6日の第9次発表
- まだ配役が発表されていない人々
- 『逆賊の幕臣』はどこまで実話か|今回たどれた範囲でまとめる
- 物語はどう終わるのか|史実の小栗忠順の最期
- ゆかりの地|横須賀と高崎倉渕
- よくある質問(FAQ)
- インタビュー後記|線を引けなかったところが、いちばん面白い
- 参考資料
『逆賊の幕臣』の人物相関図は?配役41役を3つの層で色分け
公式の相関図は、NHKの番組サイトで見られます。公開は2026年10月30日で、11月2日に更新されています。
『逆賊の幕臣』の人物と記録を、3問で予想してみませんか
答えの根拠は、この記事の章に書いてあります。
参考:2027年 大河ドラマ「逆賊の幕臣」 人物相関図 ver.0 を公開!|NHK
冒頭の図は、出演者が発表された41役を、小栗忠順との関わり方ごとに並べたものです。画面が小さいと文字が読みにくいので、同じ内容を一覧にしました。
『逆賊の幕臣』人物相関図
出演者が発表された41役(2026年11月6日の第9次発表まで)。小栗忠順との関係が何を根拠にしているかを、色で分けました。
※配役はNHK公式の人物相関図 ver.0、ステラnet・映画ナタリー・美術展ナビほかの発表記事にもとづきます。②と③は史実でないという意味ではなく、幕末の文書までは確かめられなかった、という意味です。①も原文書そのものではなく、主に後世の編纂物に収録された文面を確認したものです。また、複数の層にまたがる人物は、本文で確認した史料側の関係を代表して表示しています。
中央が小栗忠順です。その周りに、小栗家と権田村、ライバル、仕事仲間と師、幕府、朝廷、薩摩・長州、遣米使節と咸臨丸の7つのまとまりが並びます。いちばん下は、まだ配役が出ていない人物です。
色は関係の確かさではなく、何を根拠にしているかを表します。 ①②③の意味は、図の上の凡例のとおりです。次の章でくわしく説明します。
キャストの発表は2025年3月から9回に分かれています。第8次までの32役に、公式の相関図で3役が加わって35役となり、2026年11月6日の第9次で6役が足されて41役になりました。
レオン・ロッシュ、ヴェルニー、徳川慶喜といった、小栗の生涯に欠かせない人物の配役はまだ出ていません。
公式の図でも、慶喜は「一橋慶喜」の名だけで写真がなく、ロッシュとヴェルニーは載っていません。第10次以降の発表があれば、この一覧に足していきます。
第8次で加わった島津久光は、文久2年(1862年)の生麦事件でイギリス人を殺傷した行列を率いていた人物です。
公式の相関図で初めて名前が出た10人
公式の図には、NHKの第1弾から第8弾までの発表記事の本文に名前がなかった3役と、出演者の書かれていない7人が載っています。7人のうち慶喜を除く6人は、第9次発表で配役が出ました。
| 役 | 出演者 | 公式の図の肩書き |
|---|---|---|
| 塚本真彦 | 森岡龍さん | 小栗家の家臣 |
| かよ | 原ふき子さん | 小栗家の女中頭 |
| 正助 | 足立智充さん | 小栗家の中間 |
| 一橋慶喜 | 未発表 | 一橋家。徳川斉昭と親子の線 |
| 宇津木景福 | 吹越満さん | 井伊の側近 |
| 大久保忠寛 | 渡辺いっけいさん | 幕府の目付 |
| 林復斎 | 佐野史郎さん | 幕府の大学頭 |
| 村垣範正 | 古田新太さん | 遣米使節の副使(ポーハタン号) |
| 中浜万次郎 | 武井壮さん | 通詞(咸臨丸) |
| 福沢諭吉 | 山時聡真さん | 従者(咸臨丸) |
参考:2027年 大河ドラマ「逆賊の幕臣」 人物相関図 ver.0 を公開!|NHK
小栗との関わりがこの記事の資料で分かるのは、4人です。
塚本真彦は小栗家の章で取り上げます。慶喜は、小栗の追捕令が「主人」として名を記しています。村垣範正は、小栗が目付を務めた同じ使節の副使です。大久保忠寛は、文久2年に小栗と同じ暗殺の風聞で名を挙げられています。
残る人物と小栗の関わりは、第9次発表の章で確かめます。
公式の図の肩書きを史料と比べる
公式の図は肩書きを短く示すだけで、根拠までは書いていません。この記事で調べた資料と並べると、次のようになります。
| 人物 | 公式の図 | 調べた資料との関係 |
|---|---|---|
| 利左衛門(三野村) | 小栗家の「中間」 | 事典の語「雇仲間」「仲間奉公」と重なる。仕えた相手は資料で割れる |
| 祐蔵(荒川) | 小栗家の「中間」 | 配役の発表では「従者」と紹介された |
| 栗本鋤雲 | 友人の枠の「親友」 | 造船所と軍制改革を共に企画したと刊本の序文が書く。「親友」は番組の役どころ |
| 駒井朝温 | 「幼なじみ」。忠道と親子の線 | 東善寺が実父と記す。「幼なじみ」は番組の役どころ |
| 吉田松陰・高杉晋作 | 艮斎塾の「門人」 | 松陰の従学は事典にある。高杉の入門は事典で確認できず、門人帳の紹介にとどまる |
参考:2027年 大河ドラマ「逆賊の幕臣」 人物相関図 ver.0 を公開!|NHK
三野村の「中間」は、事典の「雇仲間」「仲間奉公」と同じ語です。くわしくは、人物ごとの章で確かめます。
登場人物は3つの層に分けて読む
図の色分けについて説明します。関係の書かれ方を、次の3つに分けました。
| 層 | 何を根拠にしているか | 例 |
|---|---|---|
| ① 幕末の文書に由来する | 幕末に作られた文書(公文書、藩の家記)の文面 | 忠順と忠道が父子であること |
| ② 明治以降の記録が伝える | 明治以降に編まれた刊本や事典、寺社・自治体の解説 | 「土蔵付き売家」の逸話、井伊直弼による登用 |
| ③ 番組が示す役どころ | 番組の紹介文に書かれているもの | 「ライバルでかつ理解者」「幼なじみ」 |
大事な注意が3つあります。
①も、原本を見たわけではありません。 本記事がたどったのは、主に『復古記』『高崎市史』『碓氷郡志』など後世の編纂物に収録された文面です。
慶応4年に刊行された『太政官日誌』のような同時代の刊行物もありますが、いずれにせよ原文書そのものは確認していません。
層は人物ではなく、関係の書かれ方ごとに付きます。 同じ人が②と③を同時に持つこともあります。栗本鋤雲がその例です。
その栗本鋤雲が小栗とどこで重なり、どこから別の道を歩いたのかは、経歴をたどると見えてきます。
②が史実でないという意味ではありません。 記録が後から書かれた、というだけのことです。③についても、確かめる手立てが今回は見つからなかった、という以上のことは言えません。
今回確認した競合記事の多くは、この3つを1枚の相関図に混ぜていました。混ぜると、どこまでが記録に残っているのかが読者に伝わりません。
この3つを頭に置いて、まず作品そのものと「逆賊」という語を確かめます。人物を一人ずつ見ていくのは、そのあとです。
『逆賊の幕臣』とはどんな作品か|原作のないオリジナル脚本です
作品の基本情報です。検索でよく見かける「原作はあるのか」という問いにも、ここで答えておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品 | NHK大河ドラマ第66作『逆賊の幕臣』(ぎゃくぞくのばくしん) |
| 初回放送 | 2027年1月10日(日)放送開始・NHK総合。初回は15分拡大版 |
| 放送時刻 | 総合:日曜 夜8時00分〜8時45分/BS:日曜 午後6時00分〜6時45分 |
| 主演 | 松坂桃李さん(小栗忠順 役) |
| 脚本 | 安達奈緒子さん(大河ドラマは初執筆) |
| 原作 | なし。オリジナル脚本です |
| 制作統括 | 勝田夏子さん・深川貴志さん |
| 時代考証 | 岩下哲典さん・門松秀樹さん |
| 音楽 | 大間々昂さん(テーマ曲の演奏はNHK交響楽団) |
| 企画の背景 | 2027年が小栗忠順の生誕200年にあたります |
原作はありません。 制作発表を報じた各社の記事にも原作の記載はなく、安達奈緒子さんによるオリジナル脚本として紹介されています。
「原作」という語で検索する人が増えたのは、配役の発表で作品を知った人が、原作の有無を確かめたためと考えられます。ただしこれは検索の動きからの推測で、ほかに裏づけがあるわけではありません。

原作の小説はありませんが、小栗が主人公の漫画ならあります。木村直巳さんの『天涯の武士』で、全4巻で完結しています。
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この作品のポイント
- 開国直後の幕末を舞台に、小栗上野介忠順を主人公として描く漫画です(創作を含みます)
- 造船所の建設(2巻)、英・米・仏・蘭との協議(3巻)、薩摩藩邸への攻撃(4巻)と話が進み、4巻で完結します
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配役は2025年3月の主演発表から、2026年11月6日の第9次発表まで、9回に分けて出されました。公式の相関図で加わった3役を含め、合計41役が発表ずみです。

勘定奉行として帳面はずいぶん組みましたが、さすがに二百年先の帳尻までは見込んでおりませなんだ。
その節目に私の名が持ち出されるとは、存じ寄らぬ勘定違いにございます。
「逆賊」とは何を指すのか|処刑の日に掲げられた札の言葉
題名の「逆賊」が何を指すのかを、一文で済ませている記事がほとんどでした(今回確認した競合記事12本での話です)。ここは当時の文言までたどれるので、確かめておきます。
小栗が捕らえられる前に、東山道総督府が三藩へ追捕令を出しています。その文中に、次の語があります。
深く探索を加候処、逆謀判然、上は天朝に対し奉り不埒至極、下は主人慶喜恭順の意に相戻り候に付、追捕の儀其藩々へ申附候
現代語訳深く探索を加えたところ、反逆の企てが明らかとなった。上は朝廷に対して不埒きわまりなく、下は主人・慶喜の恭順の意にも背いているので、追捕の件を各藩に申し付ける。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション 蜷川新『維新前後の政争と小栗上野の死』(日本書院、1928年)
あて先の三藩は、『復古記』と『太政官日誌』では高崎・安中・吉井です。刊本では吉井の代わりに小幡とするものもあり、資料によって異なります。
さらに、処刑の日に掲げられたとされる札の文言が、後世の『高崎市史』と『碓氷郡志』に収録されています。原物は今回確認していません。
其方儀 奉対朝廷 叛状明白ニ付 令蒙天誅者也
現代語訳その方は朝廷に対し反逆の情が明白であるから、天誅を受けさせるものである。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション 群馬県碓氷郡編『碓氷郡志』(1923年)
当時の文書にある語は「逆謀」と「叛状」です。いずれも小栗が自分で名乗った語ではなく、処分する側が使った語です。
ただし、これらと題名の「逆賊」が直接つながるのかは確認できていません。制作側が題名の由来を説明した資料も、今回確認できていません。
- 追捕令の嫌疑:権田村に陣屋を構え、砲台を築き、容易ならざる企てがある
- 札の文言:朝廷に対し叛状明白につき、天誅を蒙らしむる者也
- 探索は行われている:『復古記』所収の新田俊純従軍事蹟は、総督府の命で探索を遂げ、絵図面にして届け出たと記します。ただし何が見つかったのかは今回確認できていません
- 資料が食い違う点:取り調べがあったかどうか。三藩の家記と高崎藩の届書写は「糺問之上」とし、『高崎市史』は「一モ訊問セズ」と書きます
なぜ斬首されたのかを一つに決められる史料は、今回確認できていません。
そちらの経緯は小栗忠順はなぜ斬首されたのかで詳しくたどりました。

処刑の日に掲げられたとされる札には、『叛状明白』とあったと伝わります。

勘定方が帳面に『明白』と書くなら、その下に数字を並べねばなりませぬ。
して貴殿、その札には、何が明白なのかまで書き並べてございましたか。

札の文言は、朝廷に対して叛状明白につき天誅を受けさせる、というところまでです。捕らえる前の令には、陣屋と砲台の嫌疑が書かれていました。

中身は令のほう、札は見出しだけ。そういう綴じ方にございますな。
それをどう読むかは、貴殿らに預けましょう。
ここまでが、作品と題名の話です。次からは、図の並びにそって、発表順ではなく小栗との関わり方ごとに人物を見ていきます。
小栗家の人々|父・母・妻・養子の配役が出ています
小栗家とその周辺からは、次の配役が発表されています。
| 役 | 出演者 | 小栗との関係 | 関係の根拠 |
|---|---|---|---|
| 小栗忠高 | 北村有起哉さん | 父 | ② 東善寺の略歴 |
| くに(邦子) | 鈴木京香さん | 母 | ② 東善寺の略歴 |
| みち(道子) | 上白石萌音さん | 妻 | ② 東善寺の略歴 |
| 小栗忠道(又一) | 齋藤潤さん | 養子 | ① 処刑の札と三藩の家記が父子として扱う |
| 建部政醇 | 飯尾和樹さん | みちの父 | ② 東善寺の略歴 |
| 佐藤藤七 | 甲本雅裕さん | 権田村の名主 | ② 東善寺が逃避行の相談相手として記す |
| 荒川祐蔵 | 草川拓弥さん | 従者(公式の図は中間) | ③ 番組の紹介 |
| 武笠祐左衛門 | ANIさん | 小栗家の家老格 | ③ 番組の紹介 |
| 塚本真彦 | 森岡龍さん | 家臣・用人 | ② 東善寺の解説 |
| かよ | 原ふき子さん | 女中頭 | ③ 公式の相関図 |
| 正助 | 足立智充さん | 中間 | ③ 公式の相関図 |
公式の図で加わった塚本真彦は、みちの付人として小栗家へ移り、のちに用人となった人です。遣米使節にも従者として加わり、慶応4年閏4月7日に忠道とともに斬られました。
参考:林田藩と小栗家|東善寺
参考:東善寺花だより|小栗上野介の墓前に遺愛の名花・小栗椿|東善寺
養子の忠道について、番組の紹介では「万が一渡米時に帰れなかった場合の跡取りとして養子に」と説明されています。東善寺は、忠順の養女・鉞子(よきこ)の許婚として小栗家に入ったと記します。
父子であることは、処刑の日の札でたどれます。 又一あての札は「其方儀 父上野介ト共ニ叛状明白ニ付」と書き、『復古記』が収める三藩の家記も父子として扱っています。
続柄が幕末の文書に残っている、数少ない例です。
忠道が斬られたのは慶応4年閏4月7日です。『群馬県群馬郡誌』(1925年)が東善寺の墓碑銘として記録しています。
忠順の処刑日は資料によって閏4月5日とも6日とも書かれます。「父の翌日」と言えるのは、6日とする資料に拠った場合です。
21歳と伝わりますが、満か数えかは略歴に書かれていません。処刑の場所も、東善寺は「高崎城内」とし、「高崎城下」とする資料もあります。父の水沼河原とは別の場所である点は一致しますが、城内か城下かは断定できません。

養子の忠道さんは、慶応4年閏4月7日に斬られています。21歳と伝わります。

二十一。……私の子として扱われた以上、そうなりましょうな。
跡取りに立てたわけは、番組では渡米の帰りを案じてのこととされ、寺は鉞子の許婚として迎えたと伝えるそうな。
どちらであれ、二十一と伝わるなら若すぎまする。そこだけは、勘定のしようがございませぬ。
なお、従者として発表された荒川祐蔵について。『復古記』が収める吉井信謹家記は、ともに斬られた家臣として荒川雄蔵の名を挙げています。同じ人物かどうかは、今回確認できていません。
「又一」は小栗家当主の通称で、忠順も家督を継いだときに名乗りました。忠順の官途名が「上野介」です。
つまり「又一」は、忠順を指すことも、養子の忠道を指すこともあります。資料を読むときに迷いやすいところです。
当主として「又一」を名乗った忠順が、遣米使節や横須賀製鉄所の建設で何を担ったのかは、生涯と功績をまとめた記事でたどれます。
妻・みちは何をした人か|会津への逃避行は資料で書き方が違う
妻の道子(みち)は、上白石萌音さんが演じます。小栗が捕らえられる前後に、この人がたどった道は、資料によって書かれ方がかなり違います。
天保10年(1839年)に生まれ、嘉永2年(1849年)に忠順と結婚しました。没したのは明治18年(1885年)3月27日です。
没年齢は、はっきりしません。 東善寺は「48歳で没」と記しますが、同じ寺が記す生年から数えると、満でも数えでもこの年齢になりません。どちらを基準にすべきか判断できないため、この記事では没年月日だけを載せます。
小栗が捕らえられる前、道子は身重のまま権田村を離れ、会津へ向かいました。この逃避行は、資料によって書き方が違います。
| 資料 | 経路の書き方 |
|---|---|
| 東善寺「会津へ逃れた小栗上野介夫人」 | 権田から坂上村上関、六合村広池、和光原、秋山郷、十日町を経て新潟へ出て、津川から会津若松の紙問屋「湊屋」へ |
| 上毛新聞「小栗の足跡を訪ねて(5)」(2026年9月7日) | 権田の大反のやぶに2日ほど隠れ、萩生を経て須賀尾峠の手前で二手に分かれた。20人余りの権田の若者が護衛した |
上毛新聞の記事は、安中市の郷土史家・小板橋良平さんの踏査記に基づくと明記しています。同じ道筋を別の細かさで書いている可能性もあり、記事の大半が有料部分のため結末までは確認していません。
どちらかが誤りと決めつけられる材料は、今回ありませんでした。
逃れたのは道子のほか、忠順の母・くに(邦子)と、又一の許婚の鉞子の3人だったと東善寺は伝えます。
道子は会津で女児を産み、国子と名づけました。東善寺は唯一の遺児と記しています。
出産は慶応4年6月10日で、西暦では1868年7月29日にあたります。1868年6月10日ではありません。

奥さまは身重のまま会津へ逃れ、慶応4年6月10日に女の子を産んでいます。名は国子です。

女の子、とな。……閏四月から数えて、ふた月あまり。私の帳面には載らぬ子にございますな。
国子。会津まで逃れた先で生まれたと聞けるなら、それだけで勘定は合うております。
国子はのちに婿を迎え、小栗の血筋はいまも続いています。
会津で国子を産んだあと、道子が静岡を経て深川で暮らした明治の歩みと、確かめきれない墓所の話は、妻の生涯をたどった記事にまとめました。
勝海舟|「ライバルでかつ理解者」を史料で見ると
第2次発表で、勝海舟を大沢たかおさんが演じることが明らかになりました。番組の紹介文にある「ライバルでかつ理解者」という言葉は、今回確認した記事のほとんどに転載されています。これは③の層にあたります。
では、記録ではどう見えるのか。勝自身が小栗について語った談話が残っています。
小栗上野介は、幕末の一人物だよ。あの人は、精力が人にすぐれて、計略に富み、世界の大勢にも略ぼ通じて、而かも誠忠無二の徳川武士で、先祖の小栗又一によく似て居たよ。一口にいふと、あれは三河武士の長所と短所とを両方具へて居つた。然し度量の狭かつたのは、あの人のためには惜しかつた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『海舟全集』(海舟全集刊行会編、1929年)
褒めながら、最後に短所を置いています。「ライバルでかつ理解者」という紹介文は、この談話の空気とは矛盾しません。
ただし注意が要ります。これは明治以降に刊行された本に載る勝の談話であって、小栗の側の記録ではありません。 ②の層です。二人の関係を小栗がどう見ていたかを示す史料は、今回確認できていません。
同じ談話は、二人の構想の違いも伝えています。
| 勝の談話が伝える構想 | |
|---|---|
| 小栗 | 長州を討ち、次に薩摩を討って、幕府のもとに郡県制度を立てる |
| 勝 | 徳川がまず政権を返上し、その上で郡県の統一をする |
この対比も、勝の談話からのものです。 小栗の作戦書のような幕末の文書にあたったわけではありません。
しかも、この談話を載せる本によって数字が違います。『海舟全集』は「銀六百万両と、年賦で軍艦数艘」とし、『大久保利通之一生』(1900年)は「六百万両と軍艦七艘」と隻数まで書きます。
事典が記す借款は600万ドルで、両とドルで単位も違います。
勝海舟その人については勝海舟は何をした人?をご覧ください。妻のたみさん役では、瀧内公美さんの出演が発表されています。

勝さんは、あなたを『精力が人にすぐれて、計略に富み』と評したうえで、『度量の狭かつたのは、あの人のためには惜しかつた』と語っています。

度量が狭い、と勝殿が。……褒め言葉をいくつも並べて、最後に一つ落とす。話の組み立てとしては見事なものにございます。
役目が違えば、見え方も違いましょう。
勝海舟と、このあと取り上げる栗本鋤雲は、小栗とともに綱淵謙錠の人物評伝『幕臣列伝』で章をあてて語られています。勝は榎本武揚と並ぶ章です。BOOK☆WALKERを初めて使うなら、最初の購入で税抜価格の半分がコインで戻り、ほかの作品に使えます。
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この作品のポイント
- 小栗上野介、勝海舟と榎本武揚、栗本鋤雲にそれぞれ章をあてた人物評伝です
- 川路聖謨・岩瀬忠震ら、海防・外交にあたった開国期の幕府官僚たちを描く人物評伝
- 直木賞作家による評伝集で、解説は砂原浩太朗
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仲が悪かったと言われる2人の関係は、勝の日記と談話から1本にまとめて検証しています。
井伊直弼は小栗を抜擢したのか|事典に言及がない
幕府側では、第8次までに7人の配役が発表されました(第9次の6人は後の章で取り上げます)。井伊直弼を岡部たかしさんが演じ、番組では小栗を見出した先見的なリーダーとして位置づけられています。
この井伊直弼が書いた茶書に「一期一会」の四字があり、ただしその源流は250年以上さかのぼります。
| 役 | 出演者 | 事典で確認できる立場 |
|---|---|---|
| 井伊直弼 | 岡部たかしさん | 安政5年(1858年)に大老就任。安政7年3月3日(1860年3月24日)に桜田門外の変で横死 |
| 徳川家慶 | 宅麻伸さん | 第12代将軍 |
| 徳川家定 | ふかわりょうさん | 第13代将軍 |
| 徳川家茂 | 神尾楓珠さん | 第14代将軍 |
| 阿部正弘 | 岩田剛典さん | 老中首座 |
| 鳥居耀蔵 | 北村一輝さん | 元町奉行 |
| 徳川斉昭 | 柄本明さん | 前水戸藩主 |
この章では、関係を3つに分けて書きます。
確かなのは、在任の時期が重なっていたことだけです。 小栗が目付に就いた安政6年(1859年)9月は、井伊の大老在任中にあたります。
ただし目付は若年寄の配下に置かれた役で、大老の直属の部下ではありません。二人を上司と部下として結ぶことはできません。
登用の話は②です。 書いているのは菩提寺の東善寺で、「1860年、井伊大老の推薦により、34歳で日米修好通商条約批准の遣米使節に選ばれた」と記します(34歳は数え年で、満では32歳です)。
「小栗を見出した先見的リーダー」という位置づけは③です。 番組の紹介文にあるものです。
ここで一つ、はっきりさせておきたいことがあります。
コトバンクに収録されている井伊直弼の事典項目には、今回確認した限り、小栗忠順への言及がまったくありません。 日本大百科全書も、改訂新版 世界大百科事典も、ブリタニカもです。
高崎市の公式ページにも、井伊への言及がありません。
「井伊が抜擢した」と書ける幕末の文書は、今回確認できませんでした。
栗本鋤雲との関わりを刊本でたどる
第4次発表の5人のうち、栗本鋤雲・駒井朝温・滝川具挙・朝比奈昌広は、番組では小栗の幼なじみや同僚として紹介されています。同じ回に発表された三野村利左衛門は立場が違うので、次の章で別に扱います。
このうち栗本鋤雲については、小栗との関わりを、栗本の存命中に出た刊本でたどれます。
栗本鋤雲(1822年から1897年)は幕府医官の家に生まれ、のちに幕臣となって目付・外国奉行を務めました。維新後は『郵便報知新聞』の編集主任です。
ドラマで栗本を演じる青木崇高さんは、作品の語りも務めます。2026年10月31日に高崎芸術劇場で開かれたイベントで、サプライズとして発表されました。
参考:「逆賊の幕臣」ご当地イベント・『語り』は青木崇高に決定(2026年11月2日)|ステラnet
『匏菴十種』(栗本鋤雲著・岡敬孝校、1892年)の序文は、栗本が岩瀬忠震と小栗の事跡を『郵便報知新聞』に書き、それを編んだのが本書だと述べます。和文の序には、次の一節があります。
造舩所建築ノ創意ニ於ケル、陸軍々制ノ改革ニ於ケル、大抵先生ガ小栗等諸老ト共ニ參畫スル所ニシテ
現代語訳造船所建設の発案でも、陸軍の軍制改革でも、おおむね先生が小栗ら諸老とともに企画したところであって。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション 栗本鋤雲著・岡敬孝校『匏菴十種』(1892年)
この文で「先生」と呼ばれているのが栗本です。序文は栗本本人が書いたものではなく、本記事が確認したのも序文だけで、栗本自身が書いた本文の該当箇所は確認していません。
それでも、造船所の建設と軍制改革を小栗らと共に企画したと、当事者の側から刊行された本の序文が書いている。ここまでは言えます。「盟友」という語は、今回確認した史料には出てきません。
栗本にはもう一つ、伝えた話があります。幕府の先行きについて小栗が語ったとされる「土蔵付き売家」の言葉です。
- 栗本が伝えたとされる。福地源一郎『幕末政治家』(1900年)は「此事は栗本匏庵翁の自著に見えたり」と割注をつけています。ただし本記事は、栗本の自著の該当箇所までは確認していません
- 文面は資料ごとに違う。『幕末政治家』は「土藏附の賣家たるは又快からずや」、『読史余録』(1901年)は「猶土藏附賣家の榮譽を殘すべし」とします
- 会話体の場面は引用できない。石原戒造編『幕末の英傑小栗上野介を偲ぶ』(1934年)に載る会話体の場面は、村松梢風の小説「ふらんすお政」からの抄録です
- 勝海舟編『海軍歴史』(1889年)にも収録され、一時の冗談ではないという趣旨の割注が付いています
同じ発表回で、駒井朝温を高橋光臣さん、滝川具挙を宮野真守さん、朝比奈昌広を芝大輔さんが演じます。駒井朝温は、養子となった忠道の実父にあたると東善寺が記しています。
恩師として発表された安積艮斎は、中村雅俊さんが演じます。師弟という関係づけは、番組の紹介によるものです。
中村雅俊さんが演じる安積艮斎が、史料のうえでどんな儒学者だったのかは、艮斎AIと確かめています。
三野村利左衛門|士分の家臣ではありません
荒川良々さんが演じる三野村利左衛門(1821年から1877年)は、三井の大番頭として知られます。小栗との関係が語られることの多い人物ですが、ここは書き方に注意が要ります。
その三野村が、なぜ三井の大番頭として幕府との御用金交渉にあたることになったのかも追っています。
事典が使う語は「雇仲間」「仲間奉公」です。 仲間(ちゅうげん)は武家に雇われた奉公人を指す語で、士分の家臣ではありません。事典はいずれも「家来」「家臣」とは書いていません。
しかも、仕えた相手すら資料で一致しません。
| 資料 | 書かれていること |
|---|---|
| 『日本大百科全書』 | 「幕府の勘定奉行小栗上野介忠順の雇仲間となり」 |
| 『百科事典マイペディア』 | 「小栗忠順の仲間奉公を経て」 |
| 『デジタル版日本人名大辞典+Plus』 | 「小栗忠順の仲間だった縁故で」 |
| 三井広報委員会 | 「旗本の小栗忠高(忠順の父)の家に仲間として雇われた」 |
事典は忠順に仕えたとし、三井の公式サイトは父の忠高の家に雇われたとします。出自についても、庄内藩浪人の子、信濃の百姓の子など、資料ごとに違う書き方がされています。これらはいずれも②の層です。
史料で具体的にたどれるのは、御用金の交渉です。三井に課された御用金は、元治元年から慶応2年までで累計266万両にのぼりました。
慶応2年(1866年)2月に150万両を命じられた三井は、三野村の交渉で150万両から50万両、さらに18万両まで減額され、数年での分納を認められます。翌年3月には残金の免除を得ました。
ただし三井広報委員会は、この交渉が元勘定組頭の小田信太郎を通じて小栗を説得する形だったと書いています。小栗と直談判したとは書かれていません。

三井に命じられた150万両の御用金は、三野村利左衛門の交渉で18万両まで下がったそうです。

百五十万が十八万。八分の一ほどにございますか。
勘定方の側に座る者なら、まず渋い顔をする数字ですな。
その掛け合いの席に誰が座っておったかは、書き付けのほうにお任せいたす。
小栗の没後、東京へ出た道子らが三野村の保護を受けたと東善寺は伝えます。
遺児の国子への支援については、東善寺が典拠を示しています。 三野村家の『元方目録勘定調書』(三野村合名会社蔵)です。
明治10年から20年までの10年分をまとめた頁に、「小栗国助情金」として金額が記されている、というものです。
一方、三野村の没後に大隈重信夫妻が国子を育てたという部分には、典拠が示されていません。道子自身への保護の経緯も、この帳簿から確かめられるかは別の話です。
朝廷の人々|2026年9月に発表された4人
第7次発表は2026年9月15日でした。朝廷側の4人が明らかになっています。
| 役 | 出演者 | 番組が示す役どころ |
|---|---|---|
| 孝明天皇 | 眞栄田郷敦さん | 幕府の開国路線に立ちはだかる「モノ言う帝」 |
| 明治天皇 | 奥野壮さん | 元服前の16歳で即位 |
| 岩倉具視 | 山中崇さん | 公家らしからぬ野心家、朝廷のフィクサー |
| 鷹司政通 | 長塚京三さん | 30年以上朝廷に君臨した老獪な人物 |
この表は番組の紹介文をもとにしています。つまり4人とも③の層です。
一つだけ数字を補っておきます。明治天皇の「16歳」は数え年です。嘉永5年9月22日(1852年11月3日)に生まれ、慶応3年1月9日(1867年2月13日)に即位したので、満では14歳にあたります。
この4人と小栗の関係を示す幕末の文書は、今回確認できていません。朝廷と幕府という組織の対立のなかに小栗がいた、という位置づけになります。
追捕令を出したのは東山道総督府です。 天皇や朝廷の中枢が直接、小栗を名指しした文書は今回確認できていません。
なお、この第7次発表が検索の動きを大きく変えました。2026年9月14日から16日にかけて、「逆賊の幕臣」に関する検索が急に増えています。
あわせて公開されている物語紹介のほうも、史実とどこまで重なるのかを一文ずつ確かめました。
薩摩・長州の4人と小栗の接点は?2026年10月9日の第8次発表
4人と小栗を直接結ぶ記録は、今回確認できませんでした。 番組の紹介文は小栗や勝との出会いを書いていますが、関係の書かれ方としては4人とも③の層です。
第8次発表は2026年10月9日でした。のちに倒幕の中心となる、西国の薩摩藩・長州藩ゆかりの人々です。
| 役 | 出演者 | 番組が示す役どころ |
|---|---|---|
| 吉田松陰 | 中村倫也さん | 江戸で安積艮斎の門下となり、「小栗ら艮斎塾の塾生たちと激論を交わす」 |
| 高杉晋作 | 寛一郎さん | 艮斎の塾に入って小栗と出会い、江戸の牢に送られた松陰を救うため「小栗を頼みの綱とする」 |
| 島津久光 | 斎藤工さん | 斉彬の異母弟。「若き勝麟太郎とも兄を通じて知り合う」 |
| 島津斉彬 | 西岡德馬さん | 「まだ無名だった勝麟太郎の蘭学の才を見込んだ一人」 |
参考:2027年大河「逆賊の幕臣」新キャスト発表! 中村倫也、寛一郎、斎藤工、西岡德馬|ステラnet
松陰が艮斎に学んだことは、事典に記述があります。『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』は「嘉永3年から諸国を遊学して会沢正志斎、安積艮斎らに従学」と書きます。
参考:吉田松陰|コトバンク
高杉の江戸遊学について日本大百科全書が書くのは、「1858年江戸へ出て幕府昌平黌に入学」までです。艮斎の塾に入門したという記述は、今回開いた事典の項目には見当たりませんでした。
参考:高杉晋作|コトバンク
なお艮斎は昌平黌の教授も務めていますが、高杉がその講義を受けたかどうかは、今回開いた事典の項目からは分かりません。
一方、郡山市観光協会は、艮斎の門人帳に「小栗上野介、吉田松陰、高杉晋作、岩崎弥太郎、前島密など2,280余名が記されている」と紹介しています。
ただし、同じ門人帳に名があることと、同じ時期に塾で顔を合わせたことは別です。小栗と松陰・高杉が言葉を交わしたことを示す記録は、今回確認できていません。

艮斎先生の門人帳には、2,280余名の名が載っているそうです。小栗さんも、吉田松陰も、高杉晋作も。ドラマでは、塾で小栗さんが松陰と激論を交わします。

二千二百八十。それだけおれば、名を連ねただけで顔を合わせぬ者もおりましょう。
帳面に並ぶことと、膝を突き合わせることは、別の勘定にございます。
会うたかどうかも分からぬ場面を、どう描くか。そこは脚本を書く方の腕の見せどころにて候。
松陰は安政6年(1859年)に江戸へ送られ、同年10月27日に伝馬町の獄で刑死しました。小栗が目付に任じられたのは、その年の9月です。高杉が小栗を頼ったことを示す記録も、今回確認できていません。
参考:吉田松陰|コトバンク
参考:小栗上野介忠順の略歴|東善寺
その年の江戸で何が起きていたのかは、安政の大獄の記事でたどりました。
薩摩の2人については、鹿児島商工会議所が、1858年に長崎の海軍伝習所の練習船が薩摩の山川港に入り、その船に勝海舟も乗っていたと紹介しています。
同じページには、指宿に滞在していた斉彬が、オランダ将校と会談したと書かれています。
参考:2015年3月 明治維新を支えた山川港(指宿市山川成川)|鹿児島商工会議所
鹿児島商工会議所の紹介文は、斉彬と勝が直接会ったとまでは書いていません。コトバンクの島津斉彬・島津久光の項目にも、今回確認した限り、勝の名も小栗の名も出てきませんでした。
参考:島津斉彬|コトバンク
参考:島津久光|コトバンク
なお、寛一郎さんは発表のコメントで、高杉の句とされる「おもしろき こともなき世を おもしろく」に触れています。この句がどんな形で伝わってきたのかは、刊本をたどって別の記事にまとめました。
参考:2027年大河「逆賊の幕臣」新キャスト発表! 中村倫也、寛一郎、斎藤工、西岡德馬|ステラnet
幕府を支える6人と小栗の接点は?2026年11月6日の第9次発表
6人のうち、小栗と記録で結べるのは大久保忠寛と村垣範正の2人です。第9次発表は2026年11月6日で、番組が「幕府を支える人びと」として紹介した顔ぶれです。
| 役 | 出演者 | 番組の紹介の要点 | 小栗との接点 |
|---|---|---|---|
| 大久保忠寛 | 渡辺いっけいさん | 「もののふ」を口癖とする堅物の旗本。勝海舟を推薦し、誰よりも早く大政奉還を唱えた | 文久2年に同じ暗殺の風聞で名が並ぶ(②) |
| 林復斎 | 佐野史郎さん | 大学頭。ペリーと交渉し、日米和親条約を結ぶ | 番組の紹介に小栗の記述なし。今回の資料でも未確認 |
| 宇津木景福 | 吹越満さん | 井伊直弼の側近で、公用人として支える | 番組の紹介に小栗の記述なし。今回の資料でも未確認 |
| 福沢諭吉 | 山時聡真さん | 木村喜毅の従者として咸臨丸で渡米する | 番組の紹介に小栗の記述なし。今回の資料でも未確認 |
| 中浜万次郎 | 武井壮さん | 咸臨丸の通訳として再び渡米する | 番組の紹介に小栗の記述なし。今回の資料でも未確認 |
| 村垣範正 | 古田新太さん | 御庭番の家の出で、遣米使節の副使を務める | 同じ使節の副使と目付(②③) |
参考:NHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」で山時聡真が福沢諭吉、武井壮が中浜万次郎に!古田新太も参加|映画ナタリー
大久保忠寛について、制作統括の勝田夏子さんは「究極の『じゃない方』」と書いています。大政奉還なら龍馬、大久保なら利通、と思われがちだという意味です。
暗殺の風聞は、『続再夢紀事』の文久2年10月23日の条に見えます。開国論を唱えているとして、大久保越中(忠寛)・岡部駿河・小栗豊後の3人が名指しされました。同書は1921年に刊行された越前松平家側の記録なので、②に入れています。
参考:続再夢紀事 第一(文久2年10月23日の条)|国立国会図書館デジタルコレクション
大久保忠寛の生涯は、こちらの記事で紹介しています。
中浜万次郎は、2028年の大河ドラマ『ジョン万』の主人公でもあります。
佐野史郎さんが演じる林復斎は、ペリーと4度会談し、日米和親条約に筆頭で署名した大学頭です。

第9次で、遣米使節の副使だった村垣範正の配役が出ました。演じる古田新太さんは、ドルと両をうまくやらねばならぬ、とコメントしています。

ドルと両にございますか。勘定方には耳の痛い話にて候。
どなたか存じませぬが、よいところを押さえておられる。
まだ配役が発表されていない人々
2026年11月6日の時点で、小栗の生涯にとって重要でありながら、まだ配役が出ていない人物がいます。
- レオン・ロッシュ(1809年から1901年。横須賀市の資料のみ1900年とします):第2代駐日フランス公使。幕府から横須賀製鉄所の建設への協力を依頼され、フランス側の技術者の手配を進めました
- ヴェルニー(1837年から1908年):フランスの造船技師。横須賀製鉄所の首長を務めました。来日の年は1865年とする資料と、1865年に来日後いったん帰国して1866年に再来日したとする資料があります
- 徳川慶喜:小栗が職を離れた当時の将軍
- 小栗国子:会津で生まれた遺児
- 原保太郎:小栗の処刑にあたった使員の一人
ロッシュとヴェルニーについては、書き方を一つ注意しておきます。
「小栗がヴェルニーを招いた」とは書けません。 横須賀市の公式ページが記す順序は、幕府内の親フランス派である栗本瀬兵衛、小栗忠順、浅野美作守らがロッシュに協力を依頼し、ロッシュが技師団を手配した、というものです。
横須賀市の記述では、技師団を手配したのはロッシュです。
なお、コトバンク収録の事典は、ロッシュの項目でもヴェルニーの項目でも、小栗忠順に言及していません。接点を書いているのは横須賀市の資料です。
横須賀製鉄所の着工は1865年です。1871年は第1号ドックの竣工と横須賀造船所への改称にあたり、施設全体の完成ではありません。
製鉄所については小栗忠順は何をした人?をご覧ください。
15代将軍の徳川慶喜もまだ配役が出ていない一人で、これまでの大河で慶喜を演じた12人は作品ごとに一覧にしました。
『逆賊の幕臣』はどこまで実話か|今回たどれた範囲でまとめる
ここまで見てきたことを一覧にすると、こうなります。今回取り上げた話の多くは、根拠が明治以降の記録にありました。
| よく語られること | 今回たどれた記録 | 層 |
|---|---|---|
| 三野村利左衛門は小栗の家来だった | 事典の語は「雇仲間」。士分の家臣とは書かれていない。仕えた相手も忠順と父・忠高で割れる | ② |
| 井伊直弼が小栗を抜擢した | 事典の井伊の項目に小栗の名はない。書いているのは菩提寺の東善寺 | ② |
| 小栗がヴェルニーを招いた | 横須賀市の記述では、親仏派がロッシュに依頼し、技師団を手配したのはロッシュ | ② |
| 小栗と勝はライバルだった | 勝の談話は明治以降の刊本に載る。小栗の側の記録は確認できていない | ② |
| 栗本鋤雲は小栗の盟友だった | 「盟友」の語は今回の史料になし。共に企画したことは刊本の序文でたどれる | ② |
| 小栗を反逆とみなす文言が当時の文書にある | 追捕令に「逆謀」、処刑の札に「叛状」とある。ただし「逆賊」の語そのものは確認できていない | ① |
| 忠順と忠道は父子だった | 処刑の日の札に「父上野介ト共ニ」とある | ① |
幕末の文書にまでさかのぼれたのは、この表で2件だけでした。 残りは明治以降の刊本や、寺社・自治体の解説に載るものです。
②であることだけを理由に、史実ではないとはいえません。 ドラマがそれらを描くこと自体は、おかしなことではありません。
一方で、今回まったく確かめられなかった関係もあります。 朝廷の4人や薩摩・長州の4人と小栗を結ぶ幕末の文書、ロッシュやヴェルニーの事典項目に出てくる小栗の名。どれも今回確認できませんでした。
脚本がそこをどう埋めるのかは、放送を見るまで分かりません。

この表の7件のうち、幕末の文書にまでさかのぼれたのは2件だけでした。

七つのうち二つ。三割に届きませぬな。
役目の書き付けは残っても、人と人の間柄までは帳面に載らぬもの。さもありなんと存ずる。
残らなかったことを残らなかったと書く帳面のほうが、私は信用いたします。
物語はどう終わるのか|史実の小栗忠順の最期
最終回がどう描かれるかは、まだ分かりません。ただ、史実の側では、最期までの大枠が分かっています。
| 和暦 | 西暦 | 出来事 |
|---|---|---|
| 慶応4年1月15日 | 1868年2月8日 | 御役御免。幕府の役を離れる |
| 慶応4年3月1日 | 1868年3月24日 | 上野国権田村へ移る |
| 慶応4年4月22日 | ― | 東山道総督府が三藩へ追捕令を出す |
| 慶応4年閏4月5日 | 1868年5月26日 | 捕縛 |
| 慶応4年閏4月6日 | 1868年5月27日 | 水沼河原で斬首。満40歳(数え42歳) |
| 慶応4年閏4月7日 | 1868年5月28日 | 養子の忠道が斬られる |
斬首の日付は資料によって閏4月5日とも6日とも書かれます。 捕縛から斬首までの間に取り調べがあったかどうかも、三藩の家記は「糺問之上」とし、『高崎市史』は「一モ訊問セズ」として食い違います。
つまり、最期の場面は、脚本が選ばなければ描けません。 どちらの説を採るかで、まったく別の場面になります。ここは放送で確かめるところです。
なぜ斬首されたのかは小栗忠順はなぜ斬首されたのかで詳しくたどりました。
生涯全体を知りたい方は小栗忠順は何をした人?をご覧ください。
ゆかりの地|横須賀と高崎倉渕
最後に、いま訪ねられる場所をまとめます。大きく分けて、功績の地(横須賀)と最期の地(高崎倉渕)の2つです。
| 場所 | 何があるか |
|---|---|
| 東善寺(高崎市倉渕町権田) | 小栗の墓。境内の墓は群馬県指定史跡(昭和28年8月25日指定)。持ち帰ったと伝わるネジを所蔵 |
| 水沼河原(高崎市倉渕町水沼) | 処刑の地。昭和7年(1932年)建立の顕彰慰霊碑。碑文は「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」 |
| ヴェルニー公園(横須賀市) | 小栗広場に、小栗とヴェルニーの胸像が並びます |
| ヴェルニー記念館(横須賀市) | 横須賀製鉄所のスチームハンマー(1998年に国の重要文化財) |
| 法輪寺(館林市) | 首級が一時埋葬されたと館林市が記す場所 |
慰霊碑の書は蜷川新です。この記事で追捕令の文面を引いた本の著者で、小栗の妻・道子の妹の子にあたります。碑文の「罪なくして」に、建碑のとき高崎警察署長が異議を唱えたと東善寺は伝えています。
両市はドラマ化を受けて動いています。高崎市は小栗上野介プロジェクト推進協議会を設け、東善寺の隣に記念館の建設を進めています。横須賀市はヴェルニー公園のガイドツアーを始めました。
小栗家の血筋が遺児・国子を通じてどう続いたのかも、家系図で確かめられます。
なお横須賀市によれば、昭和27年から毎年11月中旬に小栗の顕彰式典が開かれています。ドラマが決まる70年以上前から続いている行事です。
よくある質問(FAQ)
『逆賊の幕臣』に原作はありますか?
ありません。安達奈緒子さんによるオリジナル脚本です。安達さんにとって大河ドラマは初の執筆になります。
「逆賊」とは何を指しているのですか?
当時の文書にある語は「逆謀」「叛状」です。追捕令は「逆謀判然」と書き、処刑の日の札には「叛状明白ニ付 令蒙天誅者也」と記されていました。小栗が自分で名乗った語ではありません。制作側が題名の由来を説明した資料は、今回確認できていません。
配役は何人発表されていますか?
2026年11月6日の時点で41役です。第8次までの32役に、公式の人物相関図 ver.0で3役が加わり、同日の第9次発表で6役が足されました。第9次は大久保忠寛・林復斎・宇津木景福・福沢諭吉・中浜万次郎・村垣範正です。
吉田松陰や高杉晋作は、小栗忠順と知り合いだったのですか?
二人と小栗が言葉を交わしたことを示す記録は、今回確認できていません。郡山市観光協会は、安積艮斎の門人帳に3人の名があると紹介しています。ただ、同じ門人帳に名があることと、同じ時期に塾で顔を合わせたことは別です。
三野村利左衛門は小栗の家来だったのですか?
士分の家臣ではありません。事典が使う語は「雇仲間」「仲間奉公」で、武家に雇われた奉公人を指します。仕えた相手についても、事典は忠順とし、三井広報委員会は父の忠高の家とします。
井伊直弼が小栗を抜擢したのですか?
コトバンク収録の井伊直弼の項目には、今回確認した限り小栗忠順への言及がありません。登用を書いているのは菩提寺の東善寺で、遣米使節への選任を「井伊大老の推薦による」と伝えます。抜擢を示す幕末の文書は、今回確認できていません。
小栗と勝海舟はどういう関係だったのですか?
勝の談話が残っています。『海舟全集』は小栗を「幕末の一人物」と評したうえで「度量の狭かつたのは惜しかつた」と続けます。ただしこれは明治以降の刊本に載る勝の側の記録です。小栗が勝をどう見ていたかを示す史料は確認できていません。
妻のみちさんは、その後どうなったのですか?
身重のまま会津へ逃れ、慶応4年6月10日(1868年7月29日)に女児を産んで国子と名づけたと東善寺は伝えます。明治18年3月27日に没しました。会津への経路は、東善寺と上毛新聞の記事で書き方が違います。
相関図はどこで見られますか?
公式の「人物相関図 ver.0」は、NHKの番組サイトに2026年10月30日に公開されました。この記事の「人物相関図」の章では、公式の図に載る顔ぶれを文字で一覧にし、関係の根拠を3つの層で色分けしています。
インタビュー後記|線を引けなかったところが、いちばん面白い
相関図を作るつもりで調べ始めて、途中で手が止まりました。線が引けないのです。
コトバンク収録の井伊直弼の項目には、今回確認した限り小栗の名がありませんでした。ロッシュの項目にも、ヴェルニーの項目にもありません。三野村との線は引けますが、その線が雇われの奉公人として誰に仕えたものなのかで揺れます。
一方で、思わぬところに比較的はっきりした関わりをたどれた相手がいました。栗本鋤雲です。造船所と軍制改革を共に企画したと、当事者の側から出た本の序文が書いています。
ドラマでは幼なじみの一人という扱いですが、役職の上での共同作業を刊本でたどれる相手でした。
線が引けないことは、関係がなかったという意味ではありません。記録が残らなかった、あるいは私がたどり着けなかった、というだけのことです。
それでも、引けない線を引かずに置いておくと、ドラマを見るときの楽しみが一つ増えます。ここは記録が黙っているところだ、と分かったうえで、脚本がどう埋めるかを見る。 そういう見方ができます。

なるほど、帳面と同じにて候。出入りの記されておらぬところは、いくら睨んでも数字は出てまいりませぬ。
白いところは白いまま綴じておく。それがいちばん、後で揉めませぬ。

横須賀市では、昭和27年から毎年11月に、あなたの顕彰式典が開かれています。

昭和、とはまた存ぜぬ年号にございますな。私の見届けられぬ先で、毎年とは律儀な方々にございます。
どのように描かれるにせよ、横須賀の槌の音だけは鳴らしていただきたく存ずる。あれは私一人のものではございませぬゆえ。
あなたは、『逆賊の幕臣』の登場人物のうち、誰の生き方を知りたいと思いましたか。
- この記事の小栗AIが、X(旧Twitter)で「小栗上野介-勘定方-」として、勘定の小ネタをつぶやいています
- Xでは記事よりくだけた口調で、創作を交えて話しています
- 小栗上野介-勘定方-(@oguri_hp)をXで見る
参考資料
- NHK「2027年 大河ドラマ『逆賊の幕臣』 人物相関図 ver.0 を公開!」※公式の相関図。公開日、35役と配役未発表の7人、各役の肩書き
- 東善寺「林田藩と小栗家」※塚本真彦が道子の付人として小栗家へ移ったこと
- 東善寺「東善寺花だより|小栗上野介の墓前に遺愛の名花・小栗椿」※塚本真彦の経歴
- NHK「2027年 大河ドラマ『逆賊の幕臣』 キービジュアル解禁&作曲家発表!」※放送時刻、初回が15分拡大版であること、音楽担当
- ステラnet「大河ドラマ『逆賊の幕臣』」※作品概要と配役発表の一覧
- ステラnet「『語り』は青木崇高に決定」(2026年11月2日)※2026年10月31日の「プレリュードin高崎」で、栗本鋤雲役の青木崇高さんが語りを務めると発表されたこと
- 映画ナタリー「NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』で山時聡真が福沢諭吉、武井壮が中浜万次郎に!古田新太も参加」※第9次発表(2026年11月6日)の配役、役紹介、コメント
- 国立国会図書館デジタルコレクション『続再夢紀事』第一(日本史籍協会、1921年)文久2年10月23日条※大久保忠寛・小栗忠順らの暗殺の風聞
- ステラnet 第8次配役発表(2026年10月9日)※吉田松陰・高杉晋作・島津久光・島津斉彬の4人と、番組が示す役どころ。寛一郎さんのコメント
- ステラnet 第7次配役発表(2026年9月15日)※孝明天皇・明治天皇・岩倉具視・鷹司政通の4人と、番組が示す役どころ
- ステラnet 第6次配役発表※小栗忠道・荒川祐蔵・佐藤藤七・建部政醇・たみ・武笠祐左衛門の6人と役どころ
- ステラnet 第5次配役発表※徳川家慶・家定・家茂・阿部正弘・鳥居耀蔵・徳川斉昭の6人
- ステラnet 第4次配役発表※栗本鋤雲・駒井朝温・滝川具挙・朝比奈昌広・三野村利左衛門の5人
- ステラnet 第3次配役発表※小栗忠高・くに・みち・井伊直弼・安積艮斎の5人
- 美術展ナビ(読売新聞社)「2027年の大河ドラマは『逆賊の幕臣』 主人公は天才肌の幕臣、小栗忠順 松坂桃李さん主演」※2025年3月3日の制作発表、主演・脚本・制作統括。原作への言及がないことの確認にも使いました
- 高崎市 観光サイト「大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公 小栗上野介忠順」※初回放送日が2027年1月10日に決定したこと
- 国立国会図書館デジタルコレクション 蜷川新『維新前後の政争と小栗上野の死』(日本書院、1928年)※追捕令の全文(「逆謀判然」の文言)。※著者の蜷川新は小栗の妻・道子の妹の子にあたり、身内の立場から書かれた本です
- 国立国会図書館デジタルコレクション 太政官編『復古記』第11冊(内外書籍、1931年)※追捕令のあて先が高崎・安中・吉井であること、三藩の家記、新田俊純従軍事蹟の探索の記述
- 国立国会図書館デジタルコレクション『太政官日誌』慶応4年 第5巻※高崎藩届書写の「糺問之上」
- 国立国会図書館デジタルコレクション 群馬県碓氷郡編『碓氷郡志』(1923年)※処刑の日の札の文言
- 国立国会図書館デジタルコレクション 高崎市編纂『高崎市史』(1927年)※札の文言と「一モ訊問セズ」
- 国立国会図書館デジタルコレクション『海舟全集』(海舟全集刊行会編、1929年)※勝海舟の小栗評と、郡県制・政権返上をめぐる談話
- 国立国会図書館デジタルコレクション 渡辺修二郎『大久保利通之一生』(1900年)※同じ談話で軍艦の隻数まで書く本
- 国立国会図書館デジタルコレクション 栗本鋤雲著・岡敬孝校『匏菴十種』(1892年)※栗本が小栗らと造船所建設・軍制改革を企画したとする序文。本記事が確認したのは序文のみです
- 国立国会図書館デジタルコレクション 福地源一郎『幕末政治家』(1900年)※「土蔵付き売家」を栗本の自著に見えると割注すること
- 国立国会図書館デジタルコレクション 塚越芳太郎『読史余録』(1901年)※同じ逸話の別の文面
- 国立国会図書館デジタルコレクション 勝海舟編『海軍歴史』(1889年)※同じ逸話の収録と割注
- 国立国会図書館デジタルコレクション 石原戒造編『幕末の英傑小栗上野介を偲ぶ』(1934年)※会話体の場面が村松梢風の小説からの抄録であること
- 国立国会図書館デジタルコレクション 群馬県群馬郡教育会編『群馬県群馬郡誌』(1925年)※小栗又一忠道の墓碑銘と忌日
- 東善寺「小栗上野介忠順の略歴」※家族の続柄、妻・道子と養嗣子の記述
- 東善寺「会津へ逃れた小栗上野介夫人」※逃避行の経路、三野村と大隈による保護、唯一の遺児という記述
- 東善寺「小栗上野介とは」※遣米使節への選任を井伊大老の推薦によるとすること
- 上毛新聞「《小栗の足跡を訪ねて》(5)道子らの逃避行」(2026年9月7日)※東善寺とは異なる経路の書き方。記事の大半は有料部分で、結末までは確認していません
- コトバンク「三野村利左衛門」※「雇仲間」「仲間奉公」の語と、出自が資料で割れること
- 三井広報委員会「三野村利左衛門」※父・忠高の家に仲間として雇われたとすること
- 三井広報委員会「御用金と三野村利左衛門」※御用金の累計266万両と減額交渉の経緯
- コトバンク「井伊直弼」※大老就任と桜田門外の変。※小栗忠順への言及がないことの確認に使いました
- コトバンク「吉田松陰」※艮斎に「従学」したこと(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)、江戸へ送られ安政6年10月27日に刑死したこと
- コトバンク「高杉晋作」※1858年に江戸へ出て昌平黌に入学したこと(日本大百科全書)
- コトバンク「島津斉彬」※異母弟久光との関係。※勝海舟・小栗忠順への言及がないことの確認に使いました
- コトバンク「島津久光」※斉彬の異母弟であること。※勝海舟・小栗忠順への言及がないことの確認に使いました
- 郡山市観光協会「安積艮斎記念館」※門人帳に小栗上野介・吉田松陰・高杉晋作らの名があること、艮斎が昌平黌の教授を務めたこと
- 鹿児島商工会議所「2015年3月 明治維新を支えた山川港(指宿市山川成川)」※1858年に海軍伝習所の練習船が山川港に入り、勝海舟も乗っていたこと
- コトバンク「栗本鋤雲」※生没年と経歴
- コトバンク「ロッシュ(幕末のフランス外交官、駐日フランス公使)」※1809年から1901年の生没年
- コトバンク「ベルニー」※生没年と、1865年の来日
- 横須賀市「横須賀とフランスの歴史」※親フランス派がロッシュに依頼し、ロッシュが技師団を手配した順序
- 高崎市「小栗上野介忠順終焉の地」※処刑の経緯
- 高崎市「小栗上野介忠順の墓」(高崎市文化財情報)※東善寺境内の墓が群馬県指定史跡(昭和28年8月25日指定)であること
- 高崎市「小栗上野介」(デジタル広報高崎)※小栗上野介プロジェクト推進協議会の設置など高崎市の顕彰事業
- 東京新聞「小栗上野介の功績を後世へ 27年大河『逆賊の幕臣』主役 高崎で記念館や史跡整備進む」※東善寺に隣接する小栗上野介記念館の建設が進んでいること
- 横須賀市「2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の決定について」※昭和27年から毎年11月中旬に小栗の顕彰式典が開かれていること
- 横須賀市「2027年大河ドラマ主人公である小栗忠順ゆかりの地、ヴェルニー公園ガイドツアーを開催します!」※大河ドラマを受けたガイドツアー
- 神奈川県公園協会「園内マップ・施設のご案内|横須賀市 ヴェルニー公園」※小栗広場に小栗とヴェルニーの胸像が並ぶこと
- 横須賀市自然・人文博物館「ヴェルニー記念館」※スチームハンマーがヴェルニー記念館で展示されていること
- 館林市「小栗上野介忠順と館林」※首級が館林へ送られ、泰安寺から法輪寺へ埋葬された経緯
- 東善寺「武士は拾わない ー拾ったネジではないー」※東善寺がネジを所蔵していること





















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