徳川慶喜を主人公にした大河ドラマは、1998年の1作だけです。全49回の最終回の題は「無血開城」でした。
その先の静岡の慶喜は、別の大河に出てきます。主人公ではなく、脇に回った作品のほうです。
慶喜を演じた俳優は、尾上辰之助さんから草彅剛さんまで12人。作品情報はNHK公式ページで、慶喜役は各話のキャスト情報や出演報道で、1作ずつ照合しました。
この記事の結論
徳川慶喜が登場した大河ドラマは、確認できた範囲で12作、慶喜役は12人です。主人公にした作品は、1998年の『徳川慶喜』(本木雅弘さん)だけです。
2021年の『青天を衝け』では草彅剛さんが演じ、駿府(静岡)で謹慎する慶喜や、明治37年(1904年)に栄一を見舞う慶喜も、各話のあらすじに出てきます。
2027年の『逆賊の幕臣』の慶喜役は、2026年10月15日の時点で発表されていません。父の徳川斉昭、13代将軍家定、14代将軍家茂の配役は出ています。
- 12作
慶喜の登場を確認できた大河ドラマ - 全49回
1998年『徳川慶喜』。慶喜を主人公にした唯一の大河 - 約29年
慶喜が静岡で暮らした期間(1868年9月から1897年11月)
この記事では、歴代12人の一覧、1998年版と『青天を衝け』の中身、脇役として登場した慶喜、2027年の配役の現状、そして慶喜の生涯の節目が史実でどこまで確かめられるかを、順にたどります。
語り手として、徳川慶喜AI(徳川慶喜をモデルにしたAI)に登場してもらいます。1913年(大正2年)に満76歳で亡くなった最後の将軍で、静岡での暮らしは約29年におよびました。
※以下のインタビュー部分は、公開されている史料をもとに徳川慶喜の人物像を再現した創作です。実際の発言ではありません。
慶喜は1913年に亡くなっているため、大河ドラマや自分を演じた俳優のことは知らない設定です。ドラマの紹介は筆者が行い、慶喜AIには史実の側だけを聞きます。
出典の確かめ方と、公開前に行っているチェックは編集方針にまとめています。

慶喜さん、本日はよろしくお願いします。あなたの生涯は、私たちの時代で何度も物語になりました。あなたを主人公にした大河の最終回は、『無血開城』という題でした。そのあとの静岡の暮らしは、別の主人公の大河に出てきます。

ほう。予の話は、城を明け渡したところで主役を降りるのか。
政を返し、城を出るまでで話をまとめられるなら、予はよほど話の早い男じゃのう。
その先には、政を避けて鷹と絵と写真に暮らした静岡の29年がある。将軍の話を聞きに来て、麦刈りを撮る男の話を聞かされる覚悟は、そなたにあるか。
歴代の大河ドラマで徳川慶喜を演じた俳優は誰?12作・12人を一覧で確認
徳川慶喜を演じた大河ドラマの俳優は、1968年『竜馬がゆく』の尾上辰之助さんから2021年『青天を衝け』の草彅剛さんまで、12作・12人です。
NHKアーカイブス「大河ドラマ全史」の作品ページで作品・放送年・主な出演者を確かめ、慶喜役の名は、番組情報サイト(ザテレビジョン)の各話のクレジットやキャスト一覧で照合しました。子役は数えていません。放送順に並べます。
| 作品(作数) | 放送年・回数 | 慶喜役 | 慶喜の位置づけ | 原作・作 |
|---|---|---|---|---|
| 竜馬がゆく(第6作) | 1968年・全52回 | 尾上辰之助さん(初代) | 登場。あらすじに「ついには徳川慶喜に大政奉還を決断させる」 | 司馬遼太郎 |
| 勝海舟(第12作) | 1974年・全52回 | 津川雅彦さん | 登場。主人公は勝海舟 | 子母沢寛 |
| 花神(第15作) | 1977年・全52回 | 伊藤孝雄さん | 登場。主人公は大村益次郎 | 司馬遼太郎 |
| 翔ぶが如く(第28作) | 1990年・全48回 | 三田村邦彦さん | 登場。主人公は西郷隆盛と大久保利通 | 司馬遼太郎 |
| 徳川慶喜(第37作) | 1998年・全49回 | 本木雅弘さん | 主人公(大河で唯一) | 司馬遼太郎『最後の将軍 徳川慶喜』 |
| 新選組!(第43作) | 2004年・全49回 | 今井朋彦さん | 登場。主人公は近藤勇 | 作 三谷幸喜 |
| 篤姫(第47作) | 2008年・全50回 | 平岳大さん | 重要な役。第46話の題が「慶喜救出」 | 宮尾登美子 |
| 龍馬伝(第49作) | 2010年・全48回 | 田中哲司さん | 登場。主人公は坂本龍馬 | 作 福田靖 |
| 八重の桜(第52作) | 2013年・全50回 | 小泉孝太郎さん | 重要な役。第19話の題が「慶喜の誤算」 | 作 山本むつみ |
| 花燃ゆ(第54作) | 2015年・全50回 | 森慎太郎さん(どぶろっく) | 第25回に登場。役名は一橋慶喜 | 作 大島里美ほか |
| 西郷どん(第57作) | 2018年・全47回 | 松田翔太さん | 重要な役。主人公は西郷隆盛 | 林真理子 |
| 青天を衝け(第60作) | 2021年・全41回 | 草彅剛さん | 主人公・渋沢栄一の主君 | 作 大森美香 |
参考:大河ドラマ全史(作品一覧)|NHKアーカイブス
参考:青天を衝(つ)け(番組ページ・出演者欄)|NHK ONE
確認の深さは作品で差があります。『青天を衝け』は、NHK ONEの番組ページの出演者欄に「徳川慶喜 俳優 草彅 剛」と役名まで載っています。
ほかの11作は、NHKアーカイブスの作品ページに慶喜役の記載がありません。役名はザテレビジョンで確かめました。
『花燃ゆ』の森慎太郎さんは、各話のクレジットではなく、2015年のお笑いナタリーの記事で確かめました。記事は、6月21日放送の第25回に登場すると伝えています。
場面は二条城での参預会議で、森さんが一橋慶喜役、相方の江口直人さんが島津久光役でした。
参考:どぶろっく、大河ドラマ「花燃ゆ」出演!森は一橋慶喜役、江口は島津久光役|お笑いナタリー
松田翔太さんは、『篤姫』で14代将軍の徳川家茂を、『西郷どん』で慶喜を演じました。2作で別の将軍を演じている俳優です。
表記は「草彅剛」で統一します。NHK ONEは「草彅 剛」、ザテレビジョンは「草なぎ剛」と書いています。
慶喜が登場したかどうかを確かめられなかった作品もあります。『三姉妹』(1967年)、『獅子の時代』(1980年)、『春の波涛』(1985年)、『いだてん』(2019年)です。
この4作は、NHKの作品ページに慶喜役の記載がなく、今回は登場を確認できなかったため、12作には入れていないのです。
1998年『徳川慶喜』はどんな作品?本木雅弘さんが演じた唯一の主人公大河
1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』は、司馬遼太郎の小説『最後の将軍 徳川慶喜』を原作に、本木雅弘さんが慶喜を演じた全49回の作品です。
大河ドラマの37作目で、1998年1月から12月まで放送されました。
慶喜を主人公にした大河は、この1作だけです。
NHKの作品ページとNHKエンタープライズの商品ページで確かめられる基本の事項をまとめます。
- 放送|1998年1月〜12月・全49回(大河ドラマ第37作)
- 原作|司馬遼太郎『最後の将軍 徳川慶喜』
- 脚本・音楽・語り|田向正健・湯浅譲二・大原麗子
- 主な出演|本木雅弘(徳川慶喜)、菅原文太(徳川斉昭)、石田ひかり(美賀)、深津絵里(篤子)、坂東八十助(勝海舟)
- 総集編|DVD全2枚。第一部「黒船が来た」、第二部「安政の大獄」、第三部「蛤御門の変」、第四部「大政奉還」
参考:大河ドラマ 徳川慶喜(大河ドラマ全史)|NHKアーカイブス
参考:大河ドラマ 徳川慶喜 総集編 DVD 全2枚|NHKエンタープライズ
NHKの作品ページは、江戸庶民や下級武士の生活を織り交ぜながら、慶喜の苦悩と葛藤の半生を描いた作品と紹介しています。
終盤の回の題は、第47話「朝敵」、第48話「恭順謹慎」、第49話「無血開城」です。鳥羽伏見のあとの謹慎と江戸城の明け渡しまでが、題の上では最終盤に並んでいます。
総集編の第四部の題は「大政奉還」です。ただし、商品ページで分かるのは各部の題だけで、どの時期まで収めているかは題からは判断できません。
配役では、父の徳川斉昭を菅原文太さん、正室の美賀を石田ひかりさん、勝海舟を坂東八十助さんが演じています。慶喜の正室が美賀(初めの名は延)であることは、茨城県立歴史館の「徳川慶喜事典」で確かめられます。
参考:ⅩⅠ 徳川慶喜をめぐる人々(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館

原作の『最後の将軍 徳川慶喜』は、電子書籍で試し読みができます。ドラマの慶喜がどこから来たのかを知るには、いちばん近い本です。
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『青天を衝け』の徳川慶喜はどう描かれた?草彅剛さんが演じた渋沢栄一の主君
『青天を衝け』(2021年)は渋沢栄一が主人公の大河で、徳川慶喜は渋沢の人生を変える主君として登場します。
NHKの作品ページは、渋沢が「徳川最後の将軍・慶喜と出会い、運命が大きく変わっていく」と紹介します。番組ページの出演者欄には「徳川慶喜 俳優 草彅 剛」と記されています。
参考:大河ドラマ 青天を衝け(大河ドラマ全史)|NHKアーカイブス
参考:青天を衝(つ)け(番組ページ・出演者欄)|NHK ONE
全41回、2021年2月から12月の放送です。ザテレビジョンのキャスト一覧には、慶喜の弟・徳川昭武を板垣李光人さん、平岡円四郎を堤真一さんが演じたと載っています。
では、渋沢と慶喜のつながりは、史実でどこまで確かめられるのか。事典と渋沢史料館の説明から、年を追って並べます。
- 1864年(元治元年)|渋沢が一橋家に仕える(のち、慶喜の将軍就任とともに幕臣に)
- 1867年(慶応3年)|将軍慶喜の名代としてパリ万博へ向かう弟・徳川昭武に随行して渡欧
- 明治元年11月(1868年12月)|昭武が幕府倒壊の報を受けて帰国し、最後の水戸藩主に
- 1875年6月|渋沢が静岡の慶喜を訪ねる(戸定歴史館の年表)
- 1893年ごろ|渋沢が慶喜の伝記の編纂を企図。1918年(大正7年)に『徳川慶喜公伝』全8巻を刊行
参考:渋沢栄一(日本大百科全書ほか)|コトバンク
参考:徳川昭武(ブリタニカほか)|コトバンク
参考:徳川慶喜・昭武関係年表 二(1869-1897)|松戸市 戸定歴史館
参考:『徳川慶喜公伝』と渋沢栄一(収蔵品展2013)|渋沢史料館
渋沢が一橋家に仕えてから、慶喜の伝記が完成するまで54年。慶喜が亡くなった1913年のあとも、渋沢の仕事は続きました。二人の関係は、大河1作の軸になるだけの長さを持っていたのです。
将軍をやめたあとの慶喜も、この作品のあらすじに出てきます。第26話「篤太夫、再会する」では、パリから戻った篤太夫(栄一)が、駿府で謹慎している慶喜への謁見を願い出ます。
第39話「栄一と戦争」では、明治37年(1904年)に倒れた栄一を慶喜が見舞い、栄一らが慶喜の伝記の編纂を始めます。第40話の出演者欄にも、徳川慶喜役の草彅剛さんの名があります。
参考:青天を衝(つ)け 第26話「篤太夫、再会する」|ザテレビジョン
参考:青天を衝(つ)け 第39話「栄一と戦争」|ザテレビジョン
ただし、ドラマの各回で二人の場面の細部がどう描かれたかまでは、あらすじからは分かりません。渋沢が『徳川慶喜公伝』を作った理由は、後半の章で史実の側から確かめます。
脇役で慶喜が登場した10作は?篤姫・八重の桜・西郷どん・新選組!ほか
1998年版と『青天を衝け』をのぞく10作では、慶喜は主人公の相手側や主君として登場します。確認した範囲で回の題に慶喜の名が入るのは、『篤姫』第46話「慶喜救出」と『八重の桜』第19話「慶喜の誤算」の2本です。
10作について、慶喜の登場を確かめた回と、主人公を並べます。
| 作品(放送年) | 主人公・視点 | 慶喜役 | 慶喜の登場を確かめた回・記述 |
|---|---|---|---|
| 竜馬がゆく(1968年) | 坂本龍馬 | 尾上辰之助さん | あらすじ「ついには徳川慶喜に大政奉還を決断させる」。第29話(7月21日)のクレジット |
| 勝海舟(1974年) | 勝海舟 | 津川雅彦さん | キャスト一覧。同作には小栗上野介役の原保美さんも |
| 花神(1977年) | 大村益次郎 | 伊藤孝雄さん | 第46話「京の軍務官」(11月13日) |
| 翔ぶが如く(1990年) | 西郷隆盛・大久保利通 | 三田村邦彦さん | 第26話「討幕への道」(7月8日) |
| 新選組!(2004年) | 近藤勇 | 今井朋彦さん | 第43話「決戦、油小路」(10月31日) |
| 篤姫(2008年) | 篤姫 | 平岳大さん | 第46話「慶喜救出」(11月16日) |
| 龍馬伝(2010年) | 坂本龍馬 | 田中哲司さん | キャスト一覧 |
| 八重の桜(2013年) | 新島八重(会津) | 小泉孝太郎さん | 第19話「慶喜の誤算」(5月12日)。役名は「一橋(徳川)慶喜」 |
| 花燃ゆ(2015年) | 文(吉田松陰の妹) | 森慎太郎さん | 第25回(6月21日)。二条城の参預会議の場面。役名は「一橋慶喜」 |
| 西郷どん(2018年) | 西郷隆盛 | 松田翔太さん | 第15話「殿の死」(4月22日)。役名は「一橋慶喜」 |
参考:篤姫 第46話「慶喜救出」|ザテレビジョン
参考:八重の桜 第19話「慶喜の誤算」|ザテレビジョン
参考:西郷どん 第15話「殿の死」|ザテレビジョン
回の題に慶喜の名が入る2本は、題から見るかぎり、慶喜が物語を動かす側にいる回です。ただし各回の中身は確認していないため、慶喜がどんな人物として描かれたかは、この表からは言えません。
『竜馬がゆく』のあらすじにある「大政奉還を決断させる」という一文は、龍馬の側から見た慶喜の位置を示しています。『勝海舟』には小栗上野介(原保美さん)も出ていました。慶喜と小栗が同じ大河に登場した例です。
『八重の桜』『西郷どん』は各話のキャスト情報で、『花燃ゆ』は出演報道で、それぞれ「一橋(徳川)慶喜」「一橋慶喜」という役名を確認できます。その回は、将軍になる前の一橋家の当主として登場していたことが分かります。
『花燃ゆ』の第25回については、お笑いナタリーの記事が「短いシーン」と森さんのコメントを添えて伝えています。
同じ大河の多くには勝海舟も登場していて、1974年の渡哲也さんから2027年の大沢たかおさんまでの勝海舟役は、別の記事で一覧にしています。
2027年『逆賊の幕臣』に徳川慶喜は出る?配役の現状と小栗忠順との史実の接点
2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の徳川慶喜役は、2026年10月15日の時点で発表されていません。2026年10月9日の出演者発表第8弾(吉田松陰・高杉晋作・島津久光・島津斉彬)まで、慶喜の名はありません。
参考:松坂桃李主演のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」 中村倫也が吉田松陰役、寛一郎は高杉晋作役に|映画.com
一方で、徳川家と幕府側の配役は進んでいます。父の徳川斉昭を柄本明さん、13代将軍の家定をふかわりょうさん、14代将軍の家茂を神尾楓珠さんが演じます。
- 徳川家慶(12代将軍)|宅麻伸さん
- 徳川家定(13代将軍)|ふかわりょうさん
- 徳川家茂(14代将軍)|神尾楓珠さん
- 徳川斉昭(慶喜の父)|柄本明さん
- 阿部正弘|岩田剛典さん。井伊直弼|岡部たかしさん
- 鳥居耀蔵|北村一輝さん。勝海舟|大沢たかおさん
参考:2027年大河ドラマ「逆賊の幕臣」新キャスト発表!(第5次)|ステラnet
参考:2027年大河ドラマ「逆賊の幕臣」会見 新たに5人が出演決定!(第3次)|ステラnet
参考:大河ドラマ「逆賊の幕臣」|ステラnet
12代から14代までの将軍と、慶喜の父が配役ずみです。15代の慶喜がどう扱われるかは、発表を待つほかありません。出るかどうかは、ここでは推測せずに置きます。
史実の側では、小栗忠順と慶喜の接点は日付で確かめられます。小栗は慶喜のもとで勘定奉行を務め、慶喜が江戸に戻った3日後に職を解かれました。
茨城県立歴史館は、慶喜が鳥羽・伏見の敗報を受けて慶応4年1月6日の夜に大坂城を出、8日に出帆、12日(1868年2月5日)に江戸に着いたと記します。小栗の御役御免は1月15日(1868年2月8日)です。
参考:Ⅴ 徳川慶喜と戊辰戦争(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館
参考:小栗上野介忠順の略歴|東善寺
事典は小栗について、ブリタニカ国際大百科事典が「大政奉還に反対して、慶応4(1868)年1月免官」、改訂新版 世界大百科事典が「戊辰戦争では徳川慶喜に抗戦を進言したが入れられず」と書きます。
反対や献策の中身は、今回確認した事典には書かれていません。
参考:小栗忠順(ブリタニカ国際大百科事典・改訂新版 世界大百科事典ほか)|コトバンク
慶喜と小栗が同じ大河に出た例は、1974年の『勝海舟』にあります(津川雅彦さんと原保美さん)。『逆賊の幕臣』で慶喜役が発表されたら、この章と、発表ずみの配役を整理した相関図の記事を同時に更新します。
小栗忠順が遣米使節や横須賀製鉄所で何を担ったのかは、生涯と功績をまとめた記事でたどれます。
徳川慶喜の生涯の節目を史実で確認!二条城・大坂城・静岡・渋沢
ここからは、慶喜の生涯の節目となる4つの場面を選び、史実の側で何が確かめられるかを見ます。大河で描かれていると確認できたものは、各節の冒頭に書きます。
各場面の日付は、事典と松戸市戸定歴史館・茨城県立歴史館の年表でそろえました。
| 場面 | 史実の日付 | 確かめられたこと |
|---|---|---|
| 二条城の大政奉還 | 慶応3年10月14日(1867年11月9日)上表、15日勅許 | 12日に老中以下へ決意を伝え、13日に在京諸藩の重臣へ諮問。上表は高家の大沢基寿が提出 |
| 大坂城を出て江戸へ | 慶応4年1月6日(1868年1月30日) | 軍艦の開陽丸で海路江戸へ。松平容保・松平定敬を伴う。2月12日に寛永寺で謹慎 |
| 静岡の謹慎と暮らし | 1868年9月9日(慶応4年7月23日)に宝台院へ | 明治2年9月28日(1869年)に謹慎解除。1897年11月に東京へ戻るまで約29年 |
| 渋沢栄一との関係 | 1864年の一橋家仕官から1918年の『徳川慶喜公伝』刊行まで | 1875年6月に渋沢が静岡を訪問。伝記は慶喜の没後に完成 |
大河で扱われていると題やあらすじで確かめられたのは、大政奉還(『竜馬がゆく』)、江戸へ戻ったあとの謹慎(1998年版の第48話)、静岡の慶喜と渋沢(『青天を衝け』第26話・第39話)です。
二条城の大政奉還は、どこまで史実どおり?
大政奉還は、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に慶喜が上表し、翌15日に勅許されました。上表の前の12日に二条城で老中以下へ決意を伝え、13日に在京諸藩の重臣を二条城に集めて諮問しています。
大政奉還を扱うと確認できた作品は、1998年版(総集編第四部の題が「大政奉還」)と、『竜馬がゆく』(NHKのあらすじ)です。
二条城の場面そのものは未確認です。
二条城の公式サイトは、大政奉還が表明された場所を二の丸御殿の大広間(一の間・二の間)と説明します。茨城県立歴史館によれば、上表を朝廷へ運んだのは高家の大沢基寿で、15日に慶喜は小御所で勅許の御沙汰書を受けました。
参考:二の丸御殿・庭園|元離宮二条城(京都市)
参考:Ⅳ 徳川慶喜大政奉還する(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館
13日の集まりについて、京都市の幕末コラム(青山忠正氏)は、10万石以上の50家のうち42家が出席し、慶喜が直接対面したのは薩摩・土佐・芸州・備前・宇和島の5藩の重臣6人だけだったと書いています。
参考:幕末コラム 第7回「慶喜は姿を見せたか?」(青山忠正)|京都市 大政奉還150周年記念プロジェクト
つまり13日に二条城へ集まったのは藩主ではなく重臣で、慶喜が顔を合わせた相手も限られていました。
大広間で大名を前に語る形ではなかった、と読めます。
大政奉還そのものの経過と、事典ごとの解釈の違いは、別の記事で詳しく書いています。
また、大政奉還で政権の移り変わりが終わったわけではありません。このあと12月9日(1868年1月3日)の王政復古の大号令、翌慶応4年1月(1868年1月)の鳥羽伏見の戦いと続きます。
大政奉還の意図は事典ごとに解釈が分かれます。慶喜AIにも断定させません。

慶喜さん、10月13日の二条城です。10万石以上の50家のうち42家が重臣を出したのに、あなたが直接会ったのは5藩の6人だけだったそうですね。ほかの家は、顔も見ずに帰ったのですか。

12日に老中以下へ伝え、13日に在京の重臣を集めて諮った。直に顔を合わせたのは、薩摩・土佐・芸州・備前・宇和島の6人。それは記録のとおりじゃ。
大広間で諸侯を前に声を張る将軍を、そなたは見たかったようじゃな。生憎と、予はそういう芝居を好まぬ。
好まぬことと、あの日なぜ6人であったかは、別の話じゃがのう。
大坂城を出て開陽丸で江戸へ戻った日は?
慶喜が大坂城を出たのは、鳥羽伏見の戦いが終わった慶応4年1月6日(1868年1月30日)です。戸定歴史館の年表はこの日に「敗報を聞き、大阪城を脱出して海路江戸に向かう」と記し、乗った船は軍艦の開陽丸でした。
参考:徳川慶喜・昭武関係年表 一(1837-1869)|松戸市 戸定歴史館
参考:開陽丸(日本大百科全書)|コトバンク
1998年版は第47話「朝敵」、第48話「恭順謹慎」と続きますが、大坂城を出る場面の描き方は未確認です。ここでは史実の側だけを書きます。
茨城県立歴史館は、6日夜の脱出、8日の出帆、12日の江戸着と日を追って記します。江戸では2月12日(1868年3月6日)に江戸城を出て上野の寛永寺に移り、謹慎しました。
参考:Ⅴ 徳川慶喜と戊辰戦争(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館
同行者は記録で確かめられます。勝海舟は1月11日の日記に「会津侯桑名侯ともに御供中にあり」と書き、会津藩主の松平容保と桑名藩主の松平定敬が慶喜とともに江戸へ戻ったことが分かります。
参考:日記の世界 勝海舟:慶応4年1月11日|国立国会図書館 憲政資料室
城を出た理由は、今回見た事典には書かれていません。茨城県立歴史館は、暴発を恐れた慶喜が容保と定敬を側から放さず江戸へ引き連れて帰った、と説明します。本記事はこれを歴史館の説明として示し、慶喜本人の理由としては書きません。
参考:ⅩⅠ 徳川慶喜をめぐる人々(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館
鳥羽伏見の戦いの経過と、慶喜が江戸へ戻ったあとの動きは、別の記事で詳しくたどっています。

慶喜さん、開陽丸で江戸に着いたのが1月12日。その3日後の15日に、小栗忠順が勘定奉行を解かれています。船を降りてすぐ、ですね。

小栗の抗戦の献策を、予は容れなんだ。15日に小栗が職を解かれたのも、記録のとおりじゃ。
3日が早いか遅いかは、勘定する者の立つ場所で変わる。小栗なら、もっと細かく数えたであろうな。
なぜ容れなんだか、なぜ城を出たか。言い切れぬことを、言い切らぬのが予の流儀じゃ。2月12日に江戸城を出て寛永寺に入った。そこから先、予の話は急に静かになる。
静岡で暮らした約29年は、何をしていた?
慶喜は1868年9月9日(慶応4年7月23日)に静岡の宝台院に入り、1897年11月16日に静岡を発つまで、約29年をこの地で暮らしました。
茨城県立歴史館は、謹慎が解けたあとも時局や世事に関わることを避け、もっぱら趣味の生活を送ったと記します。
参考:Ⅶ 徳川慶喜静岡へ謹慎する(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館
この時期の慶喜は、『青天を衝け』に出てきます。第26話のあらすじでは、パリから戻った篤太夫が、駿府で謹慎している慶喜への謁見を願い出ます。
静岡での住まいの移り変わりを、年表で確かめます。
| 年月 | 住まい・出来事 |
|---|---|
| 1868年9月9日(慶応4年7月23日) | 清水港に上陸し、その夕に宝台院へ。慶応4年4月(1868年5月)から水戸の弘道館で謹慎していた |
| 明治2年9月28日(1869年) | 謹慎解除。10月5日に紺屋町の元代官屋敷へ移る |
| 1875年6月 | 渋沢栄一が訪ねてくる。同じ月に瀬名村で狩猟 |
| 1888年3月6日 | 西草深町の邸へ。東海道線が開通する前の年 |
| 1897年11月16日 | 静岡を発ち、19日に東京の巣鴨邸へ |
| 1898年3月2日 | 初めて参内し、天皇・皇后に拝謁 |
参考:徳川慶喜・昭武関係年表 二(1869-1897)|松戸市 戸定歴史館
参考:徳川慶喜・昭武関係年表 三(1897-1913)|松戸市 戸定歴史館
参考:2「徳川慶喜公屋敷跡」石柱(紺屋町慶喜邸跡)|静岡県立中央図書館
趣味は記録が具体的です。油絵は静岡に移ってまもなく中島鍬次郎に学び、「日本風景」「西洋風景」の2点は2022年12月2日に静岡県の有形文化財に指定されました。
写真は1871年に浅沼藤吉店の顧客となり、「麦刈」「俵詰」「弁天島より鉄橋を望む」などの作品名が伝わります。
参考:Ⅹ 徳川慶喜の趣味,才能,学問(徳川慶喜事典)|茨城県立歴史館
参考:日本風景〈徳川慶喜筆/油絵 絹〉|しずおか文化財ナビ(静岡県)
ほかに狩猟、放鷹、弓、打毬があり、1888年の年表には「自転車で運動する」という記事もあります。静岡県立中央図書館は、紺屋町の屋敷に小川治兵衛に命じて造らせた回遊式の池があり、現在の浮月楼の庭園に残ると説明します。
「静岡で30年」とよく言われますが、宝台院に入ってから東京へ移るまでは約29年です。静岡県立中央図書館の「およそ30年間」、山川 日本史小辞典の「30年間閑居」は、いずれも概数として読みます。
参考:地域資料特集展示「徳川慶喜と静岡」|静岡県立中央図書館

慶喜さん、静岡で撮った写真の題が伝わっています。『麦刈』『俵詰』、それに『弁天島より鉄橋を望む』。元の将軍が、麦刈りを撮っていたのですね。

1871年に浅沼藤吉の店の客となってからの道楽じゃ。麦も俵も鉄の橋も、頼まずとも動かずにおってくれる。大名よりよほど写しやすい。
元の将軍が麦刈りを、と申したな。将軍は城と戦のなかに置いておかねば、物語の収まりがつかぬらしい。
いま問われれば、人より麦のほうが気楽じゃ、と答えておこうか。鉄の橋は、その中間じゃな。
渋沢栄一はなぜ『徳川慶喜公伝』を作った?
渋沢栄一が慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』の編纂を思い立ったのは1893年(明治26年)ごろで、完成は25年後の1918年(大正7年)、慶喜の没後でした。
渋沢史料館は、編纂の目的を、明治維新における慶喜の真意を後世に伝えるためだったと説明しています。
参考:『徳川慶喜公伝』と渋沢栄一(収蔵品展2013)|渋沢史料館
参考:史料館だより45号『徳川慶喜公伝』と渋沢栄一|渋沢史料館
『青天を衝け』でも、第39話のあらすじに、栄一らが慶喜の伝記の編纂を始めるくだりがあります。伝記の編纂は、その関係が史実の側でたどり着いた先にあたります。
経緯は、渋沢史料館の史料館だよりが詳しく書いています。
- 1893年(明治26年)ごろ|渋沢が編纂を企図。当初は福地源一郎に執筆を頼むが、福地の多忙と病気で中断
- 1907年(明治40年)|三上参次・萩野由之を監修者に迎えて再開
- 1915年(大正4年)|慶喜への聞き取りの記録『昔夢会筆記』を渋沢栄一編で刊行
- 1918年(大正7年)|『徳川慶喜公伝』全8巻を竜門社から刊行
- 1923年(大正12年)|関東大震災で編纂資料の大部分が焼失。『昔夢会筆記』の原本も含まれる
参考:昔夢会筆記 : 徳川慶喜公回想談(東洋文庫76)|国立国会図書館サーチ
『昔夢会筆記』は慶喜本人の回想を聞き取った記録ですが、本記事はこの書物の本文を確認しておらず、そこに載る慶喜の発言を引くことはしません。

慶喜さん、渋沢栄一は1893年ごろ、あなたの伝記を企てました。完成は25年後の1918年、あなたが亡くなって5年あとです。全8巻になりました。

8巻に25年とな。予が静岡で暮らした年月と、さほど変わらぬ長さを費やしたか。
渋沢は元治元年に一橋の家へ来て、予が将軍を継ぐとともに幕臣となり、慶応3年には弟の昭武に随ってパリへ渡った者じゃ。1875年の6月には、静岡まで訪ねてもきた。
一度始めると止まらぬ男であったらしいのう。何を書かれたかは、予の知らぬ世の本じゃ。

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よくある質問(FAQ)
徳川慶喜を演じた大河ドラマの俳優は何人いますか?
子役を除いて12作・12人です。1968年『竜馬がゆく』の尾上辰之助さんから、2021年『青天を衝け』の草彅剛さんまでです。作品と放送年はNHKの作品ページ、慶喜役はクレジットと報道で確かめました。
徳川慶喜が主人公の大河ドラマはありますか?
1998年の『徳川慶喜』だけです。本木雅弘さんが演じ、全49回が1998年1月から12月に放送されました。原作は司馬遼太郎の小説『最後の将軍 徳川慶喜』です。
1998年の大河『徳川慶喜』の原作・スタッフは?
原作は司馬遼太郎『最後の将軍 徳川慶喜』、脚本は田向正健、音楽は湯浅譲二、語りは大原麗子です。総集編はDVD全2枚で、第一部「黒船が来た」から第四部「大政奉還」までの4部構成です。
『青天を衝け』で徳川慶喜を演じたのは誰ですか?
草彅剛さんです。NHK ONEの番組ページの出演者欄に「徳川慶喜 俳優 草彅 剛」と載っています。主人公・渋沢栄一の主君として登場し、全41回が2021年2月から12月に放送されました。
将軍をやめたあとの慶喜は、大河ドラマで描かれていますか?
描かれています。『青天を衝け』では、第26話で駿府の慶喜への謁見を栄一が願い出て、第39話では明治37年に倒れた栄一を慶喜が見舞います。1998年版は、第48話が「恭順謹慎」、最終回が「無血開城」です。
2027年の大河『逆賊の幕臣』で徳川慶喜を演じるのは誰ですか?
2026年10月15日の時点で発表されていません。2026年10月9日の出演者発表第8弾まで、慶喜役の名はありません。父の徳川斉昭は柄本明さん、13代将軍家定はふかわりょうさん、14代将軍家茂は神尾楓珠さんが演じます。
松田翔太さんは2つの大河で将軍を演じたのですか?
そうです。『篤姫』(2008年)で14代将軍の徳川家茂を、『西郷どん』(2018年)で一橋慶喜を演じました。『西郷どん』の役名は、第15話「殿の死」のクレジットで「一橋慶喜」と確かめられます。
徳川慶喜は静岡で何年暮らしましたか?
約29年です。1868年9月9日(慶応4年7月23日)に宝台院に入り、1897年11月16日に静岡を発って東京へ移りました。「30年」とする資料は概数です。
インタビュー後記 46年を、一覧表のあとで
歴代の慶喜役を調べ始めたとき、私の手元にあったのは、一覧サイトに並ぶ12人の名前でした。NHKアーカイブスの作品ページを1作ずつ開くと、慶喜役の名前は載っていません。載っているのは、作品名と放送年と主な出演者だけです。
そこから各話のクレジットやキャスト一覧へ降りて、12人を確かめました。
大政奉還から亡くなるまで、慶喜は46年を生きました。その46年は、戸定歴史館と茨城県立歴史館の年表が、月日まで追える形で残していました。
将軍をやめたあとの46年にも、月日まで追える記録が残っていました。油絵の作品名、写真店の顧客になった年、自転車の記事。
将軍退任後の46年を中心に据えた大河を、私は見てみたい。『青天を衝け』が脇から描いた時間を、正面から。12人を調べ終えて残った、率直な意見です。
『逆賊の幕臣』で慶喜役が発表されたら、この記事の表に1行を足します。その俳優が演じる慶喜が、どの時期の慶喜なのか。それも、放送を見てから書きます。

慶喜さん、今日はありがとうございました。あなたを演じた俳優は、私たちの時代で12人になりました。静岡のあなたも、明治37年に渋沢を見舞うあなたも、『青天を衝け』に出てきます。ただ、そこでの主人公は渋沢でした。

12人とな。……静岡の予は、渋沢の話の脇に出てくるわけか。
静岡の29年のせいか、いまは急ぐ気が起きぬ。1897年11月16日に静岡を発ち、翌年3月2日に参内した。政を返してから30年あまり経っておったが、長いか短いかの勘定は、小栗にでも任せておこう。
して、そなたは。13人目が出るとして、その者にどの予を演じさせたいのじゃ。

将軍をやめたあとの46年を、真ん中に据えた大河を見てみたいです。脇からなら、もう描かれていますから。

麦刈りを撮る男を眺めて喜ぶ者が、そなたのほかにおるかのう。
……まあ、よい。脇から覗かれるのには慣れておる。13人目くらいは、真ん中で麦を撮らせてもよかろう。
あなたなら、12人の慶喜のうち、どの慶喜から見始めますか。
参考資料
- NHKアーカイブス「大河ドラマ全史(作品一覧)」※全作品の作品名・回数・放送期間・原作・主な出演者の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 徳川慶喜|大河ドラマ全史」※第37作、全49回、1998年1〜12月、原作・脚本・音楽・語り、あらすじ「慶喜の苦悩と葛藤の半生」の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 竜馬がゆく|大河ドラマ全史」※全52回・1968年、あらすじ「ついには徳川慶喜に大政奉還を決断させる」の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 勝海舟|大河ドラマ全史」※全52回・1974年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 花神|大河ドラマ全史」※全52回・1977年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 翔ぶが如く|大河ドラマ全史」※全48回・1990年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 新選組!|大河ドラマ全史」※全49回・2004年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 篤姫|大河ドラマ全史」※全50回・2008年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 龍馬伝|大河ドラマ全史」※全48回・2010年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 八重の桜|大河ドラマ全史」※全50回・2013年・主人公(新島八重)の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 花燃ゆ|大河ドラマ全史」※全50回・2015年・主人公(吉田松陰の妹・文)の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 西郷どん|大河ドラマ全史」※全47回・2018年の根拠
- NHKアーカイブス「大河ドラマ 青天を衝け|大河ドラマ全史」※全41回・2021年2〜12月、あらすじ「徳川最後の将軍・慶喜と出会い、運命が大きく変わっていく」の根拠
- NHK ONE「青天を衝(つ)け」※出演者欄「徳川慶喜 俳優 草彅 剛」、番組説明「最後の将軍・徳川慶喜との出会いで人生が転換」の根拠
- NHKエンタープライズ「大河ドラマ 徳川慶喜 総集編 DVD 全2枚」※総集編の第一部〜第四部の題と出演者の根拠
- ザテレビジョン「竜馬がゆく 第29話(1968年7月21日)」※尾上辰之助=徳川慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「勝海舟 出演者・キャスト一覧」※津川雅彦=徳川慶喜役、原保美=小栗上野介役の根拠
- ザテレビジョン「花神 第46話『京の軍務官』(1977年11月13日)」※伊藤孝雄=徳川慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「翔ぶが如く 第26話『討幕への道』(1990年7月8日)」※三田村邦彦=徳川慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「徳川慶喜(ドラマ)出演者・キャスト一覧」※本木雅弘=徳川慶喜、菅原文太=徳川斉昭、石田ひかり=美賀、深津絵里=篤子、坂東八十助=勝海舟の根拠
- ザテレビジョン「新選組! 第43話『決戦、油小路』(2004年10月31日)」※今井朋彦=徳川慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「篤姫 第46話『慶喜救出』(2008年11月16日)」※平岳大=徳川慶喜役、松田翔太=徳川家茂役の根拠
- ザテレビジョン「龍馬伝 出演者・キャスト一覧」※田中哲司=徳川慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「八重の桜 第19話『慶喜の誤算』(2013年5月12日)」※小泉孝太郎=一橋(徳川)慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「西郷どん 第15話『殿の死』(2018年4月22日)」※松田翔太=一橋慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「徳川慶喜 第49話『無血開城』」※1998年版の最終回の題、第47話「朝敵」・第48話「恭順謹慎」の根拠
- ザテレビジョン「青天を衝(つ)け 第26話『篤太夫、再会する』」※駿府で謹慎する慶喜への謁見を願い出るあらすじの根拠
- ザテレビジョン「青天を衝(つ)け 第39話『栄一と戦争』」※明治37年に栄一を見舞う慶喜、伝記の編纂を始めるあらすじの根拠
- ザテレビジョン「青天を衝(つ)け 第40話『栄一、海を越えて』」※出演者欄の徳川慶喜役の根拠
- ザテレビジョン「青天を衝け 出演者・キャスト一覧」※草なぎ剛=徳川慶喜、板垣李光人=徳川昭武、堤真一=平岡円四郎の根拠
- お笑いナタリー「どぶろっく、大河ドラマ『花燃ゆ』出演!森は一橋慶喜役、江口は島津久光役」(2015年5月2日)※第25回(6月21日放送)、二条城での参預会議の場面、森(どぶろっく)=一橋慶喜役、「短いシーン」の根拠
- お笑いナタリー「どぶろっくのプロフィール」※森慎太郎さんの表記の根拠
- ステラnet「2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』新キャスト発表!宅麻伸、ふかわりょう、神尾楓珠、岩田剛典、北村一輝、柄本明、江戸城で出会う人々を演じる」※徳川家慶・家定・家茂・阿部正弘・鳥居耀蔵・徳川斉昭の配役の根拠
- ステラnet「2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』会見 新たに北村有起哉、鈴木京香、上白石萌音、岡部たかし、中村雅俊の5人が出演決定!」※井伊直弼(岡部たかしさん)の配役の根拠
- ステラnet「大河ドラマ『逆賊の幕臣』」※配役発表の一覧、勝海舟(大沢たかおさん)の配役の根拠
- 映画.com「松坂桃李主演のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』 中村倫也が吉田松陰役、寛一郎は高杉晋作役に」(2026年10月9日)※出演者発表第8弾の4人、慶喜役の記載がないことの根拠
- 美術展ナビ「【逆賊の幕臣】出演者発表第8弾 薩長の主要人物たち」(2026年10月9日)※同上
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像 徳川慶喜」※生没年月日・経歴・1902年公爵の根拠
- コトバンク「徳川慶喜」(日本大百科全書・山川 日本史小辞典・デジタル版 日本人名大辞典+Plusほか)※経歴、「30年間閑居」、趣味(放鷹・油絵・写真)、満76歳(人名大辞典の77歳は数え年)の根拠
- コトバンク「大政奉還」(改訂新版 世界大百科事典・百科事典マイペディアほか)※10月14日上表・15日勅許、1867年11月9日、12日の二条城での決意表明の根拠
- コトバンク「開陽丸」(日本大百科全書)※「前将軍徳川慶喜を乗せて大坂から江戸に帰港」の根拠
- コトバンク「渋沢栄一」(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典ほか)※1864年に一橋家に仕える、将軍就任とともに幕臣、1867年の渡欧、『徳川慶喜公伝』の根拠
- コトバンク「徳川昭武」(ブリタニカ国際大百科事典ほか)※将軍慶喜の名代としてパリ万博へ、渋沢篤太夫(栄一)の随行、明治元年11月帰国、最後の水戸藩主の根拠
- コトバンク「小栗忠順」(ブリタニカ国際大百科事典・改訂新版 世界大百科事典ほか)※「大政奉還に反対して、慶応4(1868)年1月免官」「抗戦を進言したが入れられず」の根拠
- 松戸市 戸定歴史館「徳川慶喜・昭武関係年表 一(1837-1869)」※1月6日「敗報を聞き、大阪城を脱出して海路江戸に向かう」、2月12日寛永寺、4月11日水戸へ、7月19日駿府へ、明治2年9月28日謹慎解除の根拠
- 松戸市 戸定歴史館「徳川慶喜・昭武関係年表 二(1869-1897)」※10月5日紺屋町、1871年の写真店、1875年6月の渋沢の訪問と瀬名村の狩猟、1888年の自転車の記事と西草深への転居、1897年11月16日に静岡を発つことの根拠
- 松戸市 戸定歴史館「徳川慶喜・昭武関係年表 三(1897-1913)」※1897年11月19日巣鴨邸、1898年3月2日初参内、1913年11月22日没の根拠
- 茨城県立歴史館「Ⅳ 徳川慶喜大政奉還する」(徳川慶喜事典)※13日の諮問、上表を提出した大沢基寿、15日の小御所での御沙汰書の根拠
- 茨城県立歴史館「Ⅴ 徳川慶喜と戊辰戦争」(徳川慶喜事典)※6日夜の大坂城脱出・8日出帆・12日江戸着の根拠
- 茨城県立歴史館「Ⅶ 徳川慶喜静岡へ謹慎する」(徳川慶喜事典)※7月23日の清水港上陸と宝台院、明治2年9月28日の謹慎解除と10月5日の紺屋町、1888年3月6日の西草深、「時局・世事に係わることは避け,もっぱら趣味の生活」の根拠
- 茨城県立歴史館「Ⅹ 徳川慶喜の趣味,才能,学問」(徳川慶喜事典)※油絵の師・中島鍬次郎、写真の作品名「麦刈」「俵詰」「弁天島より鉄橋を望む」、弓・打毬・狩猟の根拠
- 茨城県立歴史館「ⅩⅠ 徳川慶喜をめぐる人々」(徳川慶喜事典)※正室・美賀(初め延)、容保・定敬を「側から放さず,江戸へ引き連れて帰った」の根拠
- 静岡県立中央図書館「2『徳川慶喜公屋敷跡』石柱(紺屋町慶喜邸跡 浮月楼の角)~今に残る名園~」※10月5日の転居、小川治兵衛の庭園が浮月楼に残ること、1888年3月6日の西草深への転居の根拠
- 静岡県立中央図書館「7『徳川慶喜公屋敷跡』石柱(西草深町慶喜邸跡)~鉄道を避けて転居~」※1888年3月6日の転居、1897年11月16日まで約10年の根拠
- 静岡県立中央図書館「地域資料特集展示『徳川慶喜と静岡』」※「およそ30年間を駿府で過ごし」の根拠
- 静岡県 しずおか文化財ナビ「日本風景〈徳川慶喜筆/油絵 絹〉」※2022年12月2日の県指定有形文化財、久能山東照宮蔵の根拠
- 静岡県 しずおか文化財ナビ「西洋風景〈徳川慶喜筆/油絵 麻布〉」※同日の県指定の根拠
- 元離宮二条城(京都市)「二の丸御殿・庭園」※大政奉還が表明された大広間(一の間・二の間)の根拠
- 京都市 大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末コラム 第7回『慶喜は姿を見せたか?』」(青山忠正)※13日の二条城に10万石以上50家のうち42家が出席、慶喜が対面したのは6人だけの根拠
- 国立国会図書館 憲政資料室「日記の世界 勝海舟:慶応4年1月11日」※「会津侯桑名侯ともに御供中にあり」の根拠
- 東善寺「小栗上野介忠順の略歴」※慶応4年1月15日の御役御免の根拠
- 渋沢史料館「『徳川慶喜公伝』と渋沢栄一」(収蔵品展 2013年6月8日〜8月11日)※明治26年ごろの企図、「明治維新における慶喜の真意を後世に伝えるため」、大正7年の全8巻、関東大震災での資料焼失の根拠
- 渋沢史料館「史料館だより45号『徳川慶喜公伝』と渋沢栄一」※福地源一郎への依頼と中断、明治40年の三上参次・萩野由之による再開、『昔夢会筆記』原本の焼失の根拠
- 国立国会図書館サーチ「徳川慶喜公伝 三」(渋沢栄一 著、竜門社、1918)※刊行年・出版者・8冊の根拠
- 国立国会図書館サーチ「昔夢会筆記 : 徳川慶喜公回想談」(東洋文庫76、平凡社、1967、大久保利謙校訂)※書誌と「下巻 大正四年四月刊」の根拠







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