二宮尊徳の名言・伝承27選|尊徳AIと『二宮翁夜話』の原文をたどってみた

ninomiya meigen eyecatch 名言

二宮尊徳の名言を調べはじめて、最初に手が止まりました。この人は、自分の思想を書いた本をほとんど残していないのです。

世に「二宮尊徳の言葉」として並んでいるものの多くは、門人が聞き書きし、後に整理したものです。『二宮翁夜話』は福住正兄が、『報徳記』は富田高慶が編みました。どちらも尊徳の著述ではありません。

この記事の結論

そこで気になったのが、もっとも広く引かれている一句です。「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」。対句の要になる「寝言」と「罪悪」が、夜話の本文に一度も出てきませんでした

今回は27件を集めて、『二宮翁夜話』の正編と続篇を通して読み、出どころをたどりました。結果は次のとおりです。

  • 19件
    『二宮翁夜話』に原文を確認できた
  • 5件
    出典の所在まで特定できなかった
  • 0件
    「寝言」「罪悪」「犯罪」が夜話の全文に出てくる回数

「確認できなかった」は「その言葉が存在しない」という意味ではありません。本記事が当たれなかった資料は、まだたくさんあります。あくまで調査範囲の報告です。

各項目には「出典・解釈・現代へのヒント」の表と解説を添えました。番外編では、薪を背負った金次郎が何を読んでいたのかを『報徳記』の原文までたどります。

語り手として尊徳AI(二宮尊徳をモデルにしたAI)にも登場してもらいます。ただし尊徳AIの発言も、伝わっている言葉の意味をもとに構成した創作です。

※以下の尊徳AIの発言部分は、公開されている史料をもとに二宮尊徳の人物像を再現した創作です。尊徳本人の発言を記録したものではありません。掲載する項目は、出典をたどれたものに所在を示し、本記事でたどりきれなかったものは区分Cとして明記しています。尊徳AIが語る背景や意味の説明にも創作を含みます。

筆者
筆者

本や資料でしか知らなかった尊徳さんと、こうして言葉について語り合えるとは……。少し緊張しますが、それでは尊徳さん、よろしくお願いします。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

ほう、わしの言葉の出どころを一つずつ当たってみる、とな。

物好きなことじゃ。じゃがな、そなた。先に断っておかねばならぬことがある。

わしは、自分の考えを書き並べた書物というものを、ほとんど残しておらぬ。世に伝わっておるのは、弟子どもが書き留めたものじゃ。そのつもりで聞いてくれい。

  1. 二宮尊徳の名言を読み解く前に|どんな人物だったか
  2. 『二宮翁夜話』は尊徳の言葉そのものなのか|出典の3区分
  3. 二宮尊徳の名言・伝承27選
    1. 名言①「大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり」
    2. 名言②「遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す」
    3. 名言③「人道は一日怠れば忽ちに廃す」
    4. 名言④「我が道は至誠と実行のみ」
    5. 名言⑤「我が道は勤倹譲の三つにあり」
    6. 名言⑥「譲は種々あり、今年の物を来年の為に貯ふるも則譲なり」
    7. 名言⑦「我が教は、徳を以て徳に報うの道なり」
    8. 名言⑧「貧者は昨日の為に今日勤め、昨年の為に今年勤む」
    9. 名言⑨「鳥獣は誤ても、譲心の生ずる事なし、是人畜の別なり」
    10. 名言⑩「世人皆、聖人は無欲と思へども然ず、其実は大欲にして、其大は正大なり」
    11. 名言⑪「商法は、売て悦び買て悦ぶ様にすべし、売て悦び買て喜ばざるは、道にあらず」
    12. 名言⑫「朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからず」
    13. 名言⑬「金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異らんや」
    14. 名言⑭「人々皆長ずる所あり、短なる所あるは各々免れ難き」
    15. 名言⑮「禍と福と同体にして一円なり、吉と凶と兄弟にして一円也」
    16. 名言⑯「予が示せる一円図の如し」
    17. 名言⑰「音もなくかもなく常に天地は書かざる経をくりかへしつゝ」
    18. 名言⑱「予を葬るに分を越る事勿れ、墓石を立る事勿れ、碑を立る事勿れ」
    19. 名言⑲「銘々己が家の権量を謹み、法度を審にするこそ肝要なれ、是道徳経済の元なり」
    20. 名言⑳「天つ日のめぐみ積おく無尽蔵 鍬で掘り出せ鎌でかりとれ」
    21. 名言㉑「増減は器かたむく水と見よあちらまされはこちら減るなり」
    22. 名言㉒「身命の長養は衣食住の三つにあり。衣食住の三つは田畑山林にあり」
    23. 名言㉓「積小為大(せきしょういだい)」
    24. 名言㉔「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」
    25. 名言㉕「誠実にして初めて信あり」
    26. 名言㉖「可愛くば五つ教えて三つほめ二つ叱って良き人となせ」
    27. 名言㉗「たらいの水は、向こうへ押せば自分に返ってくる」
  4. 【番外編】「道徳なき経済は罪悪であり」を、夜話の全文で探してみた
  5. 尊徳の名言として広まっている、中国古典の4句
  6. 薪を背負う二宮金次郎像は、何を読んでいたのか
  7. 27件から見えてくる3つの傾向
  8. よくある質問(FAQ)
  9. インタビュー後記|縮められた言葉の、その手前にあるもの
  10. 参考資料

二宮尊徳の名言を読み解く前に|どんな人物だったか

項目内容
名前二宮尊徳(にのみや そんとく)。諱の本来の読みは「たかのり」とされます
通称金治郎。小田原藩の公文書などでは金次郎と書かれ、今日は金次郎の表記が一般的です
生没年天明7年(1787)7月23日〜安政3年(1856)10月20日(月日はいずれも旧暦)。満69歳(数え70歳)
出身相模国足柄上郡栢山村(現・神奈川県小田原市栢山)
立場農民から小田原藩の役格を得て、のちに幕臣(御普請役)
一言でいうと荒れた村と傾いた家の帳面を立て直しつづけた、江戸後期の農政家

二宮尊徳は、相模国の百姓の家に生まれました。寛政3年(1791)に酒匂川が決壊して田地の大半が流され、寛政12年(1800)に父を、享和2年(1802)に母を亡くして一家は離散します。伯父の家に身を寄せながら田畑を買い戻し、生家を立て直しました。

その手腕が知られ、小田原藩家老の服部家の家政整理を引き受けます。さらに文政5年(1822)、下野国の桜町領という荒れた4000石の領地の復興を命じられました。

以後、烏山・下館・相馬中村など各地の仕法にたずさわり、晩年は幕臣として日光神領の復興にあたります。安政3年(1856)、下野国今市(現・栃木県日光市)で亡くなりました。

通称の表記について、報徳博物館は「名は金治郎であったが、34〜35歳のころから小田原藩で金次郎と書くようになり、公文書ではほとんどそうなった。しかし自筆の日記や私信では、始終金治郎と書かれている」と説明しています。

ただし今市の墓碑は「二宮金次郎尊徳之墓」です。どちらかを誤りとは言えません。

筆者
筆者

まずは尊徳さんがどんな時代を生きたのか、簡単に教えてください。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

飢饉の続いた時代であった。天明に一度、天保にもう一度。田は荒れ、村からは人が減り、どこの領地も借金を抱えておった。

わしがやったのは、難しい話ではない。まずその村に何がどれだけあるかを数え、身のほど(分度)を定め、余った分を先に回す。それだけのことじゃ。

ただな、そなた。数えるのが何より骨が折れる。誰も、己の懐の底は見たがらぬものでのう。

『二宮翁夜話』は尊徳の言葉そのものなのか|出典の3区分

名言を読む前に、この記事の下ごしらえを説明させてください。

本記事で取り上げた言葉の多くは、『二宮翁夜話』に由来します。門人の福住正兄が、師の身辺で暮らした期間に書き留めた『如是我聞録』を整理したものです。

正編5巻は1884年11月から1887年7月にかけて静岡報徳社から刊行されました。正編233話、続篇48話です。

ただし続篇は、正編とは刊行の時期も編集の事情も異なります。事典は続篇を1928年刊とします。

本記事が用いた翻刻テキストの底本である岩波文庫版の解題には、福住が「如是我聞録」の推敲を終えないまま残した稿を、佐々井信太郎が『二宮尊徳全集』第三十六巻の編集にあたって刪修し、目次を付けて追加したと記されています。

筆者
筆者

正編と続篇では、刊行の時期も、底本にした本も違うんですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

同じ一冊のように並んでおっても、成り立ちは違うということじゃな。

書き留めた者が推敲を終えぬまま残したものに、後の者が手を入れた。そういう来歴は、読む前に知っておいたほうがよい

中身が嘘じゃと申しておるのではない。どこまでが誰の手か、分けて読めということよ。

つまりこの本は、尊徳が書いたものではありません。正編は弟子が聞き取り、尊徳の没後およそ30年たってから刊行されたものです。続篇が世に出るのは、さらに後のことでした。

伝記の『報徳記』も同じで、こちらは門人の富田高慶が尊徳の没後に書き上げました。1880年に天覧に供され、1883年から1886年にかけて宮内省・農商務省・大日本農会などから相次いで刊行されて広く読まれます。

尊徳の伝記が広く読まれるようになるのは、この刊行より後のことです。

そこで今回は、『二宮翁夜話』の正編と続篇を通して読み、流布する言葉が本文のどこにあるのかを探しました。

区分は次の3つです。

区分どんな言葉か件数
A|『二宮翁夜話』に原文を確認できた夜話の本文に、尊徳の発言として載っている文言を確認できたもの19件
B|夜話以外の資料で文面を確認できた『道歌集』『報徳訓』に由来するものとして、別の資料で文面を確認できたもの。原典・翻刻に当たったものと、掲載サイトで文面を読んだだけのものが混在します3件
C|本記事では原典を確認できず広く流布しているが、原典の該当箇所まで本記事が確認できなかったもの5件

区分の性格を、正直に書いておきます。区分Aも「本人がその言い回しで語った」ことの証明にはなりません。弟子が書き留めた時点で、聞き手の手が入っているからです。

区分Aが示せるのは「『二宮翁夜話』本文に、尊徳の言葉としてこの文言が収録されている」までです。

区分Cについても同じです。『三才報徳金毛録』の本文は、今回一行も読んでいません。そちらに載っている可能性は残っています。

なお『二宮先生語録』と『報徳外記』は、この記事の公開後にあらためて当たりました。結果は名言㉓に反映しています。

ただし断っておきます。読んだのは翻刻の転載テキストで、原本にも刊本にも直接当たっていません

底本も正編と続篇で違います。正編は『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(岩波書店、1973年)、続篇は同書に収録されていないため岩波文庫版『二宮翁夜話』(福住正兄筆記・佐々井信太郎校訂)です。

それでも区分を分ける意味はあると考えました。読者が自分で確かめに行けるかどうかが、まるで違うからです。

筆者
筆者

弟子の方が書き留めた本が残っているのは、ありがたい話です。ただ、それは尊徳さんが書いたものではないんですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

そのとおりじゃ。わしが筆を執って世に出した書物ではない。

話した言葉というのは、書き取る者の手が入るものよ。正兄は律儀な男であったが、それでも、わしの口ぶりのままかどうかは、わしにも分からぬ。

わしの名で伝わっておるからというて、そっくりそのままわしの言葉と思わぬほうがよかろうのう。

二宮尊徳の名言・伝承27選

ここからが本題です。名言サイトに繰り返し出てくる言葉を集め、夜話の本文に原文を確認できたものを先頭に置きました

27件を選ぶときに大切にした3つのこと
  • 検索して上位に出てくる名言サイトに、繰り返し載っているものを拾う
  • 数を合わせるために、言葉を創作したり水増ししたりしない
  • 原文が文語のものは、現代語訳ではなく原文を見出しに掲げる

各名言はまず表で「出典・解釈・現代へのヒント」を一望できるようにし、そのあとに解説と、尊徳AIとの対話を添えました。それでは1つずつ見ていきましょう。

名言①「大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之一
解釈大きなことを成したいなら、小さなことを怠らずに務めなさい。小さなものが積もって大きくなるのだから
現代へのヒント大きな目標ほど、今日やる一つに分解する

尊徳の言葉として、もっとも広く知られているものの一つです。名言サイトでは現代語訳で載っていることが多いのですが、夜話の原文はこの文語です。

続けて「それ小を積めば大となる。ゆえに、小事を怠る者は大事をなすことあたわず」という趣旨が語られます。四字熟語の「積小為大」は、本記事が確認した範囲では夜話の本文に見あたりません

四字がどこに出てくるのかは、公開後の追跡で分かりました。名言㉓で触れます。

背景には、少年期の体験があるとされています。享和3年(1803)、捨てられていた苗を植えて米1俵を得たことが、この理を悟るきっかけになったと伝えられています。

筆者
筆者

尊徳さんといえば、この言葉です。捨て苗から米1俵を得たという話が知られていますね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

捨て苗を拾うて植えたら秋に一俵になった、という話じゃな。弟子どもが書き留めておるそうじゃ。

大事なのは米の量ではあるまい。捨てられていたものが、手を入れれば実る、ということよ。荒れた田も、傾いた家も、同じではないか。

大を成す道は、これよりほかに無いと思うておる。

名言②「遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之二
解釈先を見て手を打つ者は豊かになり、目先だけを見る者は貧しくなる
現代へのヒント収穫が何年も先になる仕事に、今日どれだけ時間を割けているか

この言葉は流布形と原文が違います。よく見かけるのは「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」という形ですが、夜話の原文は「遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す」です。

続きがあります。遠くを謀る者は百年のために松や杉の苗を植える。まして春に植えて秋に実るものであればなおさらだ、だから豊かになる、と語られます。

一方、近くを謀る者は目先の利に迷い、蒔かずに取り、植えずに刈り取ることばかりに目をつける、だから貧しくなると続きます。

苗を植える話が出てくるのは偶然ではありません。尊徳は寛政11年(1799)に松苗200本を買い、酒匂川の堤に備えたと年表に記されています。

筆者
筆者

百年先のために苗を植える、という話が出てきます。気の長い話です。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

気が長いのではない。順序を守っておるだけじゃ。

蒔かずに取ろうとする者は、その年は多く得るかもしれぬ。じゃが翌年は何も残らぬ。貧しさというものは、たいてい順序を飛ばしたところから始まる

松は、植えた者が伐ることはない。それでも植える。そういうものではないかのう。

名言③「人道は一日怠れば忽ちに廃す」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之一
解釈人の道は、一日怠れば、たちまち廃れてしまう
現代へのヒント続けている仕組みは、止めた翌日から崩れはじめる

尊徳は「天道」と「人道」を分けて考えました。天道は放っておいても巡りますが、人道は人が手を入れつづけなければ保てない、という考え方です。

田を例に語られます。人が手を入れなければ、田はたちまち草に覆われて元の荒地に戻る。堤も、掃除も、同じことだと説かれています。

「廃れる」と書く流布形も見かけますが、原文は「廃す」です。訓読の違いなので誤りとまでは言えませんが、原文はこの形でした。

筆者
筆者

天道と人道を分けて考えるのですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

日は勝手に昇り、草は勝手に生える。それが天道じゃ。わしらが手を貸さずともよい。

じゃが、田は違う。放っておけば、必ず元の荒地に戻る。堤も、道も、家の帳面も、みな同じよ。

一日休めば一日分だけ戻る。それを承知で休むのならよい。知らずに休むのが、何より危うい。

名言④「我が道は至誠と実行のみ」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之四
解釈自分の教えは、まごころと、それを行うことだけである
現代へのヒント方法論より先に、やりきるかどうかで差がつく

尊徳が自分の教えを短く言い切った一句です。夜話では、学問の議論に熱心で実行しない者への批判の文脈で語られています。

注意したいのは、同じ段で尊徳自身が「古語に、至誠神の如しと云」と述べていることです。「至誠神の如し」は『中庸』の「至誠如神」で、尊徳の言葉ではありません。この点はのちの章であらためて整理します。

「至誠」は報徳の教えの中心に置かれる語で、真岡市は「まごころであり、尊徳の仕法と生き方の中心」と説明しています。

筆者
筆者

至誠、つまりまごころと、実行だけ。ずいぶん短い言い切りです。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

短いほうがよい。長い教えは、覚える手間のあいだに実行を忘れる。

学者は仁だ義だとよく言うが、講じておるだけで村の田は一枚も起きぬではないか。書を読むのは、鍬を持つためよ

ただし『至誠神の如し』は、わしの言葉ではない。古語じゃ。そこは違えぬようにな。

名言⑤「我が道は勤倹譲の三つにあり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』続篇
解釈自分の教えは、勤(つとめる)・倹(つづまやかにする)・譲(ゆずる)の三つである
現代へのヒント稼ぐ・使いすぎない・回す。この三つは順番に効いてくる

夜話が、尊徳自身の要約として伝えているもっとも直接的な一句です。続篇には「勤とは衣食住になるべき物品を勤めて産出するにあり」と、それぞれの定義が続きます。

ここで一つ、食い違いがあります。名言サイトでは「至誠・勤労・分度・推譲の四綱領」という整理をよく見かけますが、この四つを並べた枠組みは夜話の本文に出てきません夜話が尊徳の言葉として伝えているのは、この「勤・倹・譲」の三つです

この四つの枠組みを、いつ誰が整理したのかは、本記事では確認できませんでした。ただし「分度」「推譲」という語そのものは、夜話に十数か所ずつ出てきます。

筆者
筆者

世間では四つで説明されることが多いのですが、尊徳さんご自身は三つと言っているんですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

三つで足りると思うておった。産み、余らせ、回す。この三つじゃ。

四つ五つと並べたほうが立派に見えるのかもしれぬがのう。増えるほど、どれか一つが抜け落ちる。

ただ、後の世で誰がどう並べ直したかは、わしの知らぬ話じゃ。

名言⑥「譲は種々あり、今年の物を来年の為に貯ふるも則譲なり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』続篇
解釈譲るにはいろいろある。今年のものを来年のために蓄えるのも、譲ることである
現代へのヒント貯蓄も「未来の自分への譲り」と考えると続きやすい

名言⑤の続きで語られる一段です。ここで尊徳は、譲る相手を順に挙げていきます。子孫に譲る、親戚や友人に譲る、郷里に譲る、国家に譲る、と広がっていきます。

この考え方は「推譲」と呼ばれます。真岡市は推譲を「将来に向けて余ったお金を家族・子孫のために貯蓄する(自譲)、または他人・社会のために譲ること(他譲)」と説明しています。

自分のために取っておくことも「譲」に含めるのが特徴的です。譲るというと他人に渡すことばかり考えがちですが、尊徳の整理では時間をまたいで自分に渡すことも同じ枠に入ります。

筆者
筆者

貯金も譲りのうち、というのは意外でした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

不思議でもあるまい。来年の己は、今年の己とは別人のようなものじゃ。飢えておるかもしれぬ。

今年のうちに一俵よけておくのは、その者への贈り物ではないか。譲るというのは、渡す先が遠いほど効いてくる

子に譲り、村に譲り、国に譲る。どこで止めてもよいが、止めたところで回るのも止まるのう。

名言⑦「我が教は、徳を以て徳に報うの道なり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之三。ただし「以徳報徳」は『論語』憲問篇
解釈自分の教えは、受けた徳に徳で報いる道である
現代へのヒント受け取ったものを、受け取った相手以外にも返していく

「報徳」という言葉そのものの説明にあたる一句です。報徳博物館によれば、この語には由来があります。

天保2年(1831)、桜町領の復興が第一期を終えたとき、小田原藩主の大久保忠真が「汝のやり方は、論語にある以徳報徳(徳をもって徳に報いる)であるなあ」と評したというのです。

つまり「報徳」の語は、『論語』憲問篇の一句から来ているとされます。尊徳の造語ではありません。

真岡市は「報徳」を、物や人そのものにそなわっている「持ちまえ、取りえ、長所、美点、価値、恵み、おかげ」などを徳として、その徳を社会に役立てていくこと、と説明しています。

筆者
筆者

報徳という言葉は、もともと『論語』から来ているんですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

殿がそう仰せられた、と伝わっておるそうじゃ。わしのやり方に名を付けてくださったわけよ。

もっとも、名が付く前から同じことをやっておった。田が実るのは田に徳があるからで、わしの手柄ではない。その徳に手を貸して、返ってくるものを大きくするだけのことじゃ。

借りた名ではあるが、よい名をいただいたと思うておる。

名言⑧「貧者は昨日の為に今日勤め、昨年の為に今年勤む」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之三
解釈貧しい者は、昨日の穴を埋めるために今日働き、去年の穴のために今年働く
現代へのヒント過去の穴埋めに追われているうちは、状況は変わらない

対句になっています。続く一文は「富者は明日の為に今日勤め、来年の為に今年勤む」です。二つを並べると、貧富の差が生まれる仕組みが見えてきます。

貧しい者は借りた分を返すために働くので、働いても手元に何も残りません。豊かな者は先のために働くので、働いた分が積み上がっていきます。同じだけ働いても、時間の向きが逆だという指摘です。

尊徳が各地の仕法で無利息の貸付けを行ったことは、この「昨日のために働く」状態と重ねて読めます。

筆者
筆者

同じだけ働いても、向きが逆だと結果が変わってしまう。厳しい指摘です。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

厳しいのは、わしの言葉ではのうて、算用のほうじゃ。

借りて利を払うておれば、いくら精を出しても手元には何も残らぬ。責めるべきはその者の怠りではない。向きのほうよ

じゃから、まず利を止めた。それから先を向いて働かせた。順序はそれしかあるまい。

名言⑨「鳥獣は誤ても、譲心の生ずる事なし、是人畜の別なり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之四
解釈鳥や獣には、間違っても譲る心は生まれない。そこが人と獣の違いである
現代へのヒント譲れるかどうかは、能力ではなく選択の問題

尊徳が「譲」をどれほど重く見ていたかが分かる一句です。譲る心があるかどうかを、人と獣を分ける線に置いています

夜話では、鳥や獣は目の前の餌を奪い合うばかりで、来年のために残すことも、他に分けることもしない、と語られます。人だけがそれをできる、という話です。

裏を返せば、譲らない人間は獣と変わらない、という厳しい指摘でもあります。ただし尊徳はここで人を責めるより、譲れる仕組みをつくるほうへ話を進めていきます。

筆者
筆者

ずいぶん厳しい言い方にも聞こえます。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

責めておるのではない。誇っておるのじゃ。

獣にはできぬことが、わしらにはできる。来年のために残し、隣に分ける。これができるというだけで、たいしたものではないか

できるのにやらぬのは惜しい、と言うておるまでよ。

名言⑩「世人皆、聖人は無欲と思へども然ず、其実は大欲にして、其大は正大なり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之五
解釈世間は聖人を無欲だと思っているが、そうではない。実は大きな欲の持ち主で、その大きさが正しく大きい
現代へのヒント欲を消そうとせず、向ける先を大きくする

名言サイトでは「凡人は小欲なり。聖人は大欲なり」という短い形で載っていることが多いのですが、これは要約です。夜話の原文はもっと長く、対になる一文が続きます。「凡夫の如きは、小欲の尤小なる物なり」です。

尊徳は欲そのものを否定していません。欲の大きさではなく、向きと範囲を問題にしています。自分一人に向かう欲は小さく、村や国に向かう欲は大きい、という整理です。

倹約を説く人物という印象が強いだけに、この一句はやや意外に響きます。

筆者
筆者

欲を否定しないんですね。倹約を説く方だと思っていました。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

欲を消せと言うたことはない。消せるものでもなかろう。

わしとて欲深い男よ。ただし、わしの欲しがったものは、己の蔵ではのうて、村の田じゃ。同じ欲でも、向ける先で名が変わる

つづまやかにせよと言うのは、欲を殺すためではない。回す分を残すためじゃ。

名言⑪「商法は、売て悦び買て悦ぶ様にすべし、売て悦び買て喜ばざるは、道にあらず」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之二
解釈商売は、売って喜び買って喜ぶようにすべきだ。売り手だけが喜んで買い手が喜ばないのは、道ではない
現代へのヒント片側だけが得をした取引は、次につながらない

名言サイトでは「商売をするときは、金を儲けようなどと考えずに」という形で載ることもありますが、夜話の原文はこちらです。

原文は貸借にも及びます。貸して喜び借りて喜ぶようにすべきで、貸し手だけが喜ぶのは道ではない、と続きます。金融の話として読むと、尊徳が各地で行った無利息貸付けの考え方につながっていきます。

商人道を説いた言葉として引かれることが多い一句ですが、尊徳自身は商人ではなく、荒れた領地の帳面を立て直す側の人でした。

筆者
筆者

売り手と買い手の両方が喜ぶ。今でいう三方よしのような考え方です。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

片方だけが悦ぶ商いは、一度きりで終わる。次がないものを商いとは呼べまい。

貸し借りも同じことよ。利を取りすぎれば、借りた者は潰れる。潰れれば返ってこぬ。取らぬほうが、まわりまわって得をする。

情けで無利息にしたのではない。算用の話じゃ。

名言⑫「朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからず」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之四
解釈朝も夕も善いことを思っていても、善い行いをしなければ善人とは言えない
現代へのヒント意図ではなく、実際にやったことで評価される

原文は対になっています。悪を思っていても悪を為さなければ悪人とは言えない、という一文が続きます。二つを並べると、尊徳が内心ではなく行いだけを見ていることが分かります。

名言④の「至誠と実行のみ」と同じ方向の教えです。心のありようを語る言葉が多い儒学のなかで、尊徳は繰り返し「行ったかどうか」に戻します。

農村の復興という仕事の性質上、思いだけでは田が起きなかったのだと思います。

筆者
筆者

思っているだけでは駄目だ、と繰り返されますね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

思うだけで田が起きるのなら、わしは二十年も桜町におらなんだ。

善を思うのは尊い。じゃが、思うたその日に一株植えねば、田は何も変わらぬ。変わったかどうかだけが、確かめられることよ

逆も言えるぞ。腹の中で人を憎んでも、何もせなんだのなら、それは悪人ではない。心の中までは誰も裁けぬからのう。

名言⑬「金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異らんや」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之三
解釈もし金銭が人々の望みどおりたくさんあったなら、砂や石と何も変わらないではないか
現代へのヒント価値は量ではなく、足りなさから生まれている

金銭の本質を突いた一句です。誰もが望むだけ金を持っていたら、金は道端の砂利と同じになってしまう、という指摘です。

尊徳は貨幣を扱う仕事を長く続けた人でした。無利息の貸付けを回し、村の分度を定め、余りを他村へ譲る。その現場から出てきた言葉だと考えると、単なる金銭訓とは違って読めます。

足りないからこそ価値がある、という見方は、分度の考え方とも重なります。限りがあるからこそ、どこで線を引くかが意味を持つわけです。

筆者
筆者

金が砂利と同じになってしまう、という言い方が面白いです。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

そなた、道端の砂利を拾って蔵にしまうかの。しまうまい。いくらでもあるからじゃ。

金が尊いのは、少ないからにほかならぬ。少ないものをどう配るかが政の仕事よ。

皆に望むだけ配れと言う者がおるが、それをやった先には砂利しか残らぬ。そう思うておる。

名言⑭「人々皆長ずる所あり、短なる所あるは各々免れ難き」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』続篇。『論語』の一句の解釈として語られています
解釈人にはそれぞれ長所があり、短所があるのは誰も免れがたい
現代へのヒント人の長所のほうと付き合う

名言サイトによく載る一句ですが、夜話では『論語』の解釈として語られています。もとになっているのは「己に如かざる者を友とする事勿れ」(無友不如己者)という句です。

自分より劣る者と交わるな、と読める『論語』の一句を、尊徳はこう読み替えます。人には誰しも長所と短所があるのだから、その人の長所のほうを友とし、短所のほうを友とするな、と。

つまりこれは尊徳オリジナルの箴言ではなく、古典の読み替えです。ただし読み替え方そのものに、この人の考え方がよく出ています。

筆者
筆者

『論語』の一句を、ずいぶん優しい方向に読み替えていますね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

己より劣る者と交わるなと読めば、村では誰とも付き合えぬではないか。

人は皆どこか長じておって、どこか足らぬ。その長じたほうと付き合えばよい、と読んだまでのこと。

荒れた村を起こすのに、選り好みをしておる暇はなかった。それだけの話かもしれぬがのう。

名言⑮「禍と福と同体にして一円なり、吉と凶と兄弟にして一円也」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之一
解釈災いと幸いは同じ体で一つの円であり、吉と凶は兄弟で一つの円である
現代へのヒント良い悪いを切り離さず、ひとつながりで見る

尊徳の思想の骨格にあたる「一円」の考え方が出てくる一句です。禍と福を対立するものと見ず、同じ円の上にあるものと捉えます。

名言サイトで見かける「一円融合」という四字熟語は、夜話の本文には出てきません。後世に整理された用語とみられますが、いつ誰によるものかは本記事では確認できませんでした。ただし「一円」という語そのものは、この句のように尊徳の言葉として筆録されています。

天保元年(1830)には「一円にみのり正しき月夜かな」という句を作ったと年表に記されています。

筆者
筆者

災いと幸いが同じ円の上にある、というのは独特な捉え方です。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

田を見ておればそう思うようになる。長雨は稲を倒すが、翌年の土を肥やすこともある。

日照りは苦しいが、日照りの年に掘った井戸が、十年後の村を助けたりもする。どちらか片方だけを取り出すことはできぬ。

円と申したのは、始まりも終わりも無いという意味じゃ。一円融合という言い方をわしがしたかどうかは、そなたらの史料でも決められぬそうじゃな。

名言⑯「予が示せる一円図の如し」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』続篇
解釈私が示した一円の図のとおりである
現代へのヒント抽象的な考えは、一枚の図にすると人に伝わる

名言⑮の考え方を、尊徳が図にして弟子に見せていたことが分かる一句です。続篇には「世界元吉凶禍福苦楽生滅なし」という趣旨が続きます。

言葉だけでなく図を使って教えたという点は、この人の教え方をよく表しています。桜町での仕法でも、村ごとの収穫を帳面に並べ、目に見える形にして示しました。

抽象的な理屈を、目で見える一枚にする。荒れた村の人々に説くには、その工夫が要ったのだと思います。

筆者
筆者

図にして見せていたんですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

言葉だけでは伝わらぬ。とくに、疲れきった村の衆にはのう。

円を一つ描いて、ここが禍、ここが福、じゃが同じ輪の上じゃ、と指して見せる。言葉で説くより、よほど早く通じたであろうと思う

帳面も同じことよ。数を並べて見せれば、皆いやでも分かる。

名言⑰「音もなくかもなく常に天地は書かざる経をくりかへしつゝ」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之一。「予が歌に」と本人に帰属して載っています
解釈音もなく香もなく、天地は常に、書かれざるお経を繰り返している
現代へのヒント大事なことほど、言葉にならない形で示されている

尊徳が詠んだ道歌として、広く知られている一首です。夜話の巻之一の冒頭近くに「予が歌に」と明記されて載っており、本人の作として筆録されています。

ただし表記に異同があります。『二宮翁道歌解』(1900年)は「かゝざる經」、『道歌集』(1897年)は「一切經」としており、初句も「音もなく」と「聲もなく」で揺れています。どれが原型かは、今回確認できませんでした。

天地の巡りそのものが経典なのだ、という考え方です。書物で学ぶことより、田畑で起きていることを読めという教えにつながります。

筆者
筆者

天地そのものがお経だ、という歌ですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

経を読むのは尊い。じゃが、経に書いてあることは、たいてい田に書いてある。

春に芽が出て秋に実る。誰も声を出して教えてはくれぬが、毎年欠かさず繰り返しておる。これを読めぬようでは、書物をいくら読んでも足りぬ。

……もっとも、この歌の言い回しも、そなたらの世では幾通りかに分かれておるそうじゃな。わしの筆のままかどうかは、分からぬのう。

名言⑱「予を葬るに分を越る事勿れ、墓石を立る事勿れ、碑を立る事勿れ」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之五(伊藤発身の記録)
解釈私を葬るのに身のほどを越えてはならない。墓石を立ててはならない。碑を立ててはならない
現代へのヒント自分に対しても、決めた基準を最後まで適用する

尊徳が自分の葬りについて語った一段です。続きがあります。土を盛り上げて、傍に松か杉を一本植えておけばよい、という趣旨です。

「分度」を生涯説いた人が、自分の葬式にも同じ基準を当てはめたことになります。他人に倹約を求めて自分は例外、ということをしなかった一例として読めます。

ただし実際には、今市の墓所には墓碑が建てられました。裏面に「二宮金次郎尊徳之墓 安政三年丙辰十月二十日」と刻まれ、昭和32年(1957)に栃木県指定史跡となっています。

筆者
筆者

結局、お墓は建てられてしまいました。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

そうであったか。まあ、残された者には残された者の都合があろうのう。

わしが言うたのは、分を越えるなということじゃ。己にだけ甘い基準を置いては、村の衆に示しがつかぬ

松か杉を一本でよいと申したそうじゃな。そのほうが後々、誰かの役に立つとも考えられるのう。

名言⑲「銘々己が家の権量を謹み、法度を審にするこそ肝要なれ、是道徳経済の元なり」

項目内容
出典区分A|『二宮翁夜話』巻之五。「権量を謹み法度を審らかにす」は『論語』堯曰篇
解釈それぞれが自分の家のはかりを正し、決まりを明らかにすることこそ肝要だ。これが道徳と経済のもとである
現代へのヒント大きな話より、自分の家計の基準を先に決める

本記事が検索した範囲で、夜話のなかで「道徳」と「経済」が隣り合う唯一の箇所です。次の章で詳しく扱いますが、有名な「道徳なき経済は罪悪であり」の対句を探して夜話を通読した結果、もっとも近かったのがこの一段でした。

ただし語られているのは、道徳と経済の対立ではありません。それぞれの家がはかりを正し、決まりを定めること、つまり分度の話です。前段では、学者は書を講じるばかりで活用を知らず、社会の役に立たないと批判されています。

なお「権量を謹み法度を審らかにす」自体は『論語』堯曰篇の句で、夜話も「古語に」と明記しています。

筆者
筆者

道徳と経済という言葉が並ぶのは、夜話でここだけでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

ほう、そこまで数えたか。物好きなことじゃ。

わしが言うたのは、天下の大事より先に、己の家の枡を正せということよ。枡が狂っておれば、どんな立派な教えも算用が合わぬ

道徳と経済を二つに分けて、どちらが上かと争う話ではない。元は一つのところにある、と申したまでじゃ。

名言⑳「天つ日のめぐみ積おく無尽蔵 鍬で掘り出せ鎌でかりとれ」

項目内容
出典区分B|『道歌集』(1897年、二宮尊親 編輯・発行、興復社蔵版)
解釈天の日の恵みが積もった無尽蔵の蔵がある。鍬で掘り出し、鎌で刈り取れ
現代へのヒント資源は与えられている。取り出す手を動かすかどうか

尊徳の道歌としてよく知られる一首です。夜話の本文では確認できませんでしたが、孫の二宮尊親が編んだ『道歌集』(1897年)に収められています。

「無尽蔵」という言葉が効いています。日の光は誰にでも等しく降り、それが土に積もって田畑の実りになる。蔵はもう満ちているのだから、あとは掘り出す道具を持つだけだ、という励ましです。

飢饉の続いた時代に、荒れた村へ入っていった人の言葉として読むと、意味が変わって響きます。

筆者
筆者

蔵はもう満ちている、という言い方が力強いです。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

荒れた村へ入ると、皆が口をそろえて『ここには何もない』と言う。じゃが、無いのは蔵ではない。鍬を持つ気じゃ

日は昨年も一昨年も同じだけ照っておった。その恵みは土に積もっておる。掘れば出る。

そう言うて聞かせても、はじめは誰も動かぬであろうな。一人が掘り出して見せれば、変わってゆくのではあるまいか。

名言㉑「増減は器かたむく水と見よあちらまされはこちら減るなり」

項目内容
出典区分B|『道歌集』(1897年)
解釈増減は器を傾けた水と見なさい。あちらが増えれば、こちらが減るのだ
現代へのヒントどこかを増やせば、どこかが減っている

推譲の考え方を、水と器でたとえた道歌です。器を傾ければ水は一方へ寄り、その分だけもう一方が減る。限りあるものを動かしている自覚を求める歌です。

夜話の巻之三にも「増減と云物は、譬ば水を入たる器」と、同じたとえを使った段があります。歌と本文の両方に、同じ比喩が出てきます。

なお、名言サイトでよく見かける「たらいの水」のたとえについては、この形での出典を本記事では確認できませんでした。詳しくは名言㉗で扱います。

筆者
筆者

器と水のたとえを、よくお使いになったようですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

目の前で器を傾けて見せれば、子どもでも分かる。分かりやすい説き方じゃと思うておった。

村の争いというのは、たいてい水が増えたと思い込んでおるところから起きる。増えてはおらぬ。寄っただけじゃ。

それが分かれば、譲るという話が急に現実の話になる。

名言㉒「身命の長養は衣食住の三つにあり。衣食住の三つは田畑山林にあり」

項目内容
出典区分B|『報徳訓』。真岡市の年表は天保5年(1834)に尊徳が著し、天保7年(1836)に完成したとします
解釈命を養うのは衣食住の三つ。その衣食住は田畑や山林から出ている
現代へのヒント暮らしを支えている大もとまで、さかのぼって見る

『報徳訓』に収められた一節です。全体はもう少し長く、「田畑山林は人民の勤功にあり。今年の衣食は昨年の産業にあり。来年の衣食は今年の艱難にあり。年々歳々報徳を忘る可らず」と続きます。

暮らしを支えているものを一段ずつさかのぼり、最後に「だから報徳を忘れるな」で締める構成です。報徳の教えを短くまとめた教訓文として、今も報徳社などで読まれています。

成立については、真岡市の年表に記載があります。天保5年(1834)の項に「三才報徳金毛録を著す 徒士格に昇格 報徳訓を著作する」、天保7年(1836)の項に「報徳訓完成」とあります。

つまり尊徳自身の著作として扱われています。なお『報徳訓釋義』を著したのは門人の福住正兄です。

ただし文面については断っておきます。本記事は『報徳訓』の原典にも翻刻にも当たっておらず、この一節を掲載しているサイトで読んだにとどまります

筆者
筆者

命を養うものを、一段ずつさかのぼっていく文章です。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

飯がどこから来たかを、皆すぐに忘れる。茶碗の前までしか見ておらぬ。

田があり、その田を起こした者の骨折りがあり、さらにその前に去年の蓄えがある。さかのぼれば、必ず誰かの手にゆき当たる

……わしの著作と伝わっておるそうじゃな。ただ、そなたが掲げたこの文面そのものは、原本まで確かめておらぬということか。

名言㉓「積小為大(せきしょういだい)」

項目内容
出典区分C|四字熟語としては『二宮翁夜話』の正編・続篇に出てきませんでした
解釈小を積んで大と為す。小さな努力の積み重ねが大きな成果になる
現代へのヒント意味は名言①のとおり。ただし四字熟語は後世の要約

尊徳の教えを表す四字熟語として、広く知られています。真岡市も「小を積んで大と為す」と説明しています。

ところが調べてみると、この四字熟語そのものは夜話の本文に一度も出てきませんでした。内容にあたるのは名言①の「大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり」です。

ほかに巻之四の「是小を積て大を為せばなり」、続篇の「小を積んで大をなすの外に術はなきなり」があります。

「大事を成さんと欲する者、宜しく先ず小事を務むべきなり」という漢文訓読体の形も流通していますが、どの文献のどこに出るのかは特定できませんでした

四字がどこに出てくるのかは、この記事の公開後にたどれました。門人 斎藤高行が漢文で著した『報徳外記』巻之上と『二宮先生語録』巻二です。

『報徳外記』巻之下の識語には「安政甲寅春三月」とあり、1854年、つまり尊徳の存命中にあたります。ただし尊徳自身がこの四字で語ったことを示す記録は、確認できていません

筆者
筆者

四字熟語のほうは、夜話には出てきませんでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

四字で伝わっておるのか。覚えやすうてよいではないか。

弟子どもが書き留めたのは、もそっと回りくどい言い方であったようじゃな。小さきことを怠るな、それが積もって大になる、と。

どこで四字になったのかは、わしには分からぬ。じゃが、中身が伝わっておるのなら、それでよかろう。

四字の出どころ、辞典での扱い、中国の史書にある同じ四字については、別の記事でくわしくたどりました。

名言㉔「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」

項目内容
出典区分C|本記事では原典を確認できませんでした。夜話の全文に「寝言」「罪悪」「犯罪」は出てきません
解釈道徳を欠いた経済は罪であり、経済を欠いた道徳は寝言にすぎない
現代へのヒント理念と採算は、どちらか一方では成り立たない

検索でもっとも多く見かける一句です。ビジネス書や経営者の講演でも繰り返し引かれています。ところが出どころをたどると、確認できませんでした。

夜話の正編と続篇を通して探した結果、「寝言」「罪悪」「犯罪」のいずれも本文に出てきません。「道徳」は5件、「経済」は5件ありますが、この対句の形では一度も現れませんでした

もっとも近いのが名言⑲の一段ですが、そこで語られているのは分度の話です。

この句については、次の章で詳しく追います。

筆者
筆者

これだけ広く引かれている言葉なのに、夜話には見あたりませんでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

ほう。そなた、よほど念入りに探したのじゃな。

言うておくが、わしが言うたか言わぬかは、わしにも確かめようがない。そなたが調べた書物には見あたらなんだ、というところまでしか言えぬ

中身については……まあ、悪くはないと思うておる。算用を忘れた善は続かぬし、善を忘れた算用は人を潰すからのう。

名言㉕「誠実にして初めて信あり」

項目内容
出典区分C|本記事では原典を確認できませんでした。夜話の全文に「誠実」は出てきません
解釈誠実であってはじめて、人から信用される
現代へのヒント信用は、積み上げる前に壊れないようにする

「誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。術策は役に立たない」という長い形でも流布しています。

夜話を通して探しましたが、「誠実」という語が本文に一度も出てきませんでした。尊徳が同じ趣旨を語るときに使うのは「至誠」です。

「二宮尊徳 名言」で検索し、2026年9月に上位7件を確認しました。その範囲では、この句に出典を示しているものはありませんでした。近代以降に整えられた言い回しの可能性がありますが、断定はできません。

筆者
筆者

意味としては尊徳さんらしいのですが、言葉が見つかりませんでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

そなたらの史料に残っておるのは、至誠のほうじゃな。誠実という言い方は見あたらぬか。

もっとも、残っておらぬというだけで言わなんだとは限るまい。四十年も人に説いておれば、言い方など幾通りも変わる

意味が違うておらぬのなら、目くじらを立てることでもあるまい。

名言㉖「可愛くば五つ教えて三つほめ二つ叱って良き人となせ」

項目内容
出典区分C|本記事では原典を確認できませんでした。山本五十六の言葉として紹介される例もあります
解釈かわいいと思うなら、五つ教え、三つほめ、二つ叱って、良い人に育てなさい
現代へのヒント教える・ほめる・叱るの配分を決めておく

子育てや部下の育成でよく引かれる一首です。二宮尊徳の言葉として紹介されることが多く、教育関係の文章でもしばしば見かけます。

ところが、夜話の正編・続篇、『道歌集』(1897年)、『二宮翁道歌解』(1900年)のいずれにも見あたりませんでした。尊徳に帰す説明は複数ありますが、どれも出典を示していません。

さらに、山本五十六の言葉として紹介される例も見かけました。諸説あるというより、本記事が見た範囲では、どちらの説も出典が示されていない状態です。

筆者
筆者

有名な一首ですが、道歌集にも道歌解にもありませんでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

五つ教えて三つほめ二つ叱る、か。配分を決めておくというのは、悪い工夫ではないのう。

わしが詠んだかどうかは分からぬ。別の御仁の言葉として伝わっておるとも聞いたぞ

誰が詠んだにせよ、叱るより教えるほうを多くせよ、という順序は動かぬ。そこだけは覚えておくとよい。

名言㉗「たらいの水は、向こうへ押せば自分に返ってくる」

項目内容
出典区分C|「たらい」という語は夜話に出てきませんでした。ただし水と器のたとえは実在します
解釈たらいの水を自分のほうへかき寄せると逃げ、向こうへ押すと返ってくる
現代へのヒント手元に引き寄せるより、先に渡すほうが戻ってくる

推譲を説くたとえとして、広く知られている話です。ところが「盥」「たらひ」「たらい」のいずれも、夜話の本文には出てきませんでした

ただし、水と器でたとえる段は実在します。巻之三の「増減と云物は、譬ば水を入たる器」がそれで、名言㉑の道歌「増減は器かたむく水と見よ」も同じ比喩です。

つまり、水を使って譲りを説いたことは確かです。それが「たらい」という具体的な器と、「押せば返る」という分かりやすい形に語り直されたのが、今日広まっている話だと考えられます。

なお、このたとえは松下幸之助の言葉として紹介されることもあります。誰の口から出た形なのかは、今回たどれませんでした

筆者
筆者

水で譲りを説いた段はありましたが、たらいは出てきませんでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

たらいでも桶でも、水が寄れば向こうが減る。言いたいことは同じじゃ。

ただ、自分のほうへ掻き寄せると逃げる、という言い方は面白いのう。確かに、急いで掻き寄せた水ほど手からこぼれる

誰がそう言い換えたのかは知らぬ。上手に言い換えたものよ。

【番外編】「道徳なき経済は罪悪であり」を、夜話の全文で探してみた

この記事でもっとも時間をかけたのが、この一句です。

道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」。二宮尊徳の言葉として、もっとも広く引かれているものの一つです。経営者の講演や企業理念でも見かけ、行政のコラムにも登場します。

そこで『二宮翁夜話』の正編と続篇を通読し、対句をつくる語を一つずつ探しました。結果は次のとおりです。

探した語夜話の正編・続篇での件数
寝言0件
罪悪0件
犯罪0件
戯言1件(巻之四。烏よけのことわざを論じた別の話)
道徳5件(いずれもこの対句の形ではない)
経済5件(同上)

もっとも近かったのが名言⑲の一段で、「銘々己が家の権量を謹み、法度を審にするこそ肝要なれ、是道徳経済の元なり」という文でした。

本記事が検索した範囲では、道徳と経済が隣り合う唯一の箇所です。ただし語られているのは分度の話で、二つを対立させる文脈ではありません。

さらに、媒体によって文言そのものが割れています

媒体掲載されている文言
検索上位の名言サイトA道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である
検索上位の名言サイトB道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は、寝言である
京都府宮津市のコラム道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である
報徳二宮神社(小田原)公式サイト経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である

報徳二宮神社の公式サイトが、出典表記なしでこの句を掲げています。ただし、公式サイトが載せていることは、本人の言葉である証明にはなりません。

流布の経緯については、いくつかの指摘があります。ただし本記事は、いずれも原資料を確認していません

一つは、「経済」がeconomyの訳語として定着するのが1862年ごろで、尊徳が亡くなった1856年より後にあたるという指摘です。

ただし上の表のとおり、夜話の本文にも「経済」の語は5件あります。経世済民の意味での用例なので、この指摘だけで結論は出ません。

もう一つは、現代の経営者向けに『二宮翁夜話』を編み直した版の文面が出所ではないか、という指摘です。内村鑑三に由来するという説も見かけましたが、原典にはたどり着けませんでした。

念のためもう一度書きます。「夜話に無い」は「尊徳が言っていない」という意味ではありません。『二宮先生語録』『三才報徳金毛録』『報徳外記』の本文を、本記事は読んでいません。そちらにある可能性は残っています。

筆者
筆者

公式サイトにも載っているのに、原典が見つからないというのは落ち着きません。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

落ち着かぬであろうな。じゃが、そなたがやったことは正しい。見つからなんだものを、見つからなんだと書く。それだけのことじゃ。

有名になった言葉というのは、たいてい誰かが言いやすく直しておる。わしの言うた回りくどい言い方より、そちらのほうが世に残るのも道理よ。

ただな、そなた。名が付いておるからというて、その者が言うたとは限らぬ。それを確かめに行くのが、そなたの仕事であろう。

尊徳の名言として広まっている、中国古典の4句

調べていて驚いたのが、この点です。『二宮翁夜話』は、漢籍の引用がきわめて多い本でした。「古語に」が28件、「論語」が22件、「中庸」が17件、「大学」が18件、「孟子」が6件出てきます。

そのため、尊徳の名言として紹介されているもののなかに、もともと中国の古典の句が混ざっています。確認できただけで4つありました。

尊徳の名言として流布実際の原典夜話での扱い
至誠神の如し『中庸』の「至誠如神」夜話自身が「古語に」と明記しています
徳を以て徳に報う(報徳)『論語』憲問篇の「以徳報徳」大久保忠真がこの句で評したのが語源とされます
積善の家に余慶あり『易経』坤卦・文言伝夜話が「金言なり」として引用しています
権量を謹み法度を審らかにす『論語』堯曰篇の「謹権量、審法度」夜話自身が「古語に」と明記しています

注目したいのは、夜話の本文が、きちんと「古語に」と断っていることです。出典をぼかしているのは筆録のほうではなく、後世の名言集のほうでした。

名言⑭の「人々皆長ずる所あり」も、『論語』の「己に如かざる者を友とする事勿れ」を読み替えたものです。これは尊徳自身の解釈なので、上の表には入れていません。

漢文調の一節を見たら、まず原典を疑う。この人物ではとくに必要な手順でした。

筆者
筆者

夜話のほうは『古語に』と断っているのに、名言集では尊徳さんの言葉になってしまっています。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

正兄が律儀に書き留めてくれたということじゃ。ありがたいのう。

わしは学者ではないが、書物は読んだ。よい言葉があれば、そのまま借りて村の衆に説いた。借り物を己のものと言うたことはないつもりじゃ。

借りたものが、いつのまにか己の名で伝わっておるというのは……まあ、気恥ずかしい話よ。

薪を背負う二宮金次郎像は、何を読んでいたのか

二宮尊徳といえば、薪を背負って本を読みながら歩く少年の像です。名言をたどる過程で、この姿の典拠も追ってみました。結果は、思っていたものとかなり違いました。

典拠は『報徳記』巻一です。父を亡くした直後の段に、次の一文があります。国立国会図書館デジタルコレクションで、1883年の富田高慶自刊本と1885年の宮内省版の両方に同じ文を確認しました。

而シテ採薪ノ往返ニモ大學ノ書ヲ懷ニシテ途中歩ミナガラ是ヲ誦シ少モ怠ラス是先生聖賢ノ學ノ初ナリ

道路高音ニコレヲ誦讀スルカ故ニ人々怪ミ狂兒ヲ以コレヲ目スルモノアリ

現代語訳(筆者訳)薪を採りに行く往復にも『大学』の書を懐に入れて、道中を歩きながらこれを唱え、少しも怠らなかった。これが先生の聖賢の学のはじめである。道で大きな声でこれを唱えていたので、人々は怪しんで、変わった子どもだと見る者もあった。

出典:報徳記 巻一(富田高慶 編、宮内省、1885年)

三つ、気づくことがあります。

まず「懷ニシテ」。懐に入れていたのであって、本を手に持って読んだとは書かれていません。次に「誦シ」「誦讀」。これは声に出してそらんじることです。そして読んでいたのは「大學ノ書」、つまり儒教の経書『大学』だと『報徳記』は記しています。

『報徳記』の原文から分かること
  • 本は懐に入れていた。手に持って読んだとは書かれていない
  • 誦シ」=そらんじて声に出していた。黙読ではない
  • 読んでいたのは『大学』(儒教の四書の一つ)
  • 大声で唱えて歩くので、変わった子どもだと見られていた

では、あの図像はどこから来たのでしょうか。

神奈川県立図書館の紀要によれば、薪を背負って本を読みながら歩く姿の初出は、1891年(明治24)の幸田露伴『二宮尊徳翁』(博文館「少年文学」第七編)のカラー木版口絵です。描いたのは江戸狩野派の系統をひく小林永興でした。

興味深いのは露伴の本文です。「大学の書を懐中に常離さず、薪伐る山路の往返歩みながらに読まれける」と書かれています。『報徳記』の「誦シ」が「読まれける」に変わっているのです。

しかも紀要が引く「はしがき」によれば、露伴は「報徳記の他は本伝に関すること少ければ敢て参酌せざりき」と、『報徳記』しか使っていないと書いています。

筆者
筆者

露伴は『報徳記』しか使っていないと書いているのに、そらんじていたはずの場面が、読みながら歩く姿に変わっています。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

書き写すうちに、筆が滑ったのであろうよ。悪気があったとは思わぬ。

絵にするには、そのほうが分かりやすかろうしのう。声を出して覚えておる姿は、絵にしても何をしておるか分からぬ

ただ、分かりやすい絵は強い。書かれた文より、よほど遠くまで届いてしまう。

さらに、この図像には中国由来の可能性が指摘されています。岩井茂樹「二宮金次郎『負薪読書図』源流考 —『朱買臣図』からの展開」(『日本研究』第36集、国際日本文化研究センター、2007年)という査読論文です。

論文によれば、中国・漢代の朱買臣を描いた「朱買臣図」には、歩きながら読む大徳寺系と座って読む妙心寺系の2系統があり、前者を江戸狩野派が継承していたといいます。

口絵を描いた小林永興が江戸狩野派の系統である点を、論文は「もう一つの確証」としています。

朱買臣と金次郎は、貧困から負薪読書を経て世に出るという人生の型まで重なります。

ただし論文の結論は「転用された可能性がきわめて高い」であって、断定ではありません。

像が学校に広まったのは昭和に入ってからです。図像が生まれてから学校に並び、また減っていくまでの流れを、確認できた範囲で並べます。

負薪読書図が生まれ、学校に並び、減っていくまで
  • 1891年 幸田露伴『二宮尊徳翁』の口絵に「負薪読書図」が載る
  • 昭和に入ってから 学校への像の設置が広まる
  • 1929年 岡崎市内で現存する最古の石像がつくられる(石工・長坂順治)
  • 戦時中 金属の供出により、銅像が石像に代えられたものが多い
  • 近年 老朽化・校舎の解体・学校の統廃合にともなう撤去が報じられる

なお「歩きスマホを連想させるから撤去されている」という説明をよく見かけますが、本記事が確認した範囲では、自治体や教育委員会の公式な説明は見つかりませんでした

確認できたのは、2016年に栃木県日光市立南原小学校が新設する像を座像にしたという例(撤去ではありません)と、2012年に大津市教委へ意見が寄せられたという報道です。

実際に報じられている撤去の理由は、老朽化・校舎の解体・学校の統廃合でした。

筆者
筆者

懐に入れて、そらんじていた。手に持って読んでいたわけではなかったんですね。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

薪を背負うて歩きながら書を開いたら、落とすであろう。転ぶわ。

高慶は、覚えた文を道々そらんじておったと書き残したそうじゃな。声が大きかったらしゅうて、変わった子だと言われたとまで書かれておる。あれは余計であろう。

……もっとも、そなたらの世に残る絵が、生前のわしを写したものかどうかは、わしには分からぬ。絵師に会うた覚えはないゆえな。

27件から見えてくる3つの傾向

集めた27件を並べてみて、見えてきたことがあります。

27件を並べて見えたこと
  • 原文はほとんどが文語だった。流布しているのは、その現代語訳か要約
  • 夜話が伝える尊徳自身の要約は「勤・倹・譲」の三つ。四綱領の枠組みは夜話に見あたらない
  • 有名な句ほど、出どころが遠い。もっとも知られている一句が、もっとも確認できなかった

一つめは、名言②がよく表しています。原文は「遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す」ですが、流布しているのは「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」です。

名言⑩も同じで、「凡人は小欲なり。聖人は大欲なり」という流布形は、夜話の原文より短く整理されています。流布している形と原文とで、言い回しが一致しないわけです。

二つめは、この記事を書いていて、もっとも意外だった点です。多くの名言サイトが「至誠・勤労・分度・推譲の四綱領」を掲げます。

ところが、この枠組みは夜話の本文に見あたりません。尊徳自身が続篇で言い切っているのは「我が道は勤倹譲の三つにあり」です。

四つの整理が悪いわけではありませんが、本人の言葉と後世の整理は分けて読むほうがよさそうです。

三つめは、区分の分布そのものです。夜話に原文を確認できたのは19件。確認できなかった5件のなかに、もっとも広く引かれている「道徳なき経済は罪悪であり」が入っています

知られている度合いと、たどれる度合いは、この人物では逆を向いていました。

筆者
筆者

有名な言葉ほど、出どころが遠いというのは皮肉な話です。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

言いやすい言葉が残るのは、道理であろう。

わしの言い方は回りくどい。村の衆に説くのに、何度も言い換えて、ようやく通じた。覚えやすい形であればこそ、そなたの世まで届いたのではあるまいか

ただし、縮めたものを縮めたと知って読むのと、そのままわしの言葉と思うて読むのとでは、だいぶ違うのう。そなたの仕事は、そこを分けることじゃ。

よくある質問(FAQ)

二宮尊徳の一番有名な名言は何ですか?

もっとも広く知られているものの一つが「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」です。ただし本記事では、『二宮翁夜話』にこの対句を確認できませんでした。出典までたどれる一句は「小積りて大となればなり」(巻之一)です。

「積小為大」は二宮尊徳の言葉ですか?

教えそのものは尊徳のものですが、四字熟語の形は『二宮翁夜話』の本文に出てきませんでした。四字が確認できたのは、門人 斎藤高行が漢文で著した『報徳外記』と『二宮先生語録』です。

『二宮翁夜話』は二宮尊徳が書いた本ですか?

違います。門人の福住正兄が、師の身辺で暮らした期間に書き留めた記録を整理したものです。正編5巻の刊行は1884年から1887年で、尊徳の没後およそ30年たってから世に出ました。伝記の『報徳記』も、門人の富田高慶が書いたものです。

二宮金次郎の像は何の本を読んでいるのですか?

典拠となった『報徳記』巻一には「大學ノ書ヲ懷ニシテ」とあり、儒教の経書『大学』とされています。ただし原文は「懐に入れて」「誦シ(そらんじて唱えた)」で、手に持って読んだとは書かれていません。

二宮尊徳と二宮金次郎は同じ人ですか?

同じ人です。金次郎(金治郎)は通称で、尊徳は諱です。報徳博物館によれば、自筆の日記や私信では終始「金治郎」と書かれ、小田原藩の公文書などで「金次郎」と書かれるようになったとされます。諱の本来の読みは「たかのり」とされます。

「たらいの水」の話は二宮尊徳の言葉ですか?

「たらい」という語は『二宮翁夜話』に出てきませんでした。ただし水と器でたとえて譲りを説いた段は実在します(巻之三)。ただし今日の「たらいの水」がそこから直接生まれたのかは、確認できませんでした。

インタビュー後記|縮められた言葉の、その手前にあるもの

今回は尊徳AIに登場してもらい、その言葉をたどってきました。

もっとも考えさせられたのは、この人が自分の思想をまとまった形で書き残すことの少なかった点です。生涯のほとんどを、荒れた村と傾いた家の帳面に向けていました。

言葉は弟子の手を経て残り、読みやすく整えられていきました。

「積小為大」は、夜話の言い回しより圧倒的に覚えやすい形です。覚えやすい形だからこそ、今も引かれ続けているのだと思います。

一方で「道徳なき経済は罪悪であり」は、もとになった文そのものを本記事では確認できませんでした。読みやすく整えられたものもあれば、成立の過程そのものをたどれない言葉もある、ということだと思います。

捨てられた苗を拾って植えた少年が、なぜ生涯「小さなことを怠るな」と言い続けたのか。四字に縮める前の、回りくどい言い方のほうにこそ、その人の手触りがあったというのが、今回の実感です。

あなたは二宮尊徳の生き方から、何を受け取るでしょうか。

出どころのあやしい言葉が多く伝わる人物は、ほかにもいます。談話をもとに編まれた『氷川清話』をたどった勝海舟の記事も、同じやり方で書きました。

参考資料

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