積小為大の意味と読み方|この四字はどこから来たのかを尊徳AIとたどる

sekishoidai eyecatch 名言

「積小為大」。小さな積み重ねが大きな成果になる、という二宮尊徳の教えとして知られています。校訓や社是に掲げる例があり、座右の銘に挙げる人もいます。

その原文を読んでみようと思って、尊徳の言葉を記録した本を開きました。ところが、いくら探してもこの四字が見あたりません

この記事の結論

先に、分かったことを書きます。尊徳の門人が残した文献をたどると、四字そのものは、門人のひとりが漢文で書いた『報徳外記』と『二宮先生語録』に確認できました。

そのうえ、調べていくと同じ四字が中国の史書にも出てきました。ただし、使われ方がちょうど逆でした。

  • 0か所
    『二宮翁夜話』と『報徳記』で四字を確認できた箇所
  • 3か所
    四字を確認できた、門人 斎藤高行の漢文
  • 5冊
    司書が調べて「該当なし」だった四字熟語辞典

三つめの数字は、国立国会図書館のレファレンス事例に残っていた記録です。今回確認した範囲では、主要な四字熟語辞典にこの語は立項されていません。

この記事では、意味と読み方をまず押さえたうえで、二つある原文、四字の出どころ、中国の同じ四字、そして世に広まったもう一つの形を順に見ていきます。使い方の例文と英語表現にも触れます。

聞き手として、尊徳AI(二宮尊徳をモデルにしたAI)にも登場してもらいました。

※以下の尊徳AIの発言部分は、公開されている史料をもとに二宮尊徳の人物像を再現した創作です。尊徳本人の発言を記録したものではありません。また、この記事が示す文面は、国立国会図書館デジタルコレクションの全文で確かめたものと、翻刻の転載テキストで確かめたものを分けて書いています。

筆者
筆者

学校でよく見かける四字です。ところが原文を探しはじめたら、思わぬことになりまして。今日はその話をうかがいます。よろしくお願いします。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

ほう、わしの言葉とされておる四字を、出どころから当たってみたと。物好きなことじゃ。

先に申しておくが、わしは自分の考えを書き並べた書物を、ほとんど残しておらぬ。世に伝わっておるのは、弟子どもが書き留めたものじゃ

そのつもりで聞いてくれい。

積小為大の意味と読み方|先に結論をまとめます

項目内容
読み方せきしょういだい
訓読小を積みて大と為す
意味小さなことを怠らず積み重ねれば、やがて大きなことが成る。だから小事をおろそかにするな
伝わる人物二宮尊徳(1787〜1856)。江戸後期の農政家
四字を確認できた資料『報徳外記』巻之上、『二宮先生語録』巻二。いずれも門人 斎藤高行の漢文
四字熟語辞典今回確認した範囲では、立項が見あたりません
英語定訳は確認できませんでした

読み方は「せきしょういだい」で、公的機関の表記もそろっています。1935年刊の『二宮尊徳先生小伝』には「積小爲大(せきしようゐだい)」と歴史的かなづかいのルビが振られていました。

意味は二段構えです。前半が「小さなものが積もって大きくなる」、後半が「だから小事を怠るな」。前半だけなら「塵も積もれば山となる」と同じですが、後半がつくことで観察ではなく行動の指針になります。

真岡市は「積小為大(せきしょういだい)『小を積んで大と為す』」と訓読を添え、「小さな努力をこつこつと積み重ねていけば、いずれは大きな収穫や発展に結びつくという考えです」と説明しています。

筆者
筆者

意味そのものは、どのサイトを見てもほぼ同じでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

そうであろうな。難しいことは何も言うておらぬ。

田を一枚起こすにも、鍬を一振りずつ入れるほかに道はない。それを言い方を変えて幾度も説いたと、弟子どもが書き留めておるそうじゃ

難しいのは意味ではない。それを今日やるかどうかよ。

二宮尊徳の原文は、二つある

「積小為大の原文」として世に出ているものを集めると、まったく違う二つの文章に行き当たります。どちらも同じ趣旨ですが、文体も収められている本も別です。

和文の系統|『二宮翁夜話』巻之一

門人の福住正兄が、尊徳の語ったことを書き留めた『二宮翁夜話』。その巻之一、第十四段に次の一節があります。

史料の原文|『二宮翁夜話』巻之一

翁曰、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり、凡小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、出来易き事を勤めず、夫故、終に大なる事をなす事あたはず

(筆者訳)翁が言われた。大きなことを成そうと思うなら、小さなことを怠らず勤めなさい。小さなものが積もって大きくなるからだ。小人の常として、大を望んで小を怠り、成しにくいことを憂えて成しやすいことを勤めない。だから大事を成せない

このあと「百万石の米といっても粒が大きいわけではない」「万町の田を耕すのも一鍬ずつの功である」と例が続きます。

漢文の系統|『二宮先生語録』巻四

もう一つは漢文です。門人の斎藤高行が、自分の記録をもとに漢文へ改めたとされる『二宮先生語録』。その巻四に、次の一節があります。

史料の原文|『二宮先生語録』巻四(『日本倫理彙編』巻之十、1903年、コマ268)

欲成大事者、宜先務小事也。欲成大事而怠小事、憂其難成、而不務易成者、小人之常也。夫積小則爲大矣。萬石之粟、則一粒之積。萬町之田、則一耒之積。萬里之路、則一歩之積。九仭之山、則一簣之積也

(筆者訳)大事を成そうとする者は、まず小事を務めるのがよい。成りにくいのを憂えて成りやすいものを務めないのが小人の常である。そもそも小を積めば大となる。万石の粟も一粒、万町の田も一鍬、万里の路も一歩、九仭の山も一簣の積み重ねである

ネット上でよく見る「大事を成さんと欲する者、宜しく先ず小事を務むべきなり。夫れ小を積めば、則ち大と為る」という格調の高い言い回しは、この漢文の読み下しです。

二つを並べると

和文の系統漢文の系統
収める本『二宮翁夜話』巻之一『二宮先生語録』巻四
書いた門人福住正兄斎藤高行
性格語ったことの聞き書き記録を漢文に改めたとされるもの
書き出し翁曰、大事をなさんと欲せば欲成大事者、宜先務小事也
四字「積小為大」含まない含まない(「積小則爲大」)

どちらの原文にも、「積小為大」の四字は含まれていません。 読者が別々のサイトで別々の原文を見て混乱するのは、この二系統があるためです。

筆者
筆者

同じ教えなのに、原文として示されているものが二つありました。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

そなたらの世に残る本では、正兄は和文で、高行は漢文で書き留めたそうじゃな。

どちらが正しいという話ではあるまい。ただな、そなた。漢文に直すというのは、一度その者の頭を通すということじゃ

通した分だけ、言い回しはその者のものになる。そこは承知しておくがよい。

「積小為大」の四字は、どこに出てくるのか

では四字はどこから来たのか。国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで全文検索すると、「積小為大」は67件ヒットします。

そのうち尊徳の門人が著した本で確認できたのは、3か所でした。いずれも斎藤高行の漢文です。

資料本文
報徳外記』巻之上「勧課第九」此法者、試細民情僞、察里正邪正、示積小爲大之道者也
同(続き)何謂積小爲大。夫人道積小爲尊。何者小即大之本
二宮先生語録』巻二世道貴於積小。積小爲大。如日課索絢法

『報徳外記』は斎藤高行が報徳の教えを漢文でまとめた書で、1885年に報徳社から刊行されました。

同書巻之下の識語には「安政甲寅春三月 相馬中村 齋藤髙行伯順識」とあります。安政甲寅は1854年で、尊徳が亡くなる2年前にあたります。

つまり四字は、尊徳の言葉を和文で記録した本ではなく、門人が漢文で著した本のほうに出てきます

ただし限界も書いておきます。尊徳本人の著述とされる『三才報徳金毛録』や、尊徳に関する資料を広く収めた『二宮尊徳全集』全36巻は、今回まったく通覧できていません。そちらに四字がある可能性は残ります。

『報徳記』についても、当たったのは全文検索(OCR)の範囲です。原本を1コマずつ読んだわけではありません

斎藤高行(1819〜1894)は陸奥国相馬(中村)藩の農政家で、富田高慶・福住正兄と並ぶ門人のひとりです。1845年に尊徳の塾に入り、1851年に帰藩したのち、相馬藩の仕法を指導しました。

書名が似ているので、ここで整理しておきます。

書名書いた人性格
報徳記富田高慶伝記
報徳外記斎藤高行漢文の理論書
報徳訓二宮尊徳(真岡市の年表による)教えをまとめた教訓文
二宮翁夜話福住正兄語ったことの聞き書き
二宮先生語録斎藤高行記録を漢文に改めたとされる語録
筆者
筆者

四字が出てくるのは、高行さんが漢文で書いた本のほうでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

高行か。相馬の御仕法を助けてくれた男じゃ。学のある者でのう。

わしの申したことを漢文に組み直すとなれば、四つの字にまとめる工夫も要ったであろう。

わしがその形で申したかどうかは、そなたらに残る書物のほうが詳しかろうな。

四字熟語の辞典に、この語は載っていない

意外だったのが、辞典の扱いです。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、島根県立図書館が2012年に受けた質問の記録が残っていました。「『積小為大』について、その読みと意味が知りたい」というものです。

司書は四字熟語であることから辞典を引いています。その記録がそのまま残っていました。

司書が調べた資料
  • 四字熟語辞典(5冊)→ 該当なし
  • 『四字熟語辞典』東京堂出版、2000年/『大修館四字熟語辞典』大修館書店、2004年/『新明解四字熟語辞典』三省堂、1998年/『岩波四字熟語辞典』岩波書店、2002年/『「四字熟語」の辞典 新版』日本実業出版社、1993年
  • 名言・格言辞典(2冊)→ 四字熟語の項目はなし
  • 『教育名言辞典』東京書籍、1999年/『日本名言名句の辞典』小学館、1988年

回答プロセスには「四字熟語であることから、参考資料の四字熟語辞典で調査。→該当なし」と記されています。名言・格言辞典にも、四字熟語の項目はありませんでした。

司書は最終的に、館の所蔵する尊徳の名言集(『世界に誇る日本の道徳力 心に響く二宮尊徳90の名言』2006年)の「尊徳を読むためのキーワード」で、読みと意味を回答しています。

今回あらためて確認しても、同じでした。 コトバンク、Weblio、四字熟語辞典オンラインのいずれにも「積小為大」の項目は見あたりませんでした。

対照になる語があります。同じ四字熟語辞典オンラインには、『荀子』勧学篇を出典とする「積土成山」「積水成淵」が立項され、出典まで示されています。

一方で「積小為大」は、このあと見るとおり古い中国の史書に用例があるにもかかわらず、項目を確認できませんでした

筆者
筆者

四字熟語辞典を5冊引いて載っていなかった、という記録が残っていました。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

辞書に載らぬから値打ちがない、という話でもあるまい。

じゃが、載らぬものを『辞書にもある言葉です』と言うてはならぬ。それは別の話じゃ。

司書どのは、引いて無かったことをそのまま書き残されたか。よい仕事をなさる。

同じ四字が中国にもある|ただし使われ方が逆

このサイトでは、漢文調の言葉を見たらまず中国古典を疑うことにしています。実際に調べたところ、「積小為大」は中国の史書に実在しました

旧唐書』巻七十七、柳沢が景雲年間に奉った上疏です。

史料の原文|『旧唐書』巻七十七 柳沢の上疏

臣恐因循、流近致遠、積小為大、累微起高。勿謂何傷、其禍將長。勿謂何害、其禍將大

(筆者訳)臣が恐れますのは、放っておくうちに近くから遠くへ及び、小さなものが積もって大きくなり、わずかなものが重なって高くなることです。痛みはないと言ってはなりません、禍いは長くなります。害はないと言ってはなりません、禍いは大きくなります

四字の字義は同じです。小さなものが積もって大きくなる、という意味です。 違うのは、その字義をどちらに向けて使うかでした。

尊徳の教えでは「小さなことを積み重ねれば大きな成果につながる」と肯定の向きに使われます。一方こちらは「小さな弊を放っておくと、大きな禍いになる」という警告です。

同じ四字は『新唐書』巻百十二の柳澤伝にもあります。こちらは文面が少し違い「流遁致遠、積小爲大、累微成高」です。

その和刻本『唐書』(欧陽脩ほか撰)が1750年に刊行されており、国立国会図書館デジタルコレクションで確認できます。尊徳の生前に日本で刊行されていた、というところまでが今回たどれた範囲です。

ただし、斎藤高行がこの句を踏まえたことを示す材料は、今回得られませんでした。 同じ語形に別々にたどり着いた可能性も残ります。

なお今回確認した漢典では、「積小成大」は立項されている一方、「積小為大」の項目は確認できませんでした。

尊徳の教えに近い、肯定の向きの古典も挙げておきます。

出典原文意味
『荀子』勧学篇積土成山、風雨興焉土を積んで山となれば、風雨が起こる
『周易』升卦 象伝君子以順德、積小以高大君子は徳に従い、小を積んで高大となる
『老子』第六十四章千里之行、始於足下千里の行も足下より始まる
『漢書』董仲舒伝衆少成多、積小致鉅少を集めて多となし、小を積んで巨に至る
筆者
筆者

同じ四字なのに、中国では反対の意味で使われていました。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

面白いのう。積もるということ自体には、善も悪もないということじゃ。

良いことも積もるが、悪いことも同じように積もる。畦の小さな穴を放っておけば、いずれ田の水が抜ける。

どちらを積むかを選べるのが、人の道であろうよ。

広く知られた形は、もう一つ別にあった

ここまでは漢文の話でした。ところが世の中に広まった形は、じつはもう一系統あります。

門人 富田高慶が書いた伝記『報徳記』巻之一。少年の尊徳が捨て苗から米を得た逸話の締めに、次の一句があります。

史料の原文|『報徳記』巻之一

喜ンテ曰ク、凡ソ小ヲ積テ大ヲ致スハ自然ノ道ナリ

(筆者訳)喜んで言った。およそ小を積んで大を致すのは、自然の道である

「積小為大」ではなく「小を積みて大を致す」の形です。

これが国定の修身教科書『尋常小学修身書』に採られます。「小を積みて大となすは自然の道なり。これを以てわが家を興さん」という形です。

課の名は時期で変わります。1904年から使われた第1期では巻三の「自営」、1910年からの第2期では巻二の「勤倹」に、金次郎の話が置かれています。

ただし断っておきます。今回確認したのは教師向けの参考書(1904年・1907年・1910年)と、1912年刊の『尋常小学修身書例話原拠』で、教科書そのものは確認していません。『例話原拠』は「勤倹」の課の原拠として『報徳記』の本文を掲げています

1922年の『日露戦役忠勇列伝』には「二宮尊德翁ノ格言『小を積みて大となすは自然の道なり』」と、すでに格言として定着した形で出てきます。

一方で四字のほうも、報徳運動の刊行物を通じて広がっていきました。今回たどれた範囲を並べます。

資料扱い
1880年『無息軒翁一代記』報徳社日光の仕法を説明して「積小為大ノ實ヲ開示シ」
1885年『報徳外記』報徳社斎藤高行の漢文。「示積小爲大之道者也」
1903年『日本倫理彙編』巻之十『報徳外記』『二宮先生語録』を収める
1921年『報徳の光』大日本報徳学友会節の見出しが「積小為大」
1935年『農聖二宮尊徳』章題が「積小爲大(塵もつもれば山となる)」

1910年から1920年代にかけては、県が出した家禽統計にも「積小為大」の見出しが出てきます。卵を一日一個ずつ数えて年計を出す、という話です。教えの名を離れて使われた例として挙げておきます。

今回たどれた用例を年代順に並べると
  • 1854年 『報徳外記』の識語(斎藤高行の漢文。四字)
  • 1880年 『無息軒翁一代記』報徳社(四字)
  • 1885年 『報徳外記』刊行(四字)
  • 1904年〜 国定修身教科書に金次郎の話(和文「小を積みて大となす」)
  • 1921年 『報徳の光』の節見出し(四字)
  • 1935年 『農聖二宮尊徳』の章題(四字)

これは確認できた用例の年代順で、影響関係をたどったものではありません。 1854年の稿と1880年の刊行物のあいだに直接のつながりがあるかは、今回確かめていません。

そのうえで言えるのは、刊行の順では四字のほうが早く世に出ていること(1880年)、そして全国の児童に広く届く経路としては、国定修身教科書に載った和文の影響が大きかったと考えられることです。

筆者
筆者

教科書に載ったのは、四字ではなく和文のほうでした。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

子どもに教えるのなら、そのほうがよかろう。漢文では読めぬ。

どちらが本物かという話ではない。言い方が幾通りにも分かれて残った、ということじゃ。

……もっとも、教科書に載ったというのは、わしの死んだあとの話であろう。そこまでは知らぬ。

「積小為大の理」の由来とされる出来事

この教えの由来として、必ず語られる逸話があります。

享和3年(1803)、少年の尊徳は捨てられていた苗を拾って植え、秋に米1俵を得ました。真岡市の年表は「『積小為大』の理を体得する」、報徳博物館は「積小為大の理を悟る」と記しています。

小田原市はこの場所を「捨苗栽培地跡」として案内しており、令和7年(2025)にも田植えを実施しています。同市はここを「『積小為大(せきしょういだい)』を学んだ場所」と説明しています。

ただし、尊徳自身がこのときに四字を口にしたという記録ではありません。後世が由来として語り継いできた話として読むのが正確です。

筆者
筆者

捨て苗から米1俵、という話が由来とされています。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

用水堀の脇に、余って捨てられた苗があった。もったいないゆえ拾うて植えたら、秋に一俵になった、と伝わっておるそうじゃな。

驚くべきは米の量ではあるまい。捨てられていたものが、手を入れれば実る、というところよ。

荒れた田も、傾いた家も、同じではないか。

積小為大の使い方|例文と注意点

辞典に立項されていない語なので、改まった場で使うときは意味を一言添えると親切です。実際の使われ方に沿った例文を挙げます。

積小為大の使い方(例文)
  • 創業から30年、積小為大を社是に、一件ずつ取引先を増やしてきました
  • 積小為大というとおり、毎日15分の記録がここまで効くとは思いませんでした
  • 新人には、積小為大の精神で目の前の一件を丁寧に、と伝えています
  • 我が校の校訓は積小為大。小さな努力を続けられる人を育てます

座右の銘として挙げる場合は、「小さなことを続ける」だけでなく「だから今日の一つを怠らない」という後半まで含めて説明すると、この言葉らしくなります。

使うときの注意も一つ。上で見たとおり、この四字は主要な四字熟語辞典に立項されていません。式辞や社内文書など改まった場で使うなら、「二宮尊徳の教えとされる」と添えておくと親切です。

読みを間違えやすい点にも触れておきます。「せきしょうためだい」ではなく「せきしょういだい」です。「為」を「い」と読む四字熟語はあまり多くないため、口頭で使うときは読みを添えると伝わりやすくなります。

積小為大の類語|出典が確認できたもの

似た意味の言葉も整理しておきます。出典が確認できたものだけを挙げました。

言葉出典(辞典の記述)積小為大との違い
塵も積もれば山となる『大智度論』に由来(※辞典により巻数の指定が異なります)積もる現象の観察にとどまる
千里の道も一歩から『老子』第六十四章「千里之行、始於足下」始めることに重心がある
雨垂れ石を穿つ『漢書』枚乗伝継続が硬いものを崩す、という力点
大事は小事より起こる『老子』第六十三章悪い方向にも使える
積土成山『荀子』勧学篇ほぼ同義。こちらは辞典に立項あり

なお「継続は力なり」は広く知られていますが、出典を特定できませんでした。誰の言葉かを断定する説明は避けるのが安全です。

積小為大は英語で何と言うか

サジェストによく出る問いですが、結論から書きます。定訳は確認できませんでした。

英和・和英辞典を当たっても、項目そのものがありません。Weblioは「英和・和英辞典で『積小為大』を含む見出し語は見つかりませんでした」と表示します。

jisho.org、英辞郎、英語版Wiktionary、コトバンクのいずれにも項目がありませんでした。

英訳を載せているページはいくつかありますが、訳文がすべて異なります。ローマ字表記も Sekishō Idai、Sekishouidai、Sekisho-Idai と割れていました。

今回確認できた訳例を並べます。

今回、出典をたどれた訳例は次のものです。

出典訳例
報徳の杜(報徳二宮神社・報徳会館)見出し Lots of small things add up to a great deal
同(本文)If you want to do something big, you must work hard at the little things

報徳の杜のサイトは、見出しに加えて本文も英訳しています。ただしこのページには出典の書名が書かれていません

そのほかにも英訳を載せているページはありますが、いずれも訳文が異なり、同じ訳が複数で使われている例は確認できませんでした。ローマ字の書き方も資料によって割れています。

英語版Wikipediaの二宮尊徳の項目には、「積小為大」もその英訳も出てきません

筆者
筆者

英語ではどう言うのか、決まった形が無いようです。

二宮尊徳AI
二宮尊徳AI

異国の言葉のことは、わしには分からぬ。

じゃが、決まった訳が無いというのは、そのまま伝えればよかろう。無いものを有るように見せるのが、いちばん良くない

訳が幾通りもあるというなら、それを並べて見せればよいではないか。

よくある質問(FAQ)

積小為大の読み方は?

せきしょういだい」です。訓読では「小を積みて大と為す」と読みます。1935年刊の『二宮尊徳先生小伝』には、歴史的かなづかいで「せきしようゐだい」とルビが振られています。

積小為大は誰の言葉ですか?

二宮尊徳の教えとして伝わります。ただし本記事が確認した範囲では、四字の形が出てくるのは門人 斎藤高行の漢文(『報徳外記』『二宮先生語録』)で、尊徳の言葉を和文で記録した『二宮翁夜話』には見あたりませんでした。

積小為大の原文は?

二系統あります。和文は『二宮翁夜話』巻之一の「大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし」、漢文は『二宮先生語録』巻四の「欲成大事者、宜先務小事也」です。どちらにも四字は含まれません

積小為大は四字熟語辞典に載っていますか?

本記事が確認した範囲では、載っていません。島根県立図書館の司書が四字熟語辞典5冊を引いて「該当なし」と記録した事例が、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに残っています。

積小為大と塵も積もれば山となるの違いは?

「塵も積もれば山となる」は積もるという現象の説明です。積小為大には「だから小事を怠るな」という行動の指針が続きます。

積小為大は中国の言葉ですか?

同じ四字が『旧唐書』巻七十七に出てきます。字義は同じですが「小さな弊を放置すると大きな禍いになる」という警告に使われており、向きが逆です。今回確認した漢典では、中国語の項目は「積小成大」のほうにありました。

インタビュー後記|四字になる前に、何が語られていたのか

四字の出どころをたどるだけのつもりが、思っていたより遠くまで来ました。

いちばん印象に残ったのは、島根県立図書館の司書の記録です。四字熟語辞典を5冊引き、どれに載っていなかったかを書名まで残したうえで、最後は尊徳の名言集で読みと意味を答えていました。

引いて無かったという経過まで残すのは、簡単そうでいて難しいことだと思います。

もう一つは、四字が中国の史書では逆向きに使われていたことでした。積もるということ自体には、良いも悪いもない。どちらを積むかだけが違う。そう考えると、この言葉が二宮尊徳の名で残ったことにも意味があるように思えます。

四字は覚えやすく、だからこそ広まりました。ただ、縮める前に何が語られていたのかは、今も開ける場所に残っています。

あなたは二宮尊徳の生き方から、何を受け取るでしょうか。

尊徳の言葉については、出どころを一つずつたどった記事もあります。

参考資料

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