野口英世の名言を読んでいると、どれも同じ方向を向いていることに気づきます。努力、忍耐、貧しさに負けない心。並べていくうちに、だんだん息苦しくなってきました。
この人は本当に、朝から晩まで努力を説いていたのでしょうか。それとも私たちが「努力の人」という枠をつくり、その枠に合う言葉ばかりを集めてきたのでしょうか。
この記事の結論
気になって、一件ずつ出どころをたどってみました。結果は予想以上でした。本人にさかのぼって確認できたのは、22件のうち2件だけです。
しかも有名な2つは、野口以外の人物の名で流通していました。「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い」はルソー、「過去を変えることはできない」はエリック・バーンです。
- 2件
本人にさかのぼって確認できる - 18件
広く流布するが出典を特定できず - 2件
他の人物の名で流通している
ただし、この2件で確認できた度合いは違います。ルソーは作品本文に同じ文言を確認できましたが、バーンのほうは本人の著作に出典を確認できませんでした。
今回調べたのは、野口英世記念会をはじめとする公的機関が公開している資料と、ネット上でたどれる範囲です。
この記事では22件を出典で3つに区分し、それぞれ「出典・解釈・現代へのヒント」の表と解説を添えました。番外編では、野口を語るときによく引かれる手紙が本人の言葉ではないという話も扱います。
聞き手として英世AI(野口英世をモデルにしたAI)にも登場してもらいます。ただし本人への帰属を確認できない項目では、英世AIも自分の言葉としては扱いません。
※以下の英世AIの発言部分は、公開されている史料をもとに野口英世の人物像を再現した創作です。野口本人の発言を記録したものではありません。掲載する項目は、出典をたどれたものに根拠を示し、たどれないものは区分B・Cとして明記しています。英世AIが語る背景や意味の説明にも創作を含みます。

本や資料でしか知らなかった野口さんと、こうして言葉について語り合えるとは……。少し緊張しますが、それでは野口さん、よろしくお願いします。

これは驚きました。書物の向こうから呼び出されるとは、妙な心地であります。
私の言葉とされるものの出どころを、一つずつ確かめるというお話でしたな。よい仕事です。
ただ、どれが私の口から出たものか、私自身にも見分けはつきません。分からぬことは分からぬと申しましょう。
- 野口英世の名言を読み解く前に|どんな人物だったか
- 野口英世の言葉は、どこまで本人のものか|出典の3区分
- 野口英世の名言・伝承22選
- 名言①「志を得ざれば再び此地を踏まず」
- 名言②「忍耐」
- 名言③「私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」
- 名言④「努力だ、勉強だ、それが天才だ。だれよりも、三倍、四倍、五倍、勉強する者、それが天才だ」
- 名言⑤「ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼に成し得られる努力が、自分に成し得られぬはずがない」
- 名言⑥「絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ」
- 名言⑦「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない」
- 名言⑧「名誉のためなら危ない橋でも渡る」
- 名言⑨「障害者であることは、学問においては問題にならない」
- 名言⑩「学問は一種のギャンブルである」
- 名言⑪「教えに来たのではありません。習いに来たのです」
- 名言⑫「自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ」
- 名言⑬「この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである」
- 名言⑭「モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人のすぐれた性質であり、たくましい能力でもあるのです」
- 名言⑮「正直であることが最高の手段だ」
- 名言⑯「人は能力だけでは、この世に立つことはできない。人は能力と共に徳を持つことが必要である」
- 名言⑰「人生最大の幸福は一家の和楽である」
- 名言⑱「人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ」
- 名言⑲「この母なくして医学者である自分はない」
- 名言⑳「どうも私にはわからない」
- 名言㉑「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い」
- 名言㉒「過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ」
- 【番外編】野口英世を語るとき、よく引かれる言葉は本人のものではない
- 22件から見えてくる3つの傾向
- よくある質問(FAQ)
- インタビュー後記|「努力の人」の枠から外れた言葉
- 参考資料
野口英世の名言を読み解く前に|どんな人物だったか
言葉の背景を知るために、まずは野口がどんな人物だったのかを確認しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 野口英世(のぐち ひでよ)。幼名は清作 |
| 生没年 | 1876年〜1928年 |
| 出身 | 福島県耶麻郡三ッ和村(現在の猪苗代町) |
| 活躍した時代 | 明治〜昭和初期 |
| 主な仕事 | 細菌学者。蛇毒・梅毒・黄熱病などの研究 |
| 一言でいうと | 貧しい農家から世界の医学研究の場へ進んだ細菌学者 |
野口は1歳半のときに囲炉裏に落ち、左手に大やけどを負いました。手術によって手が使えるようになった経験が、医学へ進むきっかけになったと語られています。
大学の正規課程を経ず、私立の医学校である済生学舎で学んで医術開業試験に合格しました。渡米後はロックフェラー医学研究所で研究を続け、1928年、西アフリカのアクラで黄熱病により亡くなっています。
その生涯は、こちらの記事で詳しく紹介しています。

野口さんが生きた時代は、どんな時代でしたか。

日本が西洋の学問に追いつこうと必死であった時代であります。
私は福島の貧しい農家に生まれ、左手にやけどを負いました。それでも学ぶ道が閉ざされなかったのは、恩師や周りの方々の助けがあったからです。
誰もが学べる世であったとは、とても申せません。運に助けられた面も大きかったのでしょう。
野口英世の言葉は、どこまで本人のものか|出典の3区分
名言を読む前に、この記事の下ごしらえを説明させてください。「野口英世の言葉」として流布しているものは、確かめられる度合いがまるで違います。
そこで22件を、出典の性質によって3つに分けました。区分は記事のための整理であり、学術的に定まった分類ではありません。
| 区分 | どんな言葉か | 件数 |
|---|---|---|
| A|本人にさかのぼって確認できる | 本人が刻んだ文字、または本人が贈った文字にもとづくものが現存し、公的機関が伝えているもの | 2件 |
| B|出典を特定できず | 広く流布しているが、出どころをたどれなかったもの | 18件 |
| C|他の人物の名で流通している | 野口以外の人物の言葉として広く紹介されているもの。確認できた度合いは項目ごとに異なる | 2件 |
区分Aは、いずれも福島県猪苗代町の野口英世記念館で伝えられているものです。生家に残る床柱の刻字と、帰国時に贈った「忍耐」の文字を彫った記念碑。どちらも紙に書かれた名言集ではなく、物として残っている点が共通しています。
一方、区分Bの18件には出どころが見つかりませんでした。野口は多くの手紙を残したことが知られていますが、名言集に並ぶ言葉がその手紙のどこに書かれているのかは、示されていないのです。
なお本記事は、区分Bの各項目について「野口の言葉ではない」と断定しているわけではありません。確認できなかったという意味です。この点は区分Cとは分けて読んでください。

野口さんの言葉として、たくさんの名言が伝わっています。この状況を、ご本人はどうご覧になりますか。

たくさん、でありますか。それは面はゆい話です。
私は論文も手紙もずいぶん書きました。ですが、名言と呼ばれるようなものを書き留めた覚えはありません。
どこに書かれているかを確かめてから読む。学問と同じ手つきであります。ありがたいことです。
野口英世の名言・伝承22選
ここからが本題です。検索上位のサイトに繰り返し出てくる言葉を集め、22件にまとめました。
- 複数のサイトに繰り返し載っている言葉だけを対象にすること
- 数を増やすために、出所のあやしい言葉を足さないこと
- 出典を確認できないものは、隠さず「特定できず」と書いて載せること
競合する名言サイトには30件を掲げるものもありました。それでも22件で止めたのは、確かに流布していると確認できた言葉だけを載せる方針をとったためです。それでは1つずつ見ていきましょう。
名言①「志を得ざれば再び此地を踏まず」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分A。1896年(明治29年)、19歳で上京する際に生家の床柱へ刻んだ言葉。刻字は野口英世記念館の生家に現存します |
| 解釈 | 志を成し遂げられなければ、二度とこの土地は踏まない |
| 現代へのヒント | 引き返せなくすることが、いちばん強い決意表明になる |
この記事のなかで、もっとも根拠のはっきりした一件です。野口英世記念会の公式サイトが、19歳の英世が医術開業試験を受けるために上京する際、生家の床柱に刻んだものだと伝えています。
紙に書いたのではなく、柱に刃物で刻んだ。しかも自分の家の柱です。取り消すことも書き直すこともできません。
医者になれなければ故郷には帰らない、という決意として読まれてきました。実際、野口が次に猪苗代へ帰るのは、これより19年あとの1915年(大正4年)のことです。

生家の床柱に刻まれた言葉が、今も残っています。

ああ、あの柱でありますか。今も残っているとは。
医者にならねば帰らぬ、という気持ちであったのでしょう。刻んでしまえば消せませんからな。
もっとも、あのとき何を思っていたかを伝える記録は残っておりません。ここからは創作としての物言いと思うてください。
名言②「忍耐」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分A。1915年(大正4年)の帰国時に寄贈した文字。没後の翌年、生家の庭に建てられた記念碑に彫られています |
| 解釈 | 耐えること |
| 現代へのヒント | 座右の銘は短いほど、迷ったときに思い出せる |
たった2文字ですが、これも野口自身の文字にもとづくものです。野口英世記念会の公式サイトによれば、1915年の帰国時に寄贈した「忍耐」の文字と外国語の文字を彫った記念碑が、没後の翌年に生家の庭へ建てられました。
名言集では「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い」という長い形で紹介されることが多いのですが、確認できるのは「忍耐」の2文字のほうです。長い形については名言㉑で扱います。
なお庭にはもう1基、「野口英世誕生地碑」が建っています。こちらにはアメリカの妻から送られた遺髪が納められているとされます。

記念碑に彫られた『忍耐』は、ご自身が贈られた文字だと伝わっています。

二文字だけでありますか。それは私らしい。
長い訓示は、書いた本人が先に忘れるものです。短ければ、迷ったときに思い出せます。
碑にまでしていただいたとは、恐れ入るばかりであります。
ここから③〜⑳の18件は区分Bです。いずれも複数の名言サイトに載っていますが、どこに書かれた言葉なのかを確認できませんでした。項目ごとに同じ断りは繰り返さないので、その前提で読み進めてください。
名言③「私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 自分は何かを成し遂げるために生まれてきたのだから、恐れるものはない |
| 現代へのヒント | 使命感は、恐れを消すのではなく、恐れを上回る力になる |
名言集の冒頭に置かれることが多い一句です。強い自負が前面に出ており、野口の人物像を代表する言葉として扱われています。
読みどころは「恐れるところがない」の理由づけでしょう。能力があるからではなく、役割があるから恐れないという構造になっています。
ただし、いつどこで語られたのかは分かりませんでした。翻訳調の言い回しから、英語の文章を訳したものが広まった可能性も考えられます。

何事かをなすために生まれてきた、という言葉が伝わっています。

立派な物言いでありますな。少々気恥ずかしい。
この形で私が申したかどうかは、あなたがたの世に残る記録でも分からぬそうです。
ただ、恐れがなかったはずはありません。恐れながら進むほかなかった、というほうが近いでしょう。
名言④「努力だ、勉強だ、それが天才だ。だれよりも、三倍、四倍、五倍、勉強する者、それが天才だ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 天才とは生まれつきの才能ではなく、人より多く努力する者のことだ |
| 現代へのヒント | 才能の有無を考える時間を、そのまま作業に回す |
野口の名言としてもっとも広く知られている一句でしょう。前半だけ、あるいは後半だけを切り出して紹介されることもあります。
この言葉が繰り返し引かれるのは、野口の経歴とぴったり重なるからです。大学の正規課程を経ずに医術開業試験へ挑んだ人物の言葉として、これ以上ないほど収まりがよいのです。
収まりがよすぎる、とも言えます。人物像に合う言葉ほど、後から結びつけられて広まりやすいものだからです。

努力こそ天才だ、という言葉が広く知られています。

よくもまあ、私の名で広まったものです。
人より多く働いたことは確かであります。ですが、それを天才と呼ぶのは言い過ぎではありませんか。
私は大学の正規の課程を経ておりません。人より多くやるほか、道がなかったのです。
名言⑤「ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼に成し得られる努力が、自分に成し得られぬはずがない」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | ナポレオンにできた努力が、自分にできないはずがない |
| 現代へのヒント | 目標にする相手は、遠い人のほうが基準が上がる |
睡眠時間を削って研究に打ち込んだ姿を象徴する言葉として紹介されます。比較の相手にナポレオンを選んでいる点が、この一句の特徴です。
なお、ナポレオンが3時間しか眠らなかったという話自体、後世に広まった逸話とされています。引き合いに出されている前提のほうも、確かなものではありません。
短時間睡眠を推奨する言葉として引用されることがありますが、健康面の判断は現代の知見に従うべきでしょう。

ナポレオンを引き合いに出した言葉が伝わっています。

ナポレオンを引き合いに出すとは、大きく出たものです。
眠らずに机に向かった日があったことは否みません。ですが、それを人に勧める気はありません。
無理を重ねれば、いずれ体に返ってくるものでしょう。
名言⑥「絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 絶望していると思い込んで嘆くことは、成功も心の平穏も遠ざける |
| 現代へのヒント | 落ち込むこと自体より、落ち込みを長引かせる語りに気をつける |
「絶望のどん底にいると想像し」という書き出しが特徴的な一句です。実際に絶望的な状況にあることと、そう思い込むことを分けている点が読みどころでしょう。
ただし、この言葉を「弱音を吐くな」という戒めとして読むのは行き過ぎだと思います。述べられているのは、嘆きを長引かせることの実害についてです。
こちらも出どころは確認できませんでした。言い回しが長く、翻訳調である点は名言③と共通しています。

嘆き続けることの害を説いた言葉が伝わっています。

ずいぶん長い言い回しでありますな。
嘆くこと自体を責めているのではなく、嘆きを長引かせることの損を言っているように読めます。
読み方だけを申し上げました。
名言⑦「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 貧しさや体の不自由を理由に、失望してはいけない |
| 現代へのヒント | 条件を理由にする前に、条件のなかでできることを数える |
野口自身の境遇と重なるため、もっとも共感を集めてきた言葉の一つです。続けて「人の一生の幸も災いも、自分から作るもの」と紹介されることもあります。
ただ、後半まで含めて読むと、すべては自分次第だという主張になります。貧しさや障害を個人の責任に帰す読み方につながりかねません。
野口自身は、恩師や周囲の援助を受けて学びました。この言葉を自己責任の話として受け取るのは、経歴とも噛み合わないように思います。

貧しさや体の不自由に失望するな、という言葉があります。

これは、扱いに気をつけていただきたい一句であります。
私は貧しい家に生まれましたが、学べたのは恩師や周りの方々の助けがあったからです。自分一人の力ではありません。
すべては己次第、という意味に取られては、私の来し方と食い違ってしまいます。
名言⑧「名誉のためなら危ない橋でも渡る」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 名誉を得るためなら、危険な選択もいとわない |
| 現代へのヒント | 何のために危険を取るのかを、自分で言葉にしておく |
名言集のなかでは異色の、野心をそのまま口にした一句です。清廉な人物像とは違う一面として紹介されます。
野口は借金や散財の話も伝わる人物で、清廉一色の人ではなかったとされます。この言葉は、その人間くささを示す材料として引かれてきました。
ただし出典は確認できませんでした。人物像に幅を持たせる言葉として便利であるぶん、慎重に扱いたいところです。

名誉のためなら危険も冒す、という言葉が伝わっています。

これは……否定しにくいところであります。
名を上げたいという気持ちがなかったとは申せません。金の使い方も、褒められたものではありませんでした。
立派な言葉ばかり並べられるより、こういう一句が残っているほうが、いくらか正直でしょう。
名言⑨「障害者であることは、学問においては問題にならない」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 体の不自由は、学問をするうえでの妨げにはならない |
| 現代へのヒント | 評価の土俵を選べば、不利は不利でなくなることがある |
左手にやけどの跡を負った野口自身の立場から語られたとされる言葉です。学問という土俵では体の条件が関係ない、という趣旨で紹介されます。
現代の言葉づかいとしては表現に古さがありますが、手を使う仕事が選びにくかった時代の発言として読むと、意味合いが違って見えてきます。
出典は確認できませんでした。なお野口は手術で左手の機能が改善した経験から医学を志したと語られており、この言葉と経歴は結びつけて紹介されることが多いようです。

学問において体の不自由は問題にならない、という言葉があります。

言葉づかいは、あなたがたの世には合わぬかもしれません。
左手のやけどは、その後の私の進路に大きく響きました。手を使う仕事は選びにくかったのです。
ですから学問を選びました。妨げにならぬと胸を張るより、そこに道を見つけたと申すほうが近いでしょう。
名言⑩「学問は一種のギャンブルである」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 学問は、賭けのように結果の読めないものだ |
| 現代へのヒント | 見返りが読めない仕事は、賭け金の上限を先に決めておく |
研究の不確実さを言い当てた一句です。努力を説く言葉が並ぶなかで、この一句だけは違う角度を向いています。
実際、研究には努力しても成果が出ないことがあるという現実があります。野口の黄熱病研究も、のちに病原体の特定が誤りとされました。
その意味で、努力一色の名言よりも研究者の実感に近い言葉に見えます。ただし出典は確認できませんでした。

学問はギャンブルだ、という言葉が伝わっています。

これは、よく言い当てております。
手を尽くしても答えに届かぬことは、いくらでもありました。努力すれば必ず実る、というものではありません。
私の黄熱病の研究が後の世でどう扱われたかは存じませんが、確かなところに至ったとは申せますまい。
名言⑪「教えに来たのではありません。習いに来たのです」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 自分は教えるためではなく、学ぶために来た |
| 現代へのヒント | 立場が上がったあとの学び直しは、宣言してから始める |
すでに実績のある研究者が、なお学ぶ姿勢を示した言葉として紹介されます。渡米後や海外での場面と結びつけて語られることが多い一句です。
短いぶん、引用しやすい形になっています。謙虚さを示す言葉として使い勝手がよいため、講演などでもよく取り上げられてきました。
具体的にいつ誰に向けた言葉なのかは分かりませんでした。場面の説明が添えられていないまま、言葉だけが流通しています。

習いに来た、という言葉が伝わっています。

短い言葉でありますな。使い勝手がよいのでしょう。
学びに行った先で教える側に回るのは、気持ちのよいものではあります。ですが、それでは行った意味がありません。
この形で申したかどうかは分かりません。心持ちとしては、そのとおりであります。
名言⑫「自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | やりたいことに打ち込み、それが人の役に立てばいちばんよい |
| 現代へのヒント | やりたいことと役に立つことが重なる場所を探す |
努力を説く言葉が多いなかで、めずらしく穏やかな一句です。自分の望みと人の役に立つことを、対立させずに並べています。
医学という仕事の性質とよく合う言葉でもあります。研究への没頭が、そのまま人の命につながりうるからです。
出典は確認できませんでした。現代の言葉づかいに近く、後から整えられた可能性も考えられます。

やりたいことで人を助けられれば幸せだ、という言葉があります。

穏やかな言葉です。私の名で伝わるものにしては珍しい。
好きでやっていることが人の役に立つ。医学はそれが起こりやすい仕事でありました。
もっとも、役に立つかどうかは後から分かることです。始めるときには分かりません。
名言⑬「この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 人の数だけ、この世には仕事があるはずだ |
| 現代へのヒント | 席が空いていないと感じたら、席のある場所を探しに行く |
働き口を求める人に向けた励ましとして紹介される言葉です。野口自身が職や研究の場を求めて移動を重ねた経歴と重ねて読まれます。
野口は日本での研究の場を求めたのち渡米しました。居場所は与えられるものではなく探すもの、という読み方ができる一句です。
ただし出典は確認できませんでした。言い回しがやや硬く、訳文のような印象も受けます。

人の数だけ仕事がある、という言葉が伝わっています。

働き口を探しておられる方への言葉として読まれているのですな。
私も職と研究の場を求めて、ずいぶん動きました。待っていても席は空きません。
ただ、動けば必ず見つかるとまでは申せません。そこは正直に申し上げておきます。
名言⑭「モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人のすぐれた性質であり、たくましい能力でもあるのです」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 真似から始めて独創に至るのが、日本人の優れた性質だ |
| 現代へのヒント | 模倣は出発点として堂々と使う。そこで止まらなければよい |
日本の学問のあり方を語ったとされる一句です。当時の日本の医学が欧米の研究を追いかけていた状況を背景に読まれます。
模倣を恥じない姿勢を示している点が特徴です。ただし「我々日本人の」という国民性の一般化を含む言い方でもあります。
出典は確認できませんでした。国民性を語る言葉は時代によって受け取られ方が変わるため、慎重に扱いたい一句です。

真似から独創へ、という言葉が伝わっています。

日本人は、とひとくくりにするのは、少々乱暴でありましょう。
当時の私どもが西洋の研究を追いかけていたことは事実です。真似から始めるのは恥ではありません。
ですが、そこで止まらぬこと。申したいのはそれだけであります。
名言⑮「正直であることが最高の手段だ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 正直でいることが、結局はいちばんうまくいくやり方だ |
| 現代へのヒント | 誠実さを道徳ではなく手段として扱うと、続けやすい |
正直さを道徳ではなく「手段」と言い切っているところが、この一句の面白さです。得だから正直であれ、という現実的な言い方になっています。
英語のことわざ「Honesty is the best policy」とよく似た構造を持ちます。訳語が野口の言葉として広まった可能性も考えられるでしょう。
出典は確認できませんでした。似た言い回しが海外に存在するものは、帰属を確かめにくくなります。

正直が最高の手段だ、という言葉が伝わっています。

手段、と言い切っているところが面白い。
徳の話ではなく、損得の話にしております。そのほうが続けやすいのでしょう。
似た言い回しが西洋のことわざにもあります。私の作かどうかは、慎重に見ていただきたい。
名言⑯「人は能力だけでは、この世に立つことはできない。人は能力と共に徳を持つことが必要である」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 能力だけでは世の中で立ちゆかない。徳がなければならない |
| 現代へのヒント | 実力を積むのと同じ時間を、信頼を積むことにも使う |
能力主義を戒める一句です。「たとえ、立身しても、機械と同様だ」という一文を挟んで紹介されることもあります。
努力と才能を説く言葉が並ぶなかで、それだけでは足りないと言っている点が目を引きます。名言④とは反対の方向を向いた一句です。
出典は確認できませんでした。徳を説く言い回しは漢学の素養から来た表現とも考えられますが、原典までは特定できていません。

能力だけでは立てない、という言葉が伝わっています。

これは、先ほどの「三倍、四倍、五倍」とは逆を向いておりますな。
人より多く働けと言い、能力だけでは立てぬと言う。どちらも私の名で伝わっているのが可笑しい。
人の言葉は、集める者の都合で並べ替えられるものなのでしょう。
名言⑰「人生最大の幸福は一家の和楽である」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 人生でいちばんの幸福は、家族が仲よく暮らすことだ |
| 現代へのヒント | 成果の目標と別に、暮らしの目標も置いておく |
「円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない」と続けて紹介されます。功名を説く言葉とは対照的な一句です。
野口は15年にわたって帰国せず、母シカと長く会えないままでした。この言葉と実際の暮らしをどう重ねて読むかは、一概にはいえません。
そのずれこそが、この言葉の読みどころかもしれません。ただし出典は確認できませんでした。

一家の和楽が最大の幸福だ、という言葉が伝わっています。

……これは、口にする資格が私にあるかどうか。
私は長く帰国せず、母に会わぬままでありました。この言葉を私自身のものとして語ることはできません。
そのずれごと読んでいただくのが、いちばん正直でしょう。
名言⑱「人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | 40歳になるまでに、生涯の土台を築いておかなければならない |
| 現代へのヒント | 期限を切ると、積み上げるべきものが具体的になる |
年齢で区切った一句です。40歳という数字が具体的なぶん、記憶に残りやすい言葉になっています。
野口が亡くなったのは51歳のときでした。この言葉のとおりに読むなら、40代の11年間が本番だったことになります。
出典は確認できませんでした。年齢を区切る言い方は儒教の古典にも見られるため、そうした素養が背景にある可能性もあります。

四十までに土台を作れ、という言葉が伝わっています。

四十、と区切ったのは分かりやすい。
数字があると、人は動きやすいものです。期限のない目標ほど頼りないものはありません。
もっとも、四十を過ぎてから始まる仕事もありましょう。区切りは目安であります。
名言⑲「この母なくして医学者である自分はない」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。出典を特定できませんでした |
| 解釈 | この母がいなければ、医学者としての自分は存在しない |
| 現代へのヒント | 支えてくれた相手の名前を、成果を語るときに一緒に出す |
母シカへの思いを語ったとされる一句です。野口を語るとき、母との関係はしばしば取り上げられます。
シカは畑仕事や産婆の仕事で家計を支え、英世の学費を工面したと伝えられます。その支えがなければ進学できなかったという事情は、複数の資料に共通しています。
ただし、この形の言葉がどこで語られたのかは分かりませんでした。母子の物語に合わせて整えられた表現の可能性もあります。

お母さまについて語ったとされる言葉が伝わっています。

母のことは、いくら申しても足りません。
畑に出て、産婆の仕事をして、私を学校へやってくれました。あの支えがなければ、どこにも行けなかったでしょう。
中身に異存はありません。
名言⑳「どうも私にはわからない」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分B。最後の言葉として紹介されますが、出典を特定できませんでした |
| 解釈 | どうしても分からない |
| 現代へのヒント | 分からないと認めるところから、次の問いが立つ |
黄熱病に倒れた野口が、最期に発したとされる言葉です。研究していた病に自分が感染し、その謎を解けないまま亡くなったという文脈で紹介されます。
名言集のなかで、唯一の「分からない」という言葉です。努力と自負に満ちた言葉が並ぶなかで、この一句だけが異質な響きを持っています。
ただし、臨終の言葉は後から整えられることが多いものです。この一句も出典を確認できませんでした。なお野口が取り組んだ黄熱病の病原体については、のちに彼の説が誤りとされています。

最期の言葉として、この一句が伝わっています。

……分からぬ、と申したのでしょうか。
そう伝わっているというだけで、私に確かめられることではありません。
ただ、分からぬものを分かったことにするのが、学問ではいちばん恐ろしい。そこだけは申し上げておきます。
ここから㉑㉒は区分Cです。どちらも野口の名言として広く紹介されていますが、調べたところ野口以外の人物の名で流通していました。
ただし2件では、確認できた度合いが違います。㉑はルソーの作品本文に同じ文言を確認できました。㉒はバーンの言葉として広く紹介されているものの、本人の著作に出典まではたどれていません。
いずれにせよ「野口が口にしなかった」ことまで証明できるわけではありません。
名言㉑「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分C。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712〜1778)の『ジュリー、あるいは新エロイーズ』(1761年)第1部・第46書簡(ジュリーからの手紙)に、同じ文言が見えます |
| 解釈 | 耐えることは苦しいが、その先に得られるものは甘い |
| 現代へのヒント | 途中の苦さと、先にある甘さを分けて考える |
野口の座右の銘として、もっとも多く引かれる一句です。「忍耐は苦し、されどその実は甘し」という古風な形で紹介されることもあります。
ところが、この言葉はルソーのものとして広く知られています。野口が生まれるより100年以上前に亡くなった人物です。野口が自分の言葉として述べたとする根拠は、見つけられませんでした。
実際、ルソーの『ジュリー、あるいは新エロイーズ』には「la patience est amère, mais son fruit est doux」という一文があります。
ただし、ルソーがこの言い回しを最初に作ったかどうかは別の話です。フランスのことわざとして紹介されることもあります。
とはいえ、野口が「忍耐」の2文字を贈ったことは名言②のとおり確認できます。座右の銘が「忍耐」であったことと、この長い一句が野口の作であることは、分けて考える必要があります。

この一句は、ルソーの言葉として広く知られています。

ルソー先生の言葉でありましたか。それは失礼をいたしました。
私が贈ったのは「忍耐」の二文字であります。長い一句のほうは、私の作ではないのでしょう。
よい言葉が人から人へ渡るうちに、名札が付け替わる。よくあることなのでしょうな。
名言㉒「過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 区分C。交流分析を提唱した精神科医エリック・バーン(1910〜1970)の言葉として広く紹介されています。ただしバーン本人の著作に出典は確認できませんでした |
| 解釈 | 変えられるのは自分と未来だけだから、過去を変えようとはしない |
| 現代へのヒント | 悩みを「変えられるもの」と「変えられないもの」に仕分ける |
自己啓発の文脈でよく引かれる一句です。「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」という短い形のほうが有名かもしれません。
この言葉は、交流分析という心理療法を提唱したエリック・バーンのものとして広く紹介されています。バーンが理論を発表したのは1950年代で、野口が亡くなった1928年より後のことです。
ただし、バーンの著作にこの文言があるかどうかまでは確認できませんでした。野口の言葉とする根拠も、バーンの言葉とする一次出典も、どちらも見つけられなかったというのが正確なところです。
ただし、言い回しだけから成立の時期や帰属を判断することはできません。

この一句は、エリック・バーンの言葉として広く知られています。

エリック・バーン……私の存じ上げぬお名前であります。
言い回しも、私の時代のものとは違いますな。変えられるのは自分と未来だけ、とは、ずいぶん整った言い方です。
私の言葉として広まっているのなら、それは直していただいたほうがよいでしょう。
【番外編】野口英世を語るとき、よく引かれる言葉は本人のものではない
出典をたどっていて、いちばん考えさせられたのがこの点です。野口英世を語る記事や番組でよく引用される一節は野口の言葉ではなく、母シカの手紙でした。
野口英世記念会の公式サイトが、その手紙を展示物として紹介しています。長く帰国しない息子に宛てて、シカが慣れない文字で書いたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 引かれる一節 | はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする |
| 書いた人 | 母・シカ(野口英世本人ではありません) |
| 伝えていること | 公益財団法人 野口英世記念会が、現存する唯一の母の手紙として紹介しています |
| その後 | 手紙を受け取った英世は、1915年(大正4年)に15年ぶりに帰国し、母と再会しました |
シカは幼いころに文字を覚えたものの、その後はほとんど書く機会がなかったと伝えられます。英世は、母が字を書けることを知らなかったと語ったとされています。
ここで立ち止まりたいのは、出典を特定できなかった18件に比べて、この手紙のほうが出どころがはっきりしているという点です。22件のうち本人までさかのぼれたのは2件でした。一方この手紙も現物が伝わっており、書き手と出どころを確認できます。
野口の名言として流布する言葉を22件並べ、そのうち本人までさかのぼれたのが2件。かたや、文字を書き慣れない母が絞り出した一節は、はっきりと残っている。名言集をたどる作業の最後に、この対比が残りました。

お母さまの手紙は、今も記念館で紹介されています。

あの手紙が、今も残っているのですか。
母が字を書けるとは知らなかった。私はそう語ったと伝わっております。
私の名言とやらより、あの数行のほうが確かに残っている。それでよいのだと思います。
22件から見えてくる3つの傾向
一件ずつ出典をたどってみると、野口の名言には共通した傾向がありました。ここでは3つに整理します。ただし出典を特定できない項目がほとんどを占めるため、思想としてまとめるのではなく、傾向として示します。
- 確認できた2件は、名言集に載るような長い文章ではなく、物として残った刻字・文字だった
- 流布する言葉には「努力」や「忍耐」に関するものが多く、人物像の枠と重なっている
- 言い回しが現代的・翻訳調のものが多いが、原文との異同はたどれない
1つめは、確認できた言葉の性格です。区分Aの2件は、床柱に刻んだ「志を得ざれば再び此地を踏まず」と、帰国時に贈った「忍耐」の2文字。どちらも紙の上の文章ではありません。
名言として流通しているのは長く整った文章のほうですが、確かめられたのは物として残った短い文字でした。この差は示唆的だと思います。
2つめは、内容の偏りです。18件のうち大半が努力・忍耐・境遇を語るものでした。「努力の人」という人物像が先にあり、それに合う言葉が集まっていった可能性があります。
一方で名言⑧「名誉のためなら危ない橋でも渡る」や名言⑩「学問は一種のギャンブルである」のように、枠から外れる言葉も残っています。こうした一句のほうが、かえって人間らしく感じられました。
3つめは、言い回しです。区分Bの多くは、現代の名言サイトで読みやすい文章として掲載されています。原文がどの程度書き直されているのかは、出典が分からない以上たどれませんでした。
よくある質問(FAQ)
野口英世の一番有名な名言は何ですか?
もっとも広く知られているものの一つが「志を得ざれば再び此地を踏まず」です。1896年、19歳で上京する際に生家の床柱へ刻んだ言葉で、刻字は福島県猪苗代町の野口英世記念館に現存します。
「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い」は野口英世の言葉ですか?
フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの言葉として広く紹介されています。野口が自分の言葉として述べたとする根拠は見つけられませんでした。ただし野口が1915年の帰国時に「忍耐」の文字を贈ったことは、野口英世記念会の公式サイトで確認できます。
「努力だ、勉強だ、それが天才だ」の出典はどこですか?
出典を特定できませんでした。複数の名言サイトに掲載されていますが、いつどこで語られたのかを示すものは見つかりません。野口の経歴とよく合う言葉であるぶん、後から結びつけられた可能性も考えられます。
野口英世が書いた文章は残っているのですか?
研究論文のほか、多くの書簡が残っていることが知られています。福島県猪苗代町の野口英世記念館には生家や遺品が保存されており、1914年に自ら被写体となって撮影し、恩師の小林栄へ送ったカラー写真なども紹介されています。
野口英世はノーベル賞を受賞したのですか?
受賞していません。複数回にわたって推薦されたことが知られていますが、受賞には至りませんでした。「推薦された」ことと「受賞した」ことは別です。
インタビュー後記|「努力の人」の枠から外れた言葉
出典をたどる前、私は野口英世を「努力の人」として理解していました。作業を終えたいま、その理解は少し変わっています。
変わったのは、努力を疑うようになったからではありません。確認できた2件は、どちらも人に努力を説く訓示ではなかったからです。柱に刻んだのは自分への決意で、贈ったのは「忍耐」の2文字でした。
一方、名言集で目立つのは「三倍、四倍、五倍、勉強する者、それが天才だ」のように、努力の価値を強く打ち出す言葉です。こうした出典不明の言葉が「努力の人」という人物像と結びついて広まった可能性はありますが、成立の過程まではたどれませんでした。
そしてもう一つ。番外編で扱った母シカの手紙のほうが、本人の名言よりも確かな形で残っていました。「はやくきてくたされ」という一節に、努力も忍耐も出てきません。
言葉の重さは、出典の強さだけでは決まらない。それでも、どこから来た言葉なのかを知ってから読むと、響き方が変わります。あなたは野口英世の生き方から、何を受け取るでしょうか。

最後に、これから何かを目指す人たちへ、一言いただけますか。

ここからは創作としての物言いと思うてください。
私の名で残った言葉のうち、確かめられたのが二つだけとは、なんとも心もとない話であります。ですが、それでよいのでしょう。
柱に刻んだのが何のためであったか、確かなことは申せません。ただ、人に配るための言葉ではなかったはずであります。
参考資料
- 医学界新聞(医学書院)第3465号(2022年4月11日)中込治「野口英世と黄熱の歴史から100年を経た教訓」※黄熱病の病原体をめぐる評価の出典
- Wikisource「Œuvres complètes de Jean-Jacques Rousseau, tome II」※名言㉑の文言の所在。『ジュリー、あるいは新エロイーズ』第1部・第46書簡(ジュリーからの手紙)
- 公益財団法人 野口英世記念会「生家エリア」※「志を得ざれば再び此地を踏まず」の刻字(1896年・19歳・上京時)、囲炉裏、「忍耐」の文字を彫った記念碑(没後翌年建立)の根拠
- 公益財団法人 野口英世記念会「母シカの手紙」※「はやくきてくたされ」の一節・現存する唯一の母の手紙であること・1915年の再会の根拠
- 公益財団法人 野口英世記念会「素顔の英世」※1914年に自ら被写体となって撮影し恩師・小林栄へ送ったカラー写真の根拠
- 癒しツアー「野口英世の名言(ノーベル賞候補になった細菌学者の言葉)」※区分Bの多くの項目が流布していることの確認に用いた名言サイト(19件掲載・出典表記なし)
- Histonary「野口英世の名言集|性格や人物像がわかるエピソードを交えて簡単に解説!」※名言⑲「この母なくして医学者である自分はない」・名言⑳「どうも私にはわからない」が流布していることの確認
- goo辞書「ジャン=ジャック・ルソーの名言」※名言㉑がルソーの言葉として紹介されていることの根拠
- 東進ドットコム「野口英世 – Proverb(ことわざ)・格言(名言)」※名言㉑㉒が野口英世の名言として流通していることの確認
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