「ジョン万次郎の生家」と検索すると、茅葺きの小さな家の写真がいくつも出てきます。私が最初に引っかかったのは、その家が本当に万次郎の生まれた家なのか、という点でした。
観光サイトの名称をよく見ると「ジョン万次郎生家(復元)」。1827年生まれの人の家が、そのまま残っているわけではなさそうです。では何をもとに、誰が建て直したのか。行き方や駐車場の書き方も、資料ごとに食い違っていました。
この記事の結論
ジョン万次郎の生家は、高知県土佐清水市中浜に復元された茅葺きの木造平屋です。 「万次郎の生家」として残る写真をもとに設計され、2010年10月31日に完成しました。
見学は無料で、土佐清水市観光協会は開館時間を8:00〜17:00、無休と案内しています(2026年9月29日確認)。ジョン万次郎資料館からは車で約15分です。
ただし、建物は復元で、万次郎が暮らした当時の家そのものではありません。復元地が生家の跡地かどうかも、今回確認した公式資料には見当たりません。駐車場の案内は資料によって分かれます。
- 2010年10月31日
復元生家の完成日 - 約28㎡
床面積(日経の報道) - 5日間
市の年表が記す帰郷
この記事では、次の順で確かめていきます。
- 生家はどこにある? → 土佐清水市中浜252-5に復元されている
- 行き方は? → 資料館から車で約15分。駐車場の案内は資料で分かれる
- 何をもとに復元した? → 残っていた写真と、市内有志の募金
- 屋根の修繕は? → 2019年にクラウドファンディング、2020年12月に修繕完了
- 生まれた中ノ浜はどんな村? → 天保年間に家数168・人数954の漁村
- 1852年の帰郷は? → 11年10か月ぶりの再会。市の年表は滞在5日間と記す
そして今回も、万次郎AI(ジョン万次郎をモデルにしたAI)に登場してもらいます。万次郎は1898年に亡くなっているので、復元や修繕、大河ドラマの話は「おまんらの世の話」として伝え聞く形で語ってもらいます。
※以下のインタビュー部分は、公開されている史料をもとにジョン万次郎の人物像を再現した創作です。実際の発言をそのまま掲載したものではありません。
万次郎の没後の出来事については、後の世に伝わったものとして伝えたうえで語ってもらう形にしています。
出典の確かめ方と、公開前に行っているチェックは編集方針にまとめています。

万次郎さん、今日はあなたが生まれた中ノ浜の家の話を伺います。
いまその土地には、あなたの家が建て直されているそうです。史料で分かる範囲で構いません。あなたの生まれた家は、どんな家だったのでしょうか。

おう、よう来てくれたのう。わしは中ノ浜の漁師の子じゃき、家というても立派なもんやなかったがよ。
茅葺きの小さな家じゃったと、おまんらの世に写真が残っちょるそうな。わしの口で間取りまで言い切るのはやめちょこう。
建て直されたがは、わしが死んだあとの話じゃき。あの世まで便りは届かんちや。
- ジョン万次郎の生家はどこ?土佐清水市中浜に復元された茅葺きの平屋
- 生家(復元)への行き方|資料館から車で約15分、駐車場の案内は資料で分かれる
- 何をもとに復元した?残っていた写真と、市内有志の募金
- 屋根の修繕へ2019年にクラウドファンディング|修繕は2020年12月に完了
- 万次郎が生まれた中浜(中ノ浜)はどんな村だったか|天保年間に家数168・人数954
- 1852年の帰郷|11年10か月ぶりの母との再会は「わずか5日間」と伝わる
- 生家の周りのゆかりの地|生誕地記念碑・記念碑・仮墓・資料館・足摺岬の像
- 大河『ジョン万』に向けて中浜はどう変わる?|ジョン万EXPOは2027年1月から
- ジョン万次郎は何をした人?生家を訪ねる前に知っておく3つのこと
- よくある質問(FAQ)
- インタビュー後記|「小さい家」の数字が教えてくれること
- 参考資料
ジョン万次郎の生家はどこ?土佐清水市中浜に復元された茅葺きの平屋
結論から書きます。ジョン万次郎の生家は、高知県土佐清水市中浜252-5に「ジョン万次郎生家(復元)」として建てられています。 土佐清水市観光協会の案内をもとに、基本情報を表にします。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | ジョン万次郎生家(復元) |
| 所在地 | 高知県土佐清水市中浜252-5 |
| 完成 | 2010年(平成22年)10月31日 |
| 構造 | 茅葺きの木造平屋。当時の生活を再現 |
| 設計の根拠 | 「万次郎の生家」として残る写真 |
| 見学時間 | 8:00〜17:00、無休(観光協会の記載。資料により表記が異なる) |
| 料金 | 無料。屋内も見学できる |
| 問い合わせ先 | 土佐清水市観光協会 0880-82-3155(観光協会の記載)/中浜区長場 0880-82-9027(県の観光サイト・いこーよの記載) |
いずれも2026年9月29日に確認した内容です。

写真の入口には「見学時間 午前8時〜午後5時」の掲示が写っています。
名称に「復元」と入っているとおり、この建物は万次郎が暮らした当時の家ではありません。県の観光サイト「こうち旅ネット」は「現存している生家の写真をもとに」と書いています。
ここでいう「現存している」は、生家そのものではなく、生家を写した写真を指す表現と読めます。
もう一つ、私が確かめたかったのは、復元された建物が生家の跡地に建っているのか、という点です。
今回確認した観光協会・市・資料館のページには、跡地に建てたという記述は見当たりません。日本経済新聞は「総事業費は土地代も含め」と書き、修繕クラウドファンディングの発起人は「生誕地のすぐそばに建てられた」と記しています。
この記事では、生誕地とされる中浜の集落内に、写真をもとに復元された建物と書くことにします。跡地そのものかどうかは、今回の資料では確かめられません。

あなたの生家は、いまは写真をもとに建て直されたものだと分かりました。
生まれた家がそのまま残っているわけではない、と聞いて、どう感じますか。

家いうもんは、人が住まんようになれば朽ちるもんじゃき。残っちょらんと聞いても、たまげはせんちや。
ここからは創作の物言いと思うて聞いてくれや。写真を見て建て直してくれた人がおる。それだけで、ありがたい話じゃのう。
跡地かどうかまでは、おまんらの世の資料にも書かれちょらんそうな。わしが言い切るわけにはいかんき。
開館時間も、資料によって表記が違います。観光協会は8:00〜17:00ですが、こうち旅ネットとじゃらんは8:30〜17:00、いこーよは春〜秋8:00〜18:00・秋〜春8:00〜17:00です。
2010年の日本経済新聞は、復元当時の公開時間を9:00〜16:00と報じていました。この記事では、一次情報にあたる観光協会の記載を採り、確認日を添えています。
生家(復元)への行き方|資料館から車で約15分、駐車場の案内は資料で分かれる
生家(復元)は、ジョン万次郎資料館から足摺岬方面へ車で約15分の集落の中にあります。車とバスでの行き方を、出典とあわせて先に表にまとめます。
| 手段 | 区間 | 目安 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 車 | 高知市周辺→土佐清水市 | 約2時間30分 | 土佐清水市 |
| 車 | 四万十町中央IC→生家 | 約1時間45分 | こうち旅ネット |
| 車 | 土佐清水市役所→生家 | 約8分(6km) | 土佐清水市 |
| 車 | ジョン万次郎資料館→生家 | 約15分 | 資料館ブログ |
| バス | 中村駅→清水バスセンター | 約55分 | 土佐清水市 |
| バス | 最寄りの停留所 | 「中ノ浜」(中村駅からの所要時間は今回確認できず) | 土佐清水市ほか |
| 駐車場 | 生家の周辺 | 「専用駐車場なし」と「普通車5台」で資料が分かれる | 資料館ブログほか |
車の場合、市のアクセス案内では高知市周辺から約2時間30分です。高知から四万十町中央まで約1時間、そこから国道56号・321号で約1時間30分と案内されています。
高速道路を使うなら、県の観光サイトは高知自動車道の四万十町中央ICから約1時間45分と記しています。市の生誕地のページは、市役所から約8分(6km)としています。
資料館からの道順は、資料館のスタッフが2024年にブログで案内しています。県道27号を足摺岬方面へ進み、中浜大橋を渡って、「中浜万次郎生誕地」の看板で右折し、坂を下ります。
中浜郵便局・たけまさ商店の前を右折し、中浜区長場の右横の路地に入った先が生家(復元)です。
バスの場合、市の案内では中村駅から土佐清水(清水バスセンター)まで約55分です。生家の近くには、高知西南交通「中村-清水-大浜-足摺岬」線の停留所「中ノ浜」があります。
停留所名は、市とNAVITIMEが「中ノ浜」、こうち旅ネットが「中の浜」と表記しています。中ノ浜は、中村駅と足摺岬を結ぶこの路線の途中にある停留所です。中村駅から中ノ浜までの所要時間は、今回確認できていません。

高知市周辺から土佐清水市までは車で約2時間30分。ジョン万次郎資料館から生家までは、さらに車で約15分でした。
事典が引く古い地誌には、中ノ浜は『無港』、港のない浦だったとあります。あなたの時代、人や物はどう出入りしていたのでしょう。

高知から2時間半で着くがか。わしの時分を思えば、たまげるほど早いのう。
鰹と小漁、合間に畑、と天保のころの記録にあるそうな。冬に薪を伐ったというのは、それより古い書き物の話じゃ。
人や物がどう出入りしよったか、細かいところまでは史料に残っちょらんそうな。そこはわしの口で作らんとこう。
そして、読者がいちばん迷うのが駐車場です。駐車場の案内は、資料によって分かれています。
資料館のブログは「専用駐車場はありませんので」と書き、写真に写る車を参考に寄せて停めるよう案内しています。いこーよも「駐車場なし」です。一方、こうち旅ネットは「あり・無料・普通車5台」と記しています。
じゃらんに載る2023年4月訪問の口コミは、「中浜区長場前に駐車し、細い路地を歩いて行く」と書いています。
本記事は、どの記載が現状に合うかを判断できません。路地を歩いて生家に向かう点は、資料館ブログと口コミが一致しています。

問い合わせ先として、こうち旅ネットといこーよは中浜区長場の電話番号(0880-82-9027)を載せています。
何をもとに復元した?残っていた写真と、市内有志の募金
復元のもとになったのは、「万次郎の生家」として残る写真でした。 観光協会は「写真を基に設計」、日本経済新聞も「残された古い写真を元に設計」と書いています。復元の中身を、確認できた数字で表にします。
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 設計の根拠 | 「万次郎の生家」として残る写真 | 観光協会/日本経済新聞 |
| 床面積 | 約28㎡ | 日本経済新聞(2010年11月3日) |
| 材料 | 四万十町産などのスギ材 | 日本経済新聞 |
| 間取り | 板の間・土間・かまどを再現。内部に古い民具 | 日本経済新聞 |
| 実行委員会 | 2009年に土佐清水商工会議所や観光協会などが組織 | 日本経済新聞 |
| 募金 | 県内外から約1,250万円 | 日本経済新聞 |
| 県の補助金 | 500万円 | 日本経済新聞 |
| 総事業費 | 約1,300万円(土地代を含む) | 日本経済新聞 |
| 完成見学会・落成式 | 2010年10月30日に見学会、31日に落成式 | 施工業者の記録/観光協会 |
数字の多くは、2010年11月3日の日本経済新聞の報道1本によります。ほかの資料では確認できていないので、本記事でも報道による数字として扱います。
観光協会は、資金を「市内の有志が募金活動で集めた浄財を中心に」と書いています。資料館も「市内の有志の働きにより集まった募金などで復元されました」としています。
日本経済新聞の報道によれば、県内外から約1,250万円の募金が集まり、総事業費は土地代を含めて約1,300万円で、募金に加えて高知県の補助金500万円を充てました。
募金と補助金を足すと総事業費を上回りますが、内訳の関係は記事からは読み取れません。表の数字は、報道の数字をそのまま載せています。
写真について、撮影年・撮影者・所蔵先は、今回確認したどの資料にも書かれていません。中浜家(万次郎の子孫)が復元に関わったかどうかも、資料からは確認できません。
完成後の管理については、日本経済新聞が「生家の管理や周辺の観光案内は地元住民が担う」と報じています。落成式は、施工業者の記録によれば、土佐清水市と土佐清水商工会議所が2010年10月31日に行いました。

あなたの家は、残っていた写真をもとに、町の人たちの募金を中心にして建て直されました。
床面積は約28㎡だと報じられています。

町の人らが金を出し合うて建ててくれたがか。わしの知らん話ながら、ありがたいことぜよ。
平方メートルで言われても、わしにはピンとこん。じゃが28㎡いうたら、建て直した家も、ずいぶん小さなもんじゃのう。
数字の多くは新聞1本が伝えたものじゃそうな。そこは、おまんらの世で確かめ続けてもらうしかないのう。
屋根の修繕へ2019年にクラウドファンディング|修繕は2020年12月に完了
復元から9年後の2019年、茅葺きの屋根は傷んでいました。CAMPFIREのプロジェクトページは、「主に雨水の影響により、骨組みが見えるほど侵食」していたと書いています。
呼びかけたのは、大阪在住の理学療法士・スポーツトレーナーの西川匠さんと、地元の「中浜ジョン万の会」です。土佐清水市観光協会のブログは、西川さんを「ジョン万次郎ファン」と紹介しています。経過を並べます。
- 2019年12月1日:CAMPFIREで「ジョン万次郎の生家を修繕したい!」の募集を開始
- 目標300万円。All-in方式(目標に届かなくても実行する方式)
- 2019年12月29日:募集終了。支援総額94万5,000円、支援者65人
- 当初の修繕予定は2020年2月
- 2020年12月6日:修復工事を開始
- 2020年12月17日:修繕が完了
支援総額は目標の3分の1ほどで、目標には届きませんでした。 All-in方式だったため、目標未達のままプロジェクトは実行されています。不足分をどう補ったのかは、今回確認できた資料には書かれていません。
使途は、材料費、職人の人件費、リターンの送料と説明されています。修繕の完了は、プロジェクトの活動報告で2020年12月17日と確認できます。募集の開始から1年余りが経っていました。
会の名前は、資料によって表記が異なります。観光協会のブログは「中浜ジョン万の会」、CAMPFIREのページは「中の浜ジョン万次郎の会」です。この記事では観光協会の表記を使います。
なお、2023年には「ジョン万次郎の資料調査・保存プロジェクト」(万次郎資料調査団)がREADYFORで実施されていますが、こちらは資料調査や特別展が目的で、生家の修繕とは別のプロジェクトです。

屋根が雨で傷み、あなたのファンだという人と地元の会が、修繕の費用を募りました。
目標には届きませんでしたが、2020年の12月に屋根は直っています。

茅の屋根は、雨に打たれれば傷むもんじゃき。直すには人の手と金がかかる。それはわしの時分も同じことちや。
目当ての金には届かんかったと聞いたが、それでも屋根を直しきった人らがおる。頭が下がる話じゃのう。
足りん分をどう埋めたかは、資料に残っちょらんそうな。わしが勝手に言うわけにはいかんき。
万次郎が生まれた中浜(中ノ浜)はどんな村だったか|天保年間に家数168・人数954
万次郎の少年期と重なる天保年間(1830〜44年)、中ノ浜村は家数168・人数954の漁村でした。 『日本歴史地名大系』(コトバンクで確認できる範囲)に載る数字を、年代順に表にします。
| 年代 | 記録 |
|---|---|
| 天正17年(1589年) | 中ノ浜地検帳に屋敷数13 |
| 天和3年(1683年) | 水主(船の乗り手)45、船7 |
| 宝永4年(1707年) | 「亥の大変」で大きな被害 |
| 享和元年(1801年) | 家数64、人数561 |
| 天保年間(1830〜44年) | 「浦々諸縮書」に家数168、人数954。鰹漁船6、諸漁船14 |
天保年間の「浦々諸縮書」によれば、漁業は鰹と小漁で、漁の合間の生業(漁間渡世)は畑作でした。職種別の人数は、家族を含めて水主・漁師586、商人118、職人117、間人109です。
中ノ浜は、大浜村の西北の湾の奥にあり、鼻前七浦の一つに数えられていました。郷帳(村ごとの年貢の台帳)には「中ノ浜村」と書かれています。同じ事典は、『土佐州郡志』の次の記述も引いています。
中浜浦 南向 無港、東西七町許南北四町許(中略)漁人到冬伐保佐薪為業
出典:コトバンク「中浜村」(『日本歴史地名大系』が引く『土佐州郡志』)
おおよそ、南向きで港がなく、東西七町ほど、南北四町ほどの浦で、漁師は冬になると薪を伐ることを生業にした、という意味です。万次郎が生まれる100年以上前の地誌の記述です。西方の小浜は津波で流亡したと伝えます。
この村で、万次郎は文政10年1月1日(1827年1月27日)に生まれました。父は漁師の悦助(悦介)、母は汐。土佐清水市は「2男3女の次男」と紹介しています。生年には1828年とする事典もあります。
市の年表は「9才の時父死亡、10才で、中浜浦老役、今津嘉平宅の下働きに出る」と記します。同じ年表は、生まれた1827年を0才と数えています。米側の財団の英文資料は、父を亡くしたのを8歳としています。
父の死と下働きは、事典では確認できていません。兄の名は時蔵と、資料館の相関図にあります。
1841年(天保12年)、万次郎は宇佐(現在の高知県土佐市)から漁に出て遭難します。宇佐の荻岬には案内板があり、高知県立坂本龍馬記念館は「筆の丞(改め伝蔵)ジョン・万次郎ら漂流出航の浦」と記す案内板を紹介しています。

あなたの少年期にあたる天保年間の中ノ浜は、家が168軒、人が954人の漁村だったと事典にあります。
鰹の漁と畑作で暮らす村だったようですね。

168軒に954人か。そんな数字は、わしより事典のほうがよう知っちょるのう。
鰹の漁と畑で食いつなぐ浦じゃったことは、事典の言うとおりじゃ。わしの家も漁師の家じゃき、その中の一軒ということちや。
父のことや、よその家へ働きに出たことは、おまんらの世では市の年表が伝えちょるそうな。幾つの時かは資料で違うき、言い切らんとこう。
1852年の帰郷|11年10か月ぶりの母との再会は「わずか5日間」と伝わる

1852年、あなたは11年10か月ぶりに中ノ浜へ帰りました。
土佐清水市の年表は、お母さんと過ごせたのは、わずか5日間だったと記しています。

11年10か月ぶりに、5日間。おまんらの世の市の年表には、そう書かれちょるそうな。帰った日にちも、いた日数も、資料で分かれるき、わしの口では言い切らん。
ここからは創作の物言いと思うて聞いてくれや。11年余り帰らんかった息子が、母の前に立つ。言葉が先か、涙が先か。そこは記録に残っちょらんき、足さんとこう。
ほどなく高知へ呼ばれて、浦を離れた。そこまでは、どの書き物も筋が合うちょるそうな。
帰郷までの動きを、資料で確認できた順に並べます。
- 嘉永5年6月(1852年):長崎から土佐藩に引き渡される(国立公文書館)
- 高知で吉田東洋の取り調べを受ける。期間は70日間(土佐清水市・資料館)
- 中ノ浜に帰郷。観光協会は日付を1852年11月16日と記す
- 母・汐と11年10か月ぶりに再会(土佐清水市・資料館)。滞在は「わずか5日間」(土佐清水市)
- 高知城下へ戻り、1852年12月に徒士格で藩士に列し、藩校の教授館に出仕(コトバンク)
11年10か月ぶりの再会は、土佐清水市と資料館の年表がともに記しています。滞在を「わずか5日間」とするのは市の年表で、「実に11年10ケ月ぶりに母汐との再会がかなう。(わずか5日間)」と書いています。
帰郷の日付を「1852年(嘉永5年)11月16日」と記すのは、観光協会の生誕地記念碑のページだけです。事典では日付まで確認できません。
米側の財団の英文資料は、中浜に着いた日を「10月5日」と記し、暦の区別は書いていません。同じ資料は、再会から3日で高知へ召されたとしています。本記事では、両方の記載をそのまま示します。
市の年表によれば、滞在は5日間でした。その後、万次郎は高知城下へ戻ります。『日本大百科全書』によれば、1852年12月に藩庁に召され、徒士格(藩士としての身分の一つ)に登用されて藩士に列し、藩校の教授館に出仕しました。
翌1853年には幕府に召され、以後は江戸で暮らします。土佐清水市の年表は、晩年に「中浜にも数度帰省し、老母を見舞った」と記しています。
母・汐は明治12年(1879年)に亡くなりました。市の年表は「86才」で病死と記しています。

万次郎が幕府に召された1853年は、ペリーが浦賀に来航した年でもあります。そのころの流れは、学習まんがの通史でも追えます。
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学習まんが|BOOK☆WALKER
この本の読みどころ
- 「外国船の出現と天保の改革」から「江戸幕府の終わり」まで、江戸時代後期の4章
- 1853年のペリー来航から、尊王攘夷運動が盛んになっていく流れを扱う巻です
- 紹介文には、大老井伊直弼による反対派の弾圧と桜田門外の変も挙がっています
BOOK☆WALKERで電子書籍版を販売しています(2026年10月5日時点。販売状況は変わることがあります)。
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生家の周りのゆかりの地|生誕地記念碑・記念碑・仮墓・資料館・足摺岬の像
生家のまわりには、万次郎にちなむ場所がいくつもあります。確認できたものを、所在地とあわせて表にします。
| 場所 | できた年 | 確認できたこと | 所在地 |
|---|---|---|---|
| 中浜万次郎生誕地記念碑 | 2002年 | 帰郷150周年を記念。顔写真入りで、土台に船の画、裏面に日本語と英語の説明文 | 土佐清水市中浜 |
| 贈正五位中濱萬次郎翁記念碑 | 1929年5月 | 1928年に正五位が贈られたのを記念し、地元が半年がかりで建設 | 土佐清水市(生家の近隣スポットとして県観光サイトが紹介) |
| 中浜家の墓(仮墓) | 確認できず | 大覚寺墓地に木杭。母が丸い石を置いて墓にしたと伝わる(石は現存せず) | 土佐清水市中浜・大覚寺墓地 |
| ジョン万次郎資料館 | 2011年開館 | 大人440円。1階に4つの展示室。2018年4月1日リニューアル | 土佐清水市養老303(生家から車で約15分) |
| ジョン万次郎銅像 | 1968年7月11日除幕 | 手にコンパスと三角定規を持つ | 足摺岬の先端(土佐清水市足摺岬1349) |
| 漂流出航の浦の案内板 | 確認できず | 「筆の丞(改め伝蔵)ジョン・万次郎ら漂流出航の浦」 | 高知県土佐市・宇佐の荻岬 |
中浜には記念碑が2つあります。2002年の生誕地記念碑と1929年の記念碑は、名前が似ていますが別の碑です。 前者は帰郷150周年、後者は正五位が贈られたことを記念したものです。
こうち旅ネットは、1929年の碑の手前に石臼が置かれている由来として、米ひきの失敗を咎められて飛び出した先で、漁師になるきっかけの出会いがあったという逸話を紹介しています。この逸話の出典は、本記事では確認できていません。

大覚寺墓地の仮墓は、遭難死したと思った母・汐が丸い石を置いて墓にしたと、資料館が伝えています。石はいま残っておらず、隣には両親と兄・時蔵の墓があるといいます。伝承を含む紹介です。
万次郎の墓は中浜ではなく、東京都豊島区の都立雑司ケ谷霊園(1種15号19側1番)にあります。墓と子孫のことは、こちらの記事で詳しく書いています。
ジョン万次郎資料館は2011年(平成23年)に開館し、2018年4月1日にリニューアルしました。
開館9:00〜17:00(最終入館16:30)、無休。大人440円・小中学生220円、小学生未満は無料です(2026年9月29日、観光協会の案内で確認)。
駐車場は一般車150台・バス24台です。1階は4つの展示室で、漂流、アメリカ、帰国、功績の順にたどる構成です。2階は体験・交流スペースになっています。
足摺岬の先端に立つ銅像は、1968年(昭和43年)7月11日に除幕されました。手にコンパスと三角定規を持っています。バス停「足摺岬」から徒歩5分です。

中ノ浜には、あなたの生誕地の碑と、正五位が贈られたときの碑が立っています。
お墓は東京ですが、大覚寺には『仮墓』も伝わっています。

碑が二つも立っちょるがか。どっちも、わしが死んだあとの話じゃき、あの世まで便りは届かんちや。
正五位いう位のことは、なおのこと分からん。漁師の子が位をもらうとは、たまげた世になったもんじゃのう。
大覚寺の仮墓は、母が石を置いたと資料館が伝えちょるそうな。石はもう残っちょらんと聞く。そこは伝わる話として聞いちょこう。
大河『ジョン万』に向けて中浜はどう変わる?|ジョン万EXPOは2027年1月から
2026年4月9日、NHKは2028年の大河ドラマ『ジョン万』を発表しました。主演は山﨑賢人さん、作は藤本有紀さんです。中浜の生家をめぐって決まっていることと、確認できないことを分けます。
- 2026年5月1日付で、土佐清水市が観光商工課内に「大河ドラマ『ジョン万』推進室」を新設(高知新聞)
- 2026年5月19日、「ジョン万EXPO推進協議会」が初総会。市と地元企業などで構成(高知さんさんテレビ・高知新聞)
- 「ジョン万EXPO」は2027年1月から2年間。生家(中浜)や資料館(養老)など市内全域の周遊をねらう(高知新聞)
- 大河ドラマ館は市民文化会館(寿町11-1)に決定。2028年2月オープン、2029年1月閉館の予定(建通新聞)
- 生家や中浜でのロケ、生家そのものの改修・整備は、2026年9月29日時点で確認できない
ジョン万EXPOは、万次郎の生誕200年にあたる2027年に合わせて始まります。 高知新聞によれば、生家と資料館などを市内全域で周遊してもらう催しとして計画されています。
建通新聞は、ドラマ館とあわせて資料館の照明の改修や、市内の公園への駐車場整備も計画されていると報じています。ドラマ館は2027年12月までに完成させる予定です。
県も動いています。日本経済新聞は、高知県が放送に合わせて県内全域で博覧会を開き、主会場を資料館と県立足摺海洋館SATOUMIとし、県外客500万人を目標にすると報じました(有料記事の冒頭で確認)。
観光経済新聞によれば、高知県は2012年から官民で大河ドラマの誘致活動を続け、2013年から署名を集めてきました。
発表後の2026年のゴールデンウィークには、資料館の客足が3割ほど伸び、4月の入館者は前年より480人増えたと、高知さんさんテレビが館長の話として報じています。
一方、生家そのものについては、ロケや改修の計画を今回の報道では確認できませんでした。県の観光サイトの特集(2026年5月)は、生家を「住宅街にひっそりと佇む」と表現しています。

2028年に、あなたが大河ドラマの主人公になります。ふるさとでは博覧会の準備も始まりました。
生家の周りが、これから変わっていくかもしれません。

芝居の主役に、博覧会か。わしの生まれた浦が、そんなにぎわいになるとはのう。
生家のまわりがどう変わるかは、おまんらの世でもまだ決まっちょらんそうな。決まっちょらんことを、わしが先回りして言うわけにはいかんき。
ただ、来た人が浦の坂を下りて、小さな家の前に立つ。それだけで、あの浜のことは伝わると思うがよ。
ジョン万次郎は何をした人?生家を訪ねる前に知っておく3つのこと
生家を訪ねる前に、万次郎がどんな一生を送ったのかを3点だけ押さえておきます。一生の全体は、こちらの記事でたどっています。
1つ目は、漂流とアメリカでの学びです。1841年、14歳のとき(生年には1828年説もあります)に宇佐から漁に出て遭難し、鳥島で143日を過ごしたのち、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救われました。
船長ホイットフィールドの故郷フェアヘーブンで、英語・数学・測量・航海術を学びます。漂流した仲間はハワイで下船し、アメリカ本土まで渡ったのは万次郎だけでした。
2つ目は、帰国後の仕事です。1851年に琉球に上陸して帰国し、1853年には幕府に召されて普請役格として江川英龍の手付となります。
「中浜」の姓は、この生家のある土地の名前からとったものです。 名乗った時期は、1853年に幕府に召された時とする資料と、名字帯刀を許された時とする資料で分かれます。
1860年には咸臨丸に通訳として乗り組み、太平洋を渡りました。1869年(明治2年)には開成学校(東京大学の前身の一つ)の二等教授になっています。
3つ目は、最期です。1898年(明治31年)11月12日、東京の長男・東一郎の家で亡くなりました。満71歳でした。墓は東京の雑司ケ谷霊園にあります(中浜には、母が石を置いたと伝わる仮墓があります)。

生家のある土地の名前が、そのままあなたの姓になりました。
名字を持たずに生まれた漁師の子が、故郷の名を名字にしたことになります。

名字を持たん漁師の子が、浦の名を名乗る。おまんらの世から見れば、変わった話に聞こえるかもしれんのう。
いつ、どういう経緯で名乗ったかは、資料で書き方が分かれちょるそうな。わしの口で一つに決めるのはやめちょこう。
中ノ浜いう名が名字になった。そこは、おまんらが見た資料もそろって書いちょるそうな。生家を訪ねる人には、その浦の名を覚えて帰ってもらいたいがよ。
よくある質問(FAQ)
ジョン万次郎の生家は本物ですか?
復元された建物です。「万次郎の生家」として残る写真をもとに設計され、2010年10月31日に完成しました。万次郎が暮らした当時の建物そのものではありません。復元地が跡地かどうかは、今回確認した公式資料には見当たりません。
ジョン万次郎の生家に駐車場はありますか?
資料によって記載が分かれます。資料館のブログといこーよは「専用駐車場なし」、県の観光サイトは「普通車5台」と記し、訪問者の口コミは中浜区長場の前に停めたと書いています。集落内は路地を歩きます。
見学に料金はかかりますか?開館時間は?
無料です。観光協会の案内は8:00〜17:00・無休です(2026年9月29日確認)。ほかの資料は8:30〜17:00などです。
問い合わせ先は観光協会(0880-82-3155)か中浜区長場(0880-82-9027)です。
ジョン万次郎資料館から生家までは、どのくらいですか?
資料館のブログによれば、足摺岬方面へ車で約15分です。県道27号から中浜大橋を渡り、「中浜万次郎生誕地」の看板で右折します。生家は小さな平屋1棟で、屋内も見学できます。
中浜万次郎とジョン万次郎は同じ人ですか?
同じ人です。「中浜」は生家のある土地の名からとった姓、「ジョン万次郎」はアメリカでの呼び名「ジョン・マン」に由来します。
アジア研究協会の教育誌の記事は、船長が船名から「ジョン」、万次郎を縮めて「マン」と呼んだと説明しています。
ジョン万次郎の出身地はどこですか?
土佐国幡多郡中ノ浜村、現在の高知県土佐清水市中浜です。漁師の悦助(悦介)と母・汐の次男として生まれました。天保年間の記録では、家数168・人数954の漁村でした。
ジョン万次郎の墓は中浜にありますか?
墓は東京都豊島区の都立雑司ケ谷霊園(1種15号19側1番)にあります。中浜の大覚寺墓地には、母が石を置いて墓にしたと伝わる「仮墓」があり、両親と兄の墓が隣にあると資料館は紹介しています。
インタビュー後記|「小さい家」の数字が教えてくれること
調べ終えて残ったのは、約28㎡という数字でした。日本経済新聞が報じた、写真をもとに復元された家の床面積です。
当時の家の広さそのものではありませんが、じゃらんの紹介文にある「5人兄弟であったことを考えると小さく」という言葉が分かる気がします。
もう一つの数字は5日間です。11年10か月ぶりに帰った故郷での滞在は、市の年表では5日間でした。復元された家は、その帰郷の舞台になった集落に立っています。
観光サイトでは「復元」の一言で済まされている経緯を資料でたどると、募金を集めた市内の人たち、屋根を直そうと呼びかけたファン、地元の会と、いくつもの手が見えてきました。
数字の出典が1本の報道に偏ることも、同時に分かりました。
帰郷から8年後の1860年、万次郎は咸臨丸に通訳として乗り組み、太平洋を渡ります。その航海については、こちらの記事でたどっています。
あなたは、この小さな家から何を読み取りますか。
参考資料
- Wikimedia Commons「Manzirou seika 20260411 1.jpg」(撮影 Araiyasushige、CC0) ※生家(復元)の正面の写真と、2026年4月時点の入口の見学時間の掲示の出典
- Wikimedia Commons「Manjirou 20230221 1.jpg」(撮影 Araiyasushige、CC BY-SA 4.0) ※生家(復元)の外観と路地の写真の出典
- Wikimedia Commons「Manzirou kinenhi 20260411 1.jpg」(撮影 Araiyasushige、CC0) ※贈正五位中濱萬次郎翁記念碑の写真の出典
- 土佐清水市観光協会「ジョン万次郎生家(復元)」 ※所在地252-5、2010年10月31日の完成、茅葺きの木造平屋、写真をもとにした設計、市内有志の募金を中心にした建設、開館時間8:00〜17:00・無休・無料・屋内見学可、問い合わせ先(観光協会)の出典
- 土佐清水市観光協会「中浜(ジョン万次郎生誕地)」 ※2002年の生誕地記念碑(顔写真・船の画・日英の説明文)、帰郷の日付を1852年11月16日とする記述、所在地「中浜谷前」の出典
- 土佐清水市観光協会「ジョン万次郎資料館」 ※所在地・開館時間・料金・駐車場・2018年4月1日のリニューアル・展示構成の出典
- 土佐清水市観光協会「ジョン万次郎銅像」 ※1968年7月11日の除幕、コンパスと三角定規の出典
- 土佐清水市観光協会ブログ「ジョン万次郎の生家修繕クラウドファンディング」(2019年12月1日) ※発起人・西川匠さんの紹介と「中浜ジョン万の会」の表記の出典
- CAMPFIRE「ジョン万次郎の生家を修繕したい!」 ※目標300万円、支援総額94万5,000円、支援者65人、募集期間、All-in方式、屋根の傷み方、使途、2020年12月6日の工事開始と12月17日の修繕完了、「生誕地のすぐそばに建てられた」の出典
- 日本経済新聞「ジョン万次郎の生家を復元 高知・土佐清水市」(2010年11月3日) ※床面積約28㎡、スギ材、板の間・土間・かまど、2009年の実行委員会、募金約1,250万円、県補助500万円、総事業費約1,300万円(土地代含む)、管理を地元住民が担うこと、復元当時の公開時間の出典
- エコパウダー「ジョン万次郎生家復元プロジェクト」 ※2010年10月30日の完成見学会と10月31日の落成式(土佐清水市・土佐清水商工会議所)の出典
- ジョン万次郎資料館「ジョン万次郎ゆかりの地」 ※生家が募金などで復元されたこと、生誕地記念碑、贈正五位中濱萬次郎翁記念碑の出典
- ジョン万次郎資料館「年表」 ※1852年の母との再会、1929年5月の記念碑完成、2002年の生誕地記念碑、2011年の資料館開館の出典
- ジョン万次郎資料館ブログ「ジョン万次郎生家までの行き方」(2024年2月27日) ※資料館から車で約15分の道順と、専用駐車場がないとする記述の出典
- ジョン万次郎資料館「【万次郎の仮墓】」(2023年11月23日) ※大覚寺墓地の仮墓と、母が石を置いたという伝承、両親と兄・時蔵の墓の出典
- ジョン万次郎資料館「ジョン万次郎相関図」 ※兄の名が時蔵であることの出典
- 土佐清水市「ジョン万次郎の歴史」 ※「9才の時父死亡、10才で…今津嘉平宅の下働き」、1827年を0才とする年齢の数え方、1852年の「11年10ケ月ぶり」「わずか5日間」、晩年の帰省、母・汐の没年の出典
- 土佐清水市「ジョン万次郎の生涯」 ※「2男3女の次男」の出典
- 土佐清水市「ジョン万次郎生誕地」 ※市役所から車で約8分(6km)、バス停「中ノ浜」の出典
- 土佐清水市「土佐清水市への交通アクセス」 ※高知市周辺から車で約2時間30分、中村駅からバス約55分の出典
- 土佐清水市「ジョン万次郎銅像」 ※足摺岬の銅像の所在地とアクセスの出典
- こうち旅ネット「中濱万次郎生誕地・生家」 ※問い合わせ先の中浜区長場、開館時間8:30〜17:00、駐車場「普通車5台」、四万十町中央ICから約1時間45分、バス停「中の浜」、石臼の逸話の出典
- こうち旅ネット モデルコース「日本初の国際人 ジョン万次郎のロマン!」 ※「現存している生家の写真をもとに」の表現と、パネル・生活道具の展示の出典
- どっぷり高知旅「大河ドラマが生まれる場所 ジョン万の故郷 土佐清水へ!」(2026年5月13日) ※生家を「住宅街にひっそりと佇む」と表現していることの出典
- じゃらん「ジョン万次郎生家(復元)」 ※見学時間8:30〜17:00、「5人兄弟であったことを考えると小さく」の紹介文、中浜区長場前に駐車したという口コミの出典
- いこーよ「中浜万次郎生家」 ※開館時間の表記、駐車場「なし」、バス停「中ノ浜」の出典
- コトバンク「中浜村」(『日本歴史地名大系』) ※鼻前七浦、郷帳の「中ノ浜村」、『土佐州郡志』の記述、天正17年から天保年間までの家数・人数・船数・職種別人数の出典
- コトバンク「中浜万次郎」 ※出生地、父・悦助(悦介)と母・汐、1852年12月の徒士格への登用と教授館への出仕(『日本大百科全書』)、1853年の普請役格、生年を1828年とする事典があることの出典
- Junji Kitadai “The Saga of Manjirō”(Association for Asian Studies『Education About Asia』19巻2号、2014年秋) ※「ジョン・マン」の「ジョン」が船名から、「マン」が万次郎を縮めたものとする説明の出典
- 国立国会図書館「中浜万次郎|近代日本人の肖像」 ※生没年月日の出典
- 国立公文書館 デジタル展示「漂流ものがたり」ジョン万次郎漂流記 ※嘉永5年6月に土佐藩へ引き渡されたことの出典
- 公益財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター “Manjiro story” ※中浜到着を「October 5」とし、3日後に高知へ召されたと記すこと、父を亡くしたのを8歳とすることの出典
- 高知県立坂本龍馬記念館「中浜万次郎・船出の地(宇佐湾)」 ※土佐市宇佐・荻岬の案内板「筆の丞(改め伝蔵)ジョン・万次郎ら漂流出航の浦」の出典
- 東京都公園協会「雑司ケ谷霊園」園内マップ ※墓所が1種15号19側1番であることの出典
- NAVITIME 路線バス「中村-清水-大浜-足摺岬」停留所一覧 ※停留所「中ノ浜」の出典
- NHK「2028年大河ドラマ『ジョン万』 主演・山﨑賢人さん」 ※2026年4月9日の発表、主演・作者の出典
- 高知新聞「大河ドラマ『ジョン万』推進室新設へ」(2026年4月21日) ※2026年5月1日付の推進室新設の出典。有料記事のため冒頭のみ確認
- 高知新聞「大河ドラマ&生誕200年で『ジョン万エキスポ』開催へ」(2026年5月2日) ※ジョン万EXPOを2027年1月から2年間開き、生家(中浜)・資料館(養老)など市内全域を周遊してもらう計画の出典。有料記事のため冒頭のみ確認
- 高知新聞「ジョン万ドラマ館整備へ 官民協議会が発足」(2026年5月20日) ※推進協議会の発足の出典。有料記事のため冒頭のみ確認
- 高知さんさんテレビ「大河ドラマ化決定に沸く土佐清水市に『ジョン万EXPO推進協議会』設立」(2026年5月20日) ※2026年5月19日の初総会、市と地元企業などで構成することの出典
- 高知さんさんテレビ「【GW】ジョン万のふるさと・土佐清水市も大にぎわい」(2026年5月4日) ※2026年GWに資料館の客足が3割ほど伸び、4月の入館者が前年より480人増えたこと(館長談)の出典
- 建通新聞「土佐清水市 大河ドラマ館整備場所は文化会館に決定」(2026年8月5日) ※大河ドラマ館を市民文化会館(寿町11-1)に置き、2027年12月までに完成、2028年2月オープン・2029年1月閉館予定とすること、資料館の照明改修と公園への駐車場整備の計画の出典
- 日本経済新聞「高知県、大河ドラマ『ジョン万』に合わせ博覧会」(2026年6月18日) ※県内全域の博覧会、主会場(資料館・足摺海洋館SATOUMI)、県外客500万人目標の出典。有料記事のため冒頭のみ確認
- 観光経済新聞「2028年の大河ドラマは『ジョン万』に決定 地元・土佐清水、喜びに沸く」(2026年4月23日) ※2012年からの誘致活動と2013年からの署名の出典
- READYFOR「ジョン万次郎の資料調査・保存プロジェクト」(万次郎資料調査団、2023年) ※生家の修繕とは別のプロジェクトであることの出典






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