職場の壁に、七か条の教訓が貼ってあるのを見たことはありませんか。「世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つ事である」で始まる、あの文章です。
たいてい「福沢諭吉」の名前が添えてあります。私も長いこと、福沢の言葉だと思っていました。
ところが慶應義塾大学メディアセンターの案内には、はっきりこう書かれています。「福沢心訓七則は福澤諭吉が書いたものではありません」。福沢が創った学校が、福沢の作ではないと言い切っているのです。
これが引っかかって、今回は逆のことをやってみました。福沢の名言として世に出回っている言葉を、片っ端から本人の著作の原文に当たって、どこに書いてあるかを確かめるという作業です。
この記事の結論
先に結論を書いておきます。その結果として選んだ35件は、内訳が『学問のすゝめ』30件、『福翁自伝』5件で、いずれも本文で所在を確認できました。何編のどこにあるかまで、一件ずつ書いています。
一方で意外だったのは、もっとも有名なあの一文です。「天は人の上に人を造らず」は、原文では「と言えり」という伝聞・引用の形で書き出されていました。少なくとも、言い切りの文ではありません。
- 30件
『学問のすゝめ』で確認 - 5件
『福翁自伝』で確認 - 2件
本人の作ではないとされる有名句
あわせて、「天は人の上に人を造らず」の続き、「独立自尊」はどこから出てきた言葉なのか、そして心訓七則と「ペンは剣よりも強し」の正体も扱います。
聞き手として、福沢諭吉AI(福沢諭吉をモデルにしたAI)にも登場してもらいました。
※以下の福沢諭吉AIの発言部分は、公開されている史料をもとに福沢諭吉の人物像を再現した創作です。実際の発言をそのまま掲載したものではありません。掲載する35件は『学問のすゝめ』30件・『福翁自伝』5件で原文の所在を確認しましたが、記事の後半では、本人の作ではないとされる言葉も別に扱っています。

一万円札でしかお顔を存じ上げなかった福沢さんと、言葉について語り合えるとは。今日は原文を片手にうかがいます。よろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願い致します。
ただ、いま妙な事を仰いましたな。私の顔が札に刷られておるとは、どうにも解せぬ話であります。私の知らぬ間に、何やら面倒な事になっておるらしい。
まあ、その詮索は措きましょう。原文を手にお出でとは結構な事です。自分の書いたものについて問われるなら、これに勝る楽しみはありませんよ。
- 福沢諭吉の名言を読み解く前に|どんな人物だったか
- 福沢諭吉の名言35選
- 名言①「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり
- 名言②「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」
- 名言③「もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり」
- 名言④「学問をするには分限を知ること肝要なり」
- 名言⑤「文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず」
- 名言⑥「世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり」
- 名言⑦「その同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり」
- 名言⑧「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛うものなり」
- 名言⑨「一身独立して一国独立するとはこのことなり」
- 名言⑩「一国の文明はひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり」
- 名言⑪「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」
- 名言⑫「読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり」
- 名言⑬「国の文明は形をもって評すべからず」
- 名言⑭「国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、みずから作りし法に従うなり」
- 名言⑮「他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、われもまた他人の権義を妨ぐべからず」
- 名言⑯「意思はもって事をなすの志を立つべし」
- 名言⑰「みなこれ古人の遺物、先進の賜なり」
- 名言⑱「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ」
- 名言⑲「学問は米を搗きながらもできるものなり」
- 名言⑳「学問するには、その志を高遠にせざるべからず」
- 名言㉑「返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり」
- 名言㉒「学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し」
- 名言㉓「学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり」
- 名言㉔「怨望はあたかも衆悪の母のごとく」
- 名言㉕「富貴は怨みの府にあらず、貧賤は不平の源にあらざるなり」
- 名言㉖「事業の成否得失につき、ときどき自分の胸中に差引きの勘定を立つることなり」
- 名言㉗「信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し」
- 名言㉘「人の心事は高尚ならざるべからず」
- 名言㉙「かりそめにも人に当てにせらるる人にあらざれば、なんの用にも立たぬものなり」
- 名言㉚「人にして人を毛嫌いするなかれ」
- 名言㉛「門閥制度は親の敵で御座る」
- 名言㉜「先ず獣身を成して後に人心を養う」
- 名言㉝「一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ」
- 名言㉞「貧富苦楽、共に独立独歩」
- 名言㉟「都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように」
- 「天は人の上に人を造らず」の続きを知っていますか
- 「独立自尊」は福沢自身の言葉なのか|『修身要領』の成り立ち
- 【番外編】福沢諭吉の言葉として広まっているが、本人の作ではないもの
- 福沢諭吉の名言から見えてくる考え方
- よくある質問(FAQ)
- インタビュー後記|福沢諭吉の言葉が今も響く理由
- 参考資料
福沢諭吉の名言を読み解く前に|どんな人物だったか
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)※慶應義塾では「福澤諭吉」と表記 |
| 生没年 | 1835年1月10日〜1901年2月3日(満66歳で死去/数え年では68歳) |
| 出身 | 大坂の中津藩蔵屋敷に生まれ、豊前中津藩(現在の大分県中津市)で育つ |
| 活躍した時代 | 幕末〜明治 |
| 主な著作 | 『学問のすゝめ』『西洋事情』『文明論之概略』『福翁自伝』 |
福沢は明治政府ができたあとも官職に就きませんでした。学校と新聞という、政府の外側にある場所から書き続けた人です。
言葉を読むうえで、この立場は無視できません。福沢の文章の多くは、読者に向けて印刷されたものです。誰かに語った一言が伝え聞かれたのではなく、本人が推敲して世に出した文章が残っています。
だからこそ、出典をたどれます。今回の35件は、その利点をそのまま使わせてもらいました。

福沢さんの言葉は、ほとんどが印刷された著作として残っています。書いて世に出すことを、どうお考えでしたか。

演説と違うて、書物は相手を選びませぬ。誰が読むか分からぬ代わりに、後まで残るという訳です。
ここから先は私の物言いとしてお聞きください。文章というものは、学者だけに通じるように書いては値打ちがない。読んで分かる人の数だけ、考えは広がるのでありますから。
もっとも、残るというのは怖くもありますな。書いた者が死んだ後も、文字のほうは生きて歩き回るのです。
福沢諭吉の名言35選
今回の35件は、次の基準で選びました。名言集でよく見かける言葉のうち、本人の著作に原文があるものだけを残しています。
- 『学問のすゝめ』『福翁自伝』の本文で、その言葉を実際に見つけられたものだけを入れる
- どこにあるかを、編や章まで書く。「福沢諭吉の言葉」で終わらせない
- 出典を確認できなかった有名なフレーズは、この35件に混ぜず、記事の後半で別に扱う
参照したのは、青空文庫で公開されている本文です。『学問のすゝめ』は『日本の名著33 福沢諭吉』(中公バックス、中央公論社、1984年)を底本とし、その親本は『福沢諭吉全集 第三巻』(岩波書店、1959年)とされています。
『福翁自伝』のほうは、『福澤諭吉著作集 第12巻』(慶應義塾大学出版会、2003年)を底本としています。
つまり本記事が確認したのは、この底本の本文です。仮名遣いや漢字は底本の表記に従いました。初版そのものと一字一句照合したわけではない点は、先にお断りしておきます。
もう一つ、著者についても断っておきます。『学問のすゝめ』初編は、刊行時の表紙と末尾に「福沢諭吉 小幡篤次郎 同著」と記されています。慶應義塾大学メディアセンターのデジタルコレクションで、初版本の書誌としてそのように説明されています。
小幡篤次郎は、初編のもとになった中津市学校の初代校長にあたる人物です。福沢が単独で書き、小幡の名を借りたとする見方もありますが、書誌の上では両名の同著として世に出たという事実は押さえておく必要があります。
この記事では便宜上「福沢の著作」と呼びますが、初編についてはこの前提でお読みください。
各項目の所在を一覧にしました。詳しい解説と福沢諭吉AIとの対話は、このあと一つずつ続きます。
| 名言(冒頭) | 出典の所在 |
|---|---|
| ①天は人の上に人を造らず | 『学問のすゝめ』初編(「と言えり」と伝聞の形) |
| ②賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに | 『学問のすゝめ』初編 |
| ③もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり | 『学問のすゝめ』初編 |
| ④学問をするには分限を知ること肝要なり | 『学問のすゝめ』初編 |
| ⑤文字を読むことのみを知りて | 『学問のすゝめ』二編 |
| ⑥世帯も学問なり、帳合いも学問なり | 『学問のすゝめ』二編 |
| ⑦その同等とは有様の等しきを言うにあらず | 『学問のすゝめ』二編 |
| ⑧独立の気力なき者は必ず人に依頼す | 『学問のすゝめ』三編 |
| ⑨一身独立して一国独立する | 『学問のすゝめ』三編 |
| ⑩一国の文明はひとり政府の力をもって | 『学問のすゝめ』四編 |
| ⑪進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む | 『学問のすゝめ』五編 |
| ⑫読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり | 『学問のすゝめ』五編 |
| ⑬国の文明は形をもって評すべからず | 『学問のすゝめ』五編 |
| ⑭国民の政府に従うは、みずから作りし法に従うなり | 『学問のすゝめ』六編 |
| ⑮われもまた他人の権義を妨ぐべからず | 『学問のすゝめ』七編 |
| ⑯意思はもって事をなすの志を立つべし | 『学問のすゝめ』八編 |
| ⑰みなこれ古人の遺物、先進の賜なり | 『学問のすゝめ』九編 |
| ⑱学問に入らば大いに学問すべし | 『学問のすゝめ』十編 |
| ⑲学問は米を搗きながらもできるものなり | 『学問のすゝめ』十編 |
| ⑳学問するには、その志を高遠にせざるべからず | 『学問のすゝめ』十編 |
| ㉑世の中に頼みなきものは名分なり | 『学問のすゝめ』十一編 |
| ㉒活用なき学問は無学に等し | 『学問のすゝめ』十二編 |
| ㉓学問の本趣意は読書のみにあらずして | 『学問のすゝめ』十二編 |
| ㉔怨望はあたかも衆悪の母のごとく | 『学問のすゝめ』十三編 |
| ㉕富貴は怨みの府にあらず | 『学問のすゝめ』十三編 |
| ㉖ときどき自分の胸中に差引きの勘定を立つる | 『学問のすゝめ』十四編 |
| ㉗信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し | 『学問のすゝめ』十五編 |
| ㉘人の心事は高尚ならざるべからず | 『学問のすゝめ』十六編 |
| ㉙人に当てにせらるる人にあらざれば | 『学問のすゝめ』十七編 |
| ㉚人にして人を毛嫌いするなかれ | 『学問のすゝめ』十七編(最後の一文) |
| ㉛門閥制度は親の敵で御座る | 『福翁自伝』 |
| ㉜先ず獣身を成して後に人心を養う | 『福翁自伝』 |
| ㉝一国の独立は国民の独立心から湧て出てる | 『福翁自伝』 |
| ㉞貧富苦楽、共に独立独歩 | 『福翁自伝』 |
| ㉟都て事の極端を想像して覚悟を定め | 『福翁自伝』 |
それでは1つずつ見ていきましょう。
名言①「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』初編の冒頭。ただし本文は「と言えり」と、伝聞・引用の形で書き出されている |
| 解釈 | 生まれによる上下の別はない、と言われている |
| 現代へのヒント | 有名な一文ほど、原文の語尾まで確かめる |
日本でもっとも知られた一文でしょう。ところが原文を開くと、この文はそこで終わっていません。「と言えり」が付いています。
「言えり」は「そう言われている」という意味です。つまりこの本は、言い切りの文ではなく、引用の形で書き出されています。
ここで注意したいのは、この語尾だけを根拠に「福沢は内容に賛成していなかった」と読むこともできないという点です。なぜこの形にしたのかを説明した記述は見あたらず、読み方には幅があります。
確かなのは、書き出しが伝聞・引用の形をとっていること自体は、本文を見れば誰でも確認できるということまでです。
そしてこの直後に、有名な「続き」が来ます。それは記事の後半で改めて取り上げます。

この一文は『と言えり』で終わっています。断定ではなく、引用の形になっていますね。

よくお気づきになった。たしかに、そう結んであるのでしょうな。
ただ、なぜその形にしたのかと問われると困ります。ここで私が理由を申し上げれば、それは後からこしらえた話になってしまう。書いた当人が一番よく覚えておるとは限らぬものですよ。
申せるのは、文字の上でそう結ばれているという事だけであります。あとは読む方が、前後を通して判じてくださればよろしい。
名言②「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』初編 |
| 解釈 | 賢い人と愚かな人の差は、学んだかどうかで生まれる |
| 現代へのヒント | 差がついたと感じたときは、才能ではなく学びの量を数える |
①の続きに置かれた一文です。福沢はまず「生まれながらの差はない」と伝聞の形で書き、次に「では現実の差は何から生まれるのか」を問いました。
その答えがこれです。原文は『実語教』の「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」を引いたうえで、この結論を置いています。
現代の目には冷たく映るかもしれません。しかし身分が人生を決めていた時代に、差の原因を身分から学問へ置き換えた文でもあります。

差がつくのは生まれではなく学びだと書かれました。厳しい言葉にも読めます。

厳しく響きますか。
私が育った世では、生まれた家で行き先が決まっておりました。どれほど学んでも、家柄が低ければ道は開かぬ。あれに比べれば、学べば変わるというのは、むしろ望みのある話ではありませんか。
もっとも、学ぶ機会そのものが誰にでもあるとは限りませぬ。そこを措いて学ばぬのが悪いと言えば、ただの説教になりましょうな。
名言③「もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』初編 |
| 解釈 | 学ぶべきは、日々の暮らしに近い実際の学問である |
| 現代へのヒント | 学ぶ前に「これは何に使うのか」を一度だけ考える |
福沢の代名詞になった「実学」が出てくる箇所です。原文は「かかる実なき学問はまず次にし」と、順番の話として書かれています。
続けて福沢は、実学の中身を並べます。いろは四十七文字、手紙の書き方、そろばん、天秤の扱い。そこから地理学、究理学、歴史、経済学、修身学へと進みます。
抽象的な理念ではなく、具体的な科目名の列挙である点が特徴です。「役に立つ学問をせよ」という標語より、原文はずっと実務的です。

実学の中身として、そろばんや手紙の書き方まで挙げておられます。

立派な理屈から始めても、明日の役には立ちませぬ。
いろは四十七文字、手紙の書き方、そろばんの稽古、天秤の扱い。まずここからと書いたのは、学問を遠いものにしたくなかったからであります。
それに、名を並べておけば言い逃れができませぬ。実学とだけ唱えておれば、いくらでも都合よく解せますからな。
名言④「学問をするには分限を知ること肝要なり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』初編 |
| 解釈 | 学ぶには、自分と他人の境目を知ることが大切である |
| 現代へのヒント | 自由と身勝手の線引きを、先に自分で引いておく |
「分限」は身分の高低ではなく、自由の及ぶ範囲を指しています。原文はこのあと、人は生まれながら自由だが、それを勝手気ままと取り違えてはならないと続きます。
福沢が挙げる例は具体的です。自分の金で酒を買って飲むのは自由に見えるが、その姿が他人の目に触れ、家業を妨げ、人の手本を損なうなら、それは分限を越えている、という筋です。
自由を否定しているのではありません。自由に境目があることを先に決めておけという話です。

自由と身勝手の境目を、どこに置いておられましたか。

これは難しいところであります。
私が書いたのは、自分の物を自分で使う分にはよろしいが、その振舞いが人の妨げになるなら、そこが境である、という筋でした。線を先に引いておけ、と申したまでです。
どこに引くのが正しいかは、場所と時世で変わりましょう。変わらぬのは、線があると知って動く者と、無いと思うて動く者との違いのほうですな。
名言⑤「文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』二編 |
| 解釈 | 字が読めるだけで道理が分からない人は、学者とは呼べない |
| 現代へのヒント | 読んだ量ではなく、判断が変わったかどうかで測る |
原文はこの直後に、「論語よみの論語しらず」という当時の言い回しを置いています。読めるが分かっていない、という状態を指す言葉です。
さらに手厳しい例が続きます。『古事記』は暗誦できても今日の米の相場を知らない者は、世帯の学問に暗い男である、と書かれています。
知識の量と、生活の判断力は別物という指摘です。福沢は前者だけの人を、国のためには無用の長物とまで書きました。

『論語よみの論語しらず』を引いておられます。読めるのに分かっていない、という状態ですね。

あれは私がこしらえた言い回しではのうて、当時よく使われておったものです。
書物の文字を追えることと、物の道理が分かる事とは別であります。『古事記』を諳んじる者が、今日の米の相場を知らぬ。これでは世帯の切り盛りはできますまい。
ただ、覚える事を悪く申したのではありませぬ。覚えたところで足が止まってしまうのが惜しい、という話でしてな。
名言⑥「世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』二編 |
| 解釈 | 家計も簿記も、時代を読むことも、みな学問である |
| 現代へのヒント | 机の上だけを学問と呼ばない |
⑤の流れを受けて、学問の範囲を広げた一文です。「帳合い」は帳簿をつけること、つまり簿記を指します。
福沢自身、簿記の教科書『帳合之法』を訳しています。言葉だけでなく実際に本を出している点で、この一文は空論ではありません。
学問を書物の中に閉じ込めず、家計や商売や時勢の判断まで含める。この広げ方が、のちの「実学」の輪郭をつくっていきました。

帳簿をつけることまで学問に入れておられます。

意外に思われますか。
帳面をつけるというのは、己の商いを数で見る事であります。数で見なければ、儲かっておるのか損しておるのかも分からぬ。これを学問と呼ばずして、何と呼びましょう。
私は西洋の帳合いの法を訳して世に出しました。言うだけにせず教本まで作ったのは、そこが要だと考えたからです。
名言⑦「その同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』二編 |
| 解釈 | 同等とは、境遇が同じという意味ではなく、権利と道理が同じという意味である |
| 現代へのヒント | 平等の話をするとき、何が等しいのかを先に決める |
①の「天は人の上に人を造らず」が誤読されやすい理由を、福沢自身が説明している箇所です。
原文はこの直前で、貧富や強弱や智愚の差が現実にはあることを、大名華族と人足を並べて具体的に書いています。そのうえで「同等」の中身を限定しました。
等しいのは境遇ではなく、権利と道理のほうという区別です。この一文を読むと、①を「みんな同じ」と読むのが早すぎることが分かります。

平等の中身を、境遇ではなく権利と道理に限定しておられます。

ここは取り違えられやすいところでしてな。
世を見渡せば、御殿に住む者もあれば、裏店で明日の米に困る者もある。有様が等しくないのは、目を開けば誰にでも分かる事であります。
私が等しいと申したのは、その有様ではのうて、権理と道義のほうです。持ち物が違うても、道理の上では同じ一人として扱われる。そこを譲れば、あとは元の身分の世に戻るだけですよ。
名言⑧「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛うものなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』三編 |
| 解釈 | 独立心がなければ人に頼り、頼れば恐れ、恐れれば媚びるようになる |
| 現代へのヒント | 媚びが出はじめたら、依存の構造を疑う |
名言集で必ず見かける一節です。原文では三編「一身独立して一国独立すること」の第二条にあたります。
三つの段が鎖のようにつながっているのが特徴です。気力がない、だから頼る、だから恐れる、だから媚びる。順番に理由が書かれているので、途中で切ると意味が痩せます。
原文はこのあと、媚び慣れた者は面の皮が鉄のようになると続けます。表現はかなり厳しめです。

依存から媚びまでを、一続きの流れとして書いておられます。

途中で切られると、ただの悪口になってしまいます。
気力がなければ人に頼る。頼れば相手が怖くなる。怖くなれば、機嫌を取るようになる。順に理由がつながっておりましょう。
厄介なのは、当人に媚びておる自覚がない事であります。慣れてしまえば、それが当り前の顔つきになる。私はそこを面の皮が鉄のようだと書きました。少々口が過ぎたかもしれませぬな。
名言⑨「一身独立して一国独立するとはこのことなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』三編 |
| 解釈 | 一人ひとりが独立してこそ、国が独立する |
| 現代へのヒント | 組織を変える前に、自分の持ち場を独立させる |
福沢の考えを一行に凝縮した言葉として、もっともよく引かれます。三編の見出し自体が「一身独立して一国独立すること」です。
原文の並びは、個人が先で国が後になっています。国を強くするために個人を鍛えよ、という順ではありません。
福沢はこの直前で、道理あるものとは交わり、道理なきものは打ち払うと書いています。相手が誰であれ道理で向き合う、その土台が個人の独立だという構成です。

個人の独立が先で、国の独立が後という順番になっています。

順が逆になっては困ります。
国というものは、人が集まってできたものに過ぎませぬ。中の一人ひとりが人の顔色をうかがうておるのに、外へ向かってだけ胸を張れる道理はありますまい。
まず一身が立つ。その積み重ねが一国になる。繰り返し書いたのは、その一点であります。国のために人を鍛えよ、と申したのではありませんよ。
名言⑩「一国の文明はひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』四編「学者の職分を論ず」 |
| 解釈 | 国の文明は、政府の力だけで進むものではない |
| 現代へのヒント | 上が動くのを待つ前に、下でできることを数える |
福沢が生涯官職に就かなかったことと、まっすぐつながる一文です。原文は四編「学者の職分を論ず」に置かれています。
この編で福沢は、学問のある者が次々と官に入っていく当時の風潮を批判しました。政府と人民の力が釣り合わなければ、国の独立は保てないという論です。
在野の側にも仕事があるという主張であり、慶應義塾という私立の学校を続けた理由の説明にもなっています。

政府の力だけでは文明は進まない、と書いておられます。

私が役人にならなかった訳も、そのあたりにあります。
学のある者が皆こぞって官に入ってしまえば、政府の側だけが重くなる。釣り合いが崩れれば、国は自分の足で立てませぬ。
ここからは私の勝手な考えとしてお聞きください。政府の外にも仕事がある、その手本を誰かが見せねばならぬと思うたのです。塾を続けたのは、その一つの形でありました。
名言⑪「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』五編 |
| 解釈 | 進まない者は退き、退かない者は進む |
| 現代へのヒント | 現状維持という状態は存在しないと考える |
対句が心地よく、標語としてよく使われる一節です。原文には続きがあります。「進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり」。
「潴滞」は水がよどんで溜まることです。つまり立ち止まったままでいることは理屈のうえでありえない、と言い切っています。
五編には「明治七年一月一日の詞」という一節が置かれています。原文には「この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり」という一文も見えます。

立ち止まることはありえない、と続けておられます。

潴滞、つまり水が溜まってよどむ、という字を使いました。
止まっているように見えても、実は退いておるのです。まわりが進んでおるのですから、同じ所におれば、それだけ離される。
もっとも、これを人ひとりに向けて言えば、ただ急かすだけの言葉になりましょう。私が書いたのは、国の有様を見ての話でありました。
名言⑫「読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』五編 |
| 解釈 | 読書は学問の手段であり、学問は物事を成す手段である |
| 現代へのヒント | 手段と目的を取り違えていないか、二段階で確かめる |
手段が二段構えになっている点が、この一節の面白さです。読書は学問のため、学問は実行のため、という並びになっています。
原文はこの直後に、実地に接して事に慣れなければ勇力は生まれない、と書いています。読むだけでは足りないという主張です。
福沢は読書を否定していません。読書を最終目的にすることだけを戒めています。

読書と学問と実行を、手段と目的の関係で並べておられます。

二重になっておるところが要であります。
読書は学問のため、学問は事を成すため。どちらも途中の段でありますな。ところが人というものは、途中の段に腰を下ろしたがるものです。
私も原書を写して夜を明かした口ですから、書物の面白さはよく存じております。だからこそ、そこで止まるなと書いておいたのかもしれませぬ。
名言⑬「国の文明は形をもって評すべからず」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』五編 |
| 解釈 | 国の文明は、見た目の形で評価してはならない |
| 現代へのヒント | 設備が整ったことを、成果と混同しない |
明治初期の風景を思うと、なかなか強い言葉です。原文はこのあと、学校を建て工業を勧め、海陸軍の制度を改めても、文明の形が備わったにすぎないと続きます。
では中身は何か。福沢の答えは「人民独立の気力」でした。これがなければ、文明の形は無用の長物になるとまで書いています。
外形の近代化と、人民の独立心とを分けて論じている点が、この編の特徴です。

学校や軍備が整っても、それは文明の形にすぎないと書かれました。

学校が建ち、船ができ、軍の制度が改まる。目に見えて結構な事であります。
ただ、それは形でしてな。中に入るべきものが伴わなければ、無用の長物になる。私はそれを人民独立の気力と書きました。
形は金と年月で揃います。中身のほうは、そう手早くはいきませぬ。順が逆だと申したいのではのうて、形だけを見て安心するなという話です。
名言⑭「国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、みずから作りし法に従うなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』六編「国法の貴きを論ず」 |
| 解釈 | 法に従うのは、政府の法にではなく、自分たちが作った法に従うことである |
| 現代へのヒント | 決まりを守るとき、誰が決めたのかを思い出す |
原文は三つの文を畳みかけます。従うのも、破るのも、罰せられるのも、すべて「みずから」だという構成です。
前提として福沢は、政府を国民の名代だと定義しています。国民が権限を預けた相手が政府である、という考え方です。
法を上から降ってくるものと見ないこの立場が、憲法も国会もない時期に書かれています。『学問のすゝめ』が書き継がれた1872年から1876年は、大日本帝国憲法の発布より十年以上前にあたります。

法に従うことを、自分たちが作った法に従うことだと言い換えておられます。

そこを言い換えたのには訳があります。
政府は国民の名代であります。名代の作った法なら、元をたどれば自分たちの作った法という事になりましょう。
この言い方をしておけば、法を破る者は他人ではなく自分に背いた事になる。窮屈に聞こえますか。しかし、上から降ってくるものだと思うておるほうが、よほど窮屈でありますよ。
名言⑮「他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、われもまた他人の権義を妨ぐべからず」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』七編「国民の職分を論ず」 |
| 解釈 | 自分の権利を侵されたくないなら、他人の権利も侵してはならない |
| 現代へのヒント | 主張したい権利があるとき、同じ物差しを相手にも当てる |
権利の話を、義務の話へ折り返した一文です。七編は国民を、商社に例えて説明しています。
原文では、国民は商社の客であると同時に主人でもある、という二役で書かれます。この一文は、客の側の心得として置かれたものです。
自分の権利の尊重を求めるなら、同じ物差しで他人の権利も尊重しなければならない。この折り返しは、④の「分限」とも響き合っています。

権利の主張を、そのまま自分への制約に折り返しておられます。

権利ばかりを唱える議論は、たいてい片側で止まります。
自分の分を侵されたくないのなら、人の分も侵さぬ。ただそれだけの話でありますが、これを言わずにおくと、権利は取り合いの道具になってしまう。
七編では、国を商社に見立てて書きました。客であり、同時に主人でもある。二役を持たせたのは、片側だけで済まさぬためであります。
名言⑯「意思はもって事をなすの志を立つべし」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』八編 |
| 解釈 | 意思は、物事を成そうという志を立てるために使う |
| 現代へのヒント | やる気が出ないときは、志の形になっていないかを疑う |
八編で福沢は、人に欠かせない性質を五つ挙げています。身体、情欲、誠の心、意思、才智です。この一文はそのうちの意思にあたります。
原文は「善き事も悪き事もみな人のこれをなさんとする意ありてこそできるものなり」と続きます。意思そのものは善悪に中立という整理です。
そのうえで福沢は、五つを自由自在に扱うことが一身の独立だと結論づけました。意思は道具の一つ、という位置づけになっています。

意思を、善悪に中立な道具として並べておられます。

意思そのものは、善くも悪しくもありませぬ。
善い事をするにも、悪い事をするにも、まずやろうという意がなければ始まらぬ。私は身体、情欲、誠の心、意思、才智と五つを並べて、どれも人に欠かせぬと書きました。
肝心なのは、その五つを自分で扱えるかどうかであります。道具に振り回されておっては、独立とは申せませぬからな。
名言⑰「みなこれ古人の遺物、先進の賜なり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』九編 |
| 解釈 | 今ある進歩は、すべて昔の人が遺したもの、先人からの贈り物である |
| 現代へのヒント | 受け取ったものを数えてから、次に何を残すかを考える |
九編は「学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文」という副題を持ちます。故郷の友人に宛てた形の文章です。
原文はこの直前で、親から譲られる財産は地面や家財だけで、失えば跡が残らないと書いています。それに対して先人が遺した知見は消えない、という対比です。
受け取った側の義務へ話が進むのが福沢らしいところで、九編は人間交際の義務を論じる方向へ続いていきます。

先人から受け取ったものを、財産と比べて書いておられます。

親から譲られる田畑や家財は、失えばそれきりであります。
ところが先の人が残した知見のほうは、使うても減りませぬ。今日われわれが当り前に使うておる物は、たいてい誰かの骨折りの跡でありましょう。
となると、受け取ったままでは済みますまい。次の者に渡すものを、こちらも作らねばならぬ。九編を旧友への手紙の形で書いたのは、そういう話をしたかったからです。
名言⑱「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十編 |
| 解釈 | 学ぶなら大いに学べ。農民なら大農に、商人なら大商になれ |
| 現代へのヒント | 今いる分野を小さく見ず、その道で大きな志を持つ |
短いリズムで畳みかける、勢いのある一節です。原文はこのあと「学者小安に安んずるなかれ」と続きます。
注目したいのは、職業を並列に置いていることです。学問だけを上に置かず、農にも商にも同じ「大」を求めています。
十編で福沢が批判したのは、学問を官職への近道に使う風潮でした。この一文は、その裏返しとして読めます。

学者にも農民にも商人にも、同じように大を求めておられます。

学問だけを高い所に置く気は、私にはありませぬ。
農をするなら大農に、商いをするなら大商に。学者だけが偉いという話にしてしまえば、結局は新しい身分をこしらえるだけであります。
あの頃は、学問を役人になる近道と心得る者が増えておりました。十編で口やかましく書いたのは、その風を見ておったからです。
名言⑲「学問は米を搗きながらもできるものなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十編 |
| 解釈 | 学問は、米をつく仕事をしながらでもできる |
| 現代へのヒント | 環境が整うのを待たない |
⑱のすぐあとに置かれた一文です。原文は「粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割るべし」と並べたうえで、この結論に至ります。
さらに「人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を食らい味噌汁を啜り、もって文明の事を学ぶべきなり」と続きます。
三度の欧米渡航を経た人が麦飯と味噌汁を持ち出しているのは、なかなか痛快です。西洋の暮らしごと真似る必要はない、という含みが読み取れます。

西洋を見てこられた方が、麦飯と味噌汁で学べと書いておられます。

西洋を見て参りましたからこそ、申せる事であります。
向こうで感心したのは、暮らしの飾りではのうて、物の考え方と仕組みのほうでした。洋食を食わねば文明が身につかぬなどという理屈は、どこにもありませぬ。
麦飯を食い、味噌汁を啜って、学ぶ事は学べばよろしい。米を搗きながらでもできる、と書いたのはその意味です。
名言⑳「学問するには、その志を高遠にせざるべからず」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十編 |
| 解釈 | 学ぶなら、志は高く遠くに置かなければならない |
| 現代へのヒント | 目先の見返りで学ぶ範囲を決めない |
十編は「前編のつづき、中津の旧友に贈る」という副題を持ち、友人に語りかける調子で書かれています。
原文はこの前後で、飯を炊くのも風呂を焚くのも学問であり、天下の事を論じるのも学問だと並べます。入口は低く、志は高くという配置です。
⑱⑲と合わせて読むと、十編では近い主張が角度を変えて繰り返されていることが分かります。

入口はどこでもよいが、志は高く、という書き方に見えます。

入口は低いほどよろしい。
飯を炊くのも学問、風呂を焚くのも学問と書きました。そこから始めてよいのです。ただ、始めた先をどこに置くかは、また別の話でありましてな。
手近な得だけを目当てにすると、そこまでで足が止まります。十編で同じ事を三度も書いたのは、よほど言い足りなかったのでしょうな。
名言㉑「返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十一編「名分をもって偽君子を生ずるの論」 |
| 解釈 | 世の中でもっとも当てにならないのは、肩書きや名目である |
| 現代へのヒント | 役職名ではなく、実際の取り決めで関係を組む |
「名分」は、上下関係を正当化する名目のことです。十一編の副題どおり、福沢はこれが偽君子を生むと論じました。
原文には、州の長官を「牧」と呼ぶ習慣への皮肉も出てきます。牧は家畜を養う意味なので、人民を牛や羊のように扱う名目を看板に掲げているようなものだ、という指摘です。
そのうえで福沢は、政府と人民は骨肉の縁ではなく他人の付き合いだと書きました。だからこそ約束が要る、という論の運びです。

政府と人民を、他人の付き合いだと書いておられます。

骨肉の縁だと思うから、話がおかしくなるのであります。
親子であれば、細かい取り決めがのうても情で回りましょう。しかし政府と人民は他人であります。他人ならば、約束を交わしておかねばなりませぬ。
名分というものは、その約束の代わりに掲げられた看板でしてな。看板は都合よく書き換えられます。だから当てにならぬと申しました。
名言㉒「学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十二編 |
| 解釈 | 学問の要は使うことにある。使わない学問は、学んでいないのと同じである |
| 現代へのヒント | 学んだことを、一つでも実務に落としてから次へ進む |
福沢の学問観を一行で示した言葉として、もっとも引用されます。原文は十二編にあります。
このあとに置かれた逸話が秀逸です。江戸で数年学び、写本を数百巻つくった書生が、船で国元へ帰る途中に嵐で荷を失う。すると学問がすべて消えてしまった、という話です。
福沢は続けて、「わが輩の学問は東京に残し置きたり」と言い訳する者もいるだろう、と皮肉を書いています。知識を外部に置いたままの状態への批評です。

写本を失って学問まで失った書生の話を書いておられます。

あれは笑い話のようでいて、笑えぬ話であります。
数百巻を写し取って、いざ国へ帰る船で荷ごと海に沈める。すると学問まで一緒に沈んでしまった。頭の中には何も残っておらなんだ訳です。
写す事が悪いのではありませぬ。写した先で使わねば、それは自分の物になっておらぬ、という話でしてな。学問は東京に残し置いた、と言い訳する者も出て参りましょう。
名言㉓「学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十二編 |
| 解釈 | 学問の本当の目的は読書ではなく、精神を働かせることにある |
| 現代へのヒント | 情報を集めた段階で終えず、自分の説を一つ作る |
㉒の直後に置かれた一文です。原文はここから、具体的な方法へ入っていきます。
福沢は英語をそのまま持ち込みました。オブセルウェーションは事物を視察すること、リーゾニングは道理を推究して自分の説をつくること、と説明しています。
さらに読書、談話、著書、演説を加えて、智見を集め、交換し、発信するという循環を描きました。十二編に「演説の法を勧むるの説」が置かれているのは、この流れです。

視察と推論に、読書や演説を組み合わせて説明しておられます。

オブセルウェーション、リーゾニング。横文字のまま使いました。
物をよく見る事と、道理をたどって自分の説を立てる事。この二つが揃わねば、学問は動きませぬ。
そのうえで読み、話し、書き、演説をする。集めて、取り交わして、外へ散らす。この巡りが要るのです。演説の法をやかましく勧めたのは、日本にその段が欠けておると見たからであります。
名言㉔「怨望はあたかも衆悪の母のごとく」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十三編「怨望の人間に害あるを論ず」 |
| 解釈 | ねたみは、あらゆる悪を生み出す母のようなものである |
| 現代へのヒント | 不満の矛先が他人を損なう方向へ向いていないか点検する |
十三編はまるごと「怨望」を論じた編です。福沢は、多くの性質は場所と方向しだいで徳にも不徳にもなるが、怨望だけは例外だと書きました。
理由も明確です。怨望は自分を益するのではなく、他人を損なうことでしか満たされないからだ、という説明になっています。
原文は続けて、疑い、嫉妬、恐怖、卑怯はみな怨望から生じると並べます。かなり徹底した書き方です。

怨望だけは、場所や方向にかかわらず不徳だと書いておられます。

人の性質というものは、たいてい向け方しだいで徳にも不徳にもなります。
欲も、負けん気も、場所を得れば働きになりましょう。ところが怨望だけは、どう向けても人を損なうほうにしか行かぬ。己が上がるのではなく、相手を下げて釣り合わせようとするからであります。
ですから、これを衆悪の母と書きました。強い言い方ではありますが、加減する気になれなんだのです。
名言㉕「富貴は怨みの府にあらず、貧賤は不平の源にあらざるなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十三編 |
| 解釈 | 豊かさが恨みを集めるのでも、貧しさが不平を生むのでもない |
| 現代へのヒント | 不満の原因を、境遇そのものに求めない |
㉔と同じ十三編にありますが、視点が違います。怨望の原因を、貧富から切り離した一文です。
原文はこのあと、怨望が生じるのは貧賤のせいではなく、人の働きが塞がれている状態のせいだと書いています。禍福が偶然に左右される場所で、それは流行するという説明です。
つまり福沢の処方箋は「不平を我慢せよ」ではありません。人が働ける道を開くこと、そちらへ向かいます。

不満の原因を、貧富ではなく働きが塞がれた状態に求めておられます。

貧しいから僻む、と片づけるのは乱暴であります。
富める者が必ず恨まれ、貧しい者が必ず不平を言うのなら、世はとうに立ち行きますまい。実際はそうなっておらぬ。
怨望が湧くのは、働きたくとも道が塞がっておる時であります。ならば直すべきは人の心根ではのうて、道のほうですな。学問を勧めたのも、詰まるところそこへ戻ります。
名言㉖「事業の成否得失につき、ときどき自分の胸中に差引きの勘定を立つることなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十四編「心事の棚卸し」 |
| 解釈 | 自分の仕事の損得を、ときどき心の中で決算してみる |
| 現代へのヒント | 定期的に、着手した数と仕上げた数を突き合わせる |
十四編の副題は「心事の棚卸し」です。商売の棚卸しを、自分の心と仕事に当てはめた発想になっています。
原文は「人の世を渡る有様を見るに、心に思うよりも案外に悪をなし、心に思うよりも案外に愚を働き」と書き出されます。思っているほどうまくやれていない、という前提です。
だから決算をせよ、という流れになります。原文には「フランキリン」の言葉も引かれ、十分と思ったときも事に当たれば足りないと分かる、と紹介されています。

商売の棚卸しを、自分の仕事の点検に持ち込んでおられます。

商いの者は、年に一度は棚を卸して勘定を合わせます。
ところが自分の仕事となると、これをやりませぬ。思うておるほどには進んでおらぬのに、進んでおる気になっておる。人はどうもそういうものらしい。
フランキリンも、十分と思うた時ほど足りぬと申しております。ならば時々は帳面を開いて突き合わせるほかありますまい。気の重い作業ではありますがな。
名言㉗「信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十五編「事物を疑いて取捨を断ずること」 |
| 解釈 | 信じる世界には偽りが多く、疑う世界には真理が多い |
| 現代へのヒント | 情報を受け取ったら、まず出どころを一度確かめる |
十五編の冒頭に置かれた、対句の効いた一文です。この記事の作業そのものを言い当てているようで、私は少しどきりとしました。
原文は例を挙げます。奴隷売買を疑って廃止へ向かわせた「トーマス・クラレクソン」、教会のあり方を疑って改革を起こした「マルチン・ルーザ」。いずれも本文の表記のままです。疑いから始まった変化を並べています。
ただし福沢は、疑えばよいとは書いていません。軽々しく信じてはいけないなら、軽々しく疑ってもいけない、と釘を刺しています。

疑うことを勧めながら、軽々しく疑うなとも書いておられます。

疑えばよい、とは書いておりませぬ。
軽々しく信じてはならぬのなら、軽々しく疑うのも同じ事であります。どちらも、自分で判じる手間を省いておるのですから。
肝心なのは取捨のほうでしてな。疑うて、調べて、それから採るか捨てるかを決める。奴隷の法を疑うた者も、教えのあり方を疑うた者も、そこまでやったからこそ世が動いたのです。
名言㉘「人の心事は高尚ならざるべからず」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十六編 |
| 解釈 | 人が心に抱く事柄は、高いところに置かなければならない |
| 現代へのヒント | 何に時間を使うかで、仕事の質は先に決まっている |
「心事」は、心に抱いている関心事や目標のことです。原文は「心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり」と続きます。
福沢の説明は具体的です。囲碁や将棋の工夫も難しさでは天文や数学に劣らないが、用をなす大きさが違う、という比べ方をしています。
難易度ではなく、何に向けるかで働きの価値が決まるという整理です。十六編は「手近く独立を守ること」も論じており、独立の話と地続きになっています。

難しさではなく、何に向けるかで働きの価値を測っておられます。

難しい事をしておれば偉い、という訳ではありませぬ。
碁や将棋の工夫も、なかなかどうして難しい。天文や算勘に劣らぬ知恵が要ります。それでも、及ぶ先の大きさが違いましょう。
何に向けるかで、同じ働きの値打ちが変わる。ですから心の向く先を高く置け、と書きました。難しさだけでのうて、その働きが何に向かい、どこまで及ぶかも考えねばなりませぬな。
名言㉙「かりそめにも人に当てにせらるる人にあらざれば、なんの用にも立たぬものなり」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十七編「人望論」 |
| 解釈 | 人から当てにされない人は、何の役にも立たない |
| 現代へのヒント | 小さな用事から大きな仕事まで、任せてもらえる範囲で信用を測る |
十七編は「人望論」です。人望を、抽象的な人格ではなく当てにされる度合いとして定義しているのが面白いところです。
原文の例え方が独特です。十銭のお使いを頼める人は十銭だけの人望があり、そこから一円、千円、万円へ広がっていく、と書かれています。
金額の大小は、任せてもらえる事柄の大きさを表しています。人望を、有るか無いかではなく、どこまで及ぶかという幅で捉えた見方です。人を当てにしないのはその人を疑うからだ、とも書かれています。

人望を、十銭のお使いから万円までの連続した量として説明しておられます。

人望と申しますと、何やら人柄の話に聞こえますな。
私は当てにされる度合いだと考えました。十銭の使いを頼める者には十銭ぶんの人望がある。それが一円になり、千円になり、万円になる。ただそれだけの事であります。
当てにせぬのは、その人を疑うておるからでしょう。ならば人望とは、どれほどの事まで任せてもらえるか、その届く先を測ったものという事になりますな。
名言㉚「人にして人を毛嫌いするなかれ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『学問のすゝめ』十七編。全十七編の最後の一文 |
| 解釈 | 人でありながら、人を毛嫌いしてはいけない |
| 現代へのヒント | 交流の入口を、趣味や実利で狭めない |
『学問のすゝめ』は、この一文で終わります。初編の刊行が1872年、十七編が1876年ですから、4年あまり書き継がれた本の最後の言葉ということになります。
直前で福沢は、人と交わる方法を並べています。学問でも商売でも、書画でも碁将棋でもよい。芸のない者なら会食でも茶でもよい。腕相撲や足相撲まで挙げています。
間口をここまで広げてから、最後にこの一文が来ます。私はこの終わり方に、この本の性格が出ていると思いました。

十七編にわたる本の最後が、この一文でした。

幾年も書き継いだものが、あれで終わります。
人と交わる道を、あれこれ並べました。学問でも商いでも、書画でも碁将棋でもよい。芸のない者は共に飯を食えばよい、腕押しでもよいと。
ここまで間口を広げておいて、最後に一言。人でありながら人を毛嫌いするな、と。締めくくりとしては、まあ、悪くなかったと思うております。
名言㉛「門閥制度は親の敵で御座る」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『福翁自伝』。同じ表現が小見出しにも使われている |
| 解釈 | 家柄で人を縛る制度は、父の仇である |
| 現代へのヒント | 制度への怒りを、個人への怒りとすり替えない |
『福翁自伝』のなかで、もっとも激しい言葉でしょう。福沢の父・百助は下級武士で、学問がありながら生涯を身分に縛られて終えました。
原文はこう続きます。父が45年の生涯を封建制度に束縛され、何事もできず不平を呑んで世を去ったことこそ遺憾である、と。
さらに、幼い自分を坊主にしてでも名を成させようとした父の心中を思い、独り泣くことがあるとも書いています。怒りの矛先は個人ではなく、制度に向いています。

怒りの矛先が、人ではなく制度に向いています。

父は学があり、筋の通った人でありました。
それが四十五年、身分に縛られて何もできぬまま世を去った。私を坊主にしてでも名を成させようとしたほどであります。あの心中を思うと、今でも言葉に詰まりますな。
ただ、恨むべきは誰か一人ではありませぬ。父を押し込めておったのは、あの仕組みのほうでありました。ですから敵は門閥制度である、と書いたのです。
名言㉜「先ず獣身を成して後に人心を養う」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『福翁自伝』。「体育を先にす」の小見出しの箇所に「先ず獣身を成して後に人心を養うと云うのが私の主義であるから」とある |
| 解釈 | まず体をつくり、それから心を育てる |
| 現代へのヒント | 学ぶ力の土台に、体調と体力を置く |
福沢の子育て方針として語られた言葉です。この記事が本文を確認したのは『福翁自伝』で、原文は「先ず獣身を成して後に人心を養う」と、言い切りではなく自分の主義を述べる形になっています。
具体的です。三歳から五歳まではいろはも見せず、七、八歳で手習いをさせたりさせなかったり、読書はまだ。八、九歳か十歳になって初めて教育に入れる、と書かれています。
その間の様子を、福沢自身が犬猫の子を育てるのと変わらないと表現しています。
なお、この言葉は「先ず獣身を成して後に人心を養え」という命令形で紹介されることも多く、その場合は『福翁百話』が出典として挙げられます。1897年(明治30年)7月に時事新報社から刊行された本です。
ただし、本記事はその本文を直接確認していません。ここで引いたのは、あくまで『福翁自伝』の「養う」の形です。

幼いうちは学ばせず、体づくりを先にしておられます。

まず身体、それから心。順はこれで動きませぬ。
幼いうちは、いろはも見せず、ただ暴れさせておきました。犬猫の子を育てるのと変わらぬ有様であります。読ませ始めたのは、八つか九つ、十になってからでした。
じっと座って書を読む子を褒める親は多うございますが、私はそこを急ぎませなんだ。土台が細ければ、上に何を積んでも保ちませぬからな。
名言㉝「一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『福翁自伝』。仕官を嫌った理由を語った箇所 |
| 解釈 | 国の独立は、国民一人ひとりの独立心から生まれる |
| 現代へのヒント | 手本がないと嘆く前に、自分が手本になれるかを考える |
⑨の「一身独立して一国独立する」を、晩年に自分の生き方として語り直した箇所です。
原文の続きが重要です。国中が古風の奴隷根性では国が持てない、だから自分がその手本になってみようと思い付いた、と書かれています。
そして「人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定した」と続きます。理念ではなく、身の処し方として語られている点が印象に残ります。

自分が手本になろうと思い付いた、と書いておられます。

誰かが先にやって見せねば、話が始まりませぬ。
国が自分の足で立つには、まず中の者が立たねばならぬ。ところが皆で待っておっては、いつまでも誰も動かぬ訳であります。
ならば自分が手本になってみようと思い付きました。うまくいくかどうかは、やってみねば分かりませぬ。人間万事無頓着と腹を決めて、あとは独立独歩、それだけです。
名言㉞「貧富苦楽、共に独立独歩」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『福翁自伝』。金銭の扱いを語った箇所 |
| 解釈 | 豊かなときも苦しいときも、人に頼らず自分で歩く |
| 現代へのヒント | 家計の判断を、世間の相場ではなく自分の基準で決める |
金銭についての福沢の流儀が、そのまま出ている一節です。原文はこう書きます。金がなければ使わない、あっても無駄に使わない、一切世間の人の世話にならない。
そして「ドンな事があっても、一寸でも困たなんて泣言を云わずに何時も悠々として居る」と続きます。独立を、生活の場面まで下ろした言い方です。
原文にはおまけの逸話もあります。所得税の担当者に多額の財産があると見積もられた、という話で、悠々とした様子が金持ちに見えたらしい、と書かれています。

独立を、暮らしとお金の使い方の話として書いておられます。

金の話をすると品がないと言われますが、独立とはまずそこであります。
無ければ使わぬ。有っても無駄には使わぬ。人の世話にならず、また人に泣き言も申さぬ。それだけの事を、生涯守って参りました。
おかげで妙な誤解も受けましたよ。悠々としておるのを見て、さぞ蓄えがあるのだろうと役所の者が見積もった事がありましてな。可笑しな話であります。
名言㉟「都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『福翁自伝』。「事を為すに極端を想像す」の小見出しの箇所 |
| 解釈 | 物事の最悪を先に想像して覚悟を決め、いざというときに慌てないようにする |
| 現代へのヒント | 計画を立てたら、最悪の場合の手順も一度書いておく |
『福翁自伝』の終盤で、福沢が自分の処世法を一括してまとめた箇所です。原文には「事を為すに極端を想像す」という小見出しが付いています。
面白いのは、この直前に置かれた話題です。福沢は自分の生涯で一番骨を折ったのは著書と翻訳の事業だったと述べ、そのうえでこの処世法を語ります。
悲観ではなく準備の話として書かれている点が、この一節の要です。慌てないための想像であって、恐れるための想像ではありません。

最悪を想像しておくのは、慌てないためだと書いておられます。

これは私の処世の法を一つにまとめたものであります。
事を始める前に、いちばん悪い成り行きを頭の中でこしらえておく。そこまで想像して腹を決めておけば、いざという時に慌てずに済みます。
怖がるための想像ではありませぬ。怖がらずに済ませるための想像でしてな。備えのある悲観は、案外のんきなものでありますよ。
「天は人の上に人を造らず」の続きを知っていますか
名言①で触れた一文には、よく知られた続きがあります。ここだけを取り出して読むと、この本の印象はかなり変わります。
原文はこうです。「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや」。
つまり福沢は、平等を宣言した直後に、現実の格差を並べて見せています。そして「その次第はなはだ明らかなり」と続け、差は学ぶか学ばないかで生まれると結論づけました。
この構成を一覧にすると、次のようになります。
| 順番 | 原文の内容 |
|---|---|
| ① 書き出し | 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり(伝聞の形) |
| ② 現実の観察 | 賢い人も愚かな人も、貧しい人も富める人もいる。その違いは雲と泥のようだ |
| ③ 原因の特定 | 賢人と愚人の別は、学ぶと学ばざるとによってできる |
| ④ 結論 | ゆえに学問を勧める。それも日用に近い実学を |
「人は平等だ」という一文だけを掲げると、②から④が消えてしまいます。この本の題名が『学問のすゝめ』である以上、続きまで含めて一つの論と読むほうが自然でしょう。
なお、②の格差の描写を「福沢は格差を肯定した」と読むのは、行きすぎだと思います。原文は差があることを事実として置いたうえで、その原因を学問に求めているからです。
背景として、初編の成り立ちも押さえておくと読みやすくなります。コトバンクに収録された事典の説明によれば、初編はもともと1871年、郷里・中津の市学校の開校にあたって生徒に示したものでした。
つまり最初の読者は、これから学び始める子どもたちだったことになります。「だから学びなさい」という結びに向かうのは、そう考えると自然な流れです。

平等を掲げた直後に、現実の格差を並べておられます。この構成の意図をどうお考えですか。

その理由を書き残してはおりませぬから、確かな事は申せませぬ。
ここからは私の物言いとしてお聞きください。もし皆同じであるとだけ書いて筆を置いておれば、読んだ人は現実を見て嘘だと思うたでありましょう。それでは本を閉じられて終わりであります。
目に見える差を先に並べ、その因を尋ねる。そう進めば、次に来るのは学問の話になりましょう。題が『学問のすゝめ』でありますから、まあ、そういう道筋ではありますな。
「独立自尊」は福沢自身の言葉なのか|『修身要領』の成り立ち
福沢諭吉の思想を四文字で表す言葉として、「独立自尊」は広く使われています。慶應義塾の理念としても知られる言葉です。
ただし、この四文字が世に出た経緯には、押さえておきたい事情があります。「独立自尊」を掲げた『修身要領』の文案は、福沢自身が書き下ろしたものではありません。
『修身要領』は1900年(明治33年)2月に発表された、二十九か条からなる文章です。青空文庫で本文を読むことができ、その冒頭に成立の事情が記されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発表 | 1900年(明治33年)2月、『時事新報』に掲載 |
| 起草 | 慶應義塾社中(門下生)。福沢が「文案を草せしむ」と依頼した |
| 福沢の関与 | 「先生平素の言行に基き、其大要を述べて、先生の閲覧を乞ひ」と記されている |
| 内容 | 全二十九か条。第一条・第二条で「独立自尊」を掲げる |
前書きの言い方をそのまま読むと、福沢の日ごろの言行をもとに門下生が起草し、福沢が目を通したという関係になります。福沢が机に向かって書き下ろした文章ではありません。
このため『修身要領』の条文は、この記事の35選には入れませんでした。福沢の考えを色濃く反映した文章であることは確かですが、本人が書いた原文として並べるのは慎重であるべきだと考えたからです。
内容そのものは、今読んでも驚くところがあります。たとえば第八条は「男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位」と書き、第三条は「自から労して自から食ふは、人生独立の本源なり」と述べています。
ここで大事なのは、「福沢が作った言葉か、そうでないか」の二択で片づけないことです。起草は門下生でも、福沢はこの四文字を退けてはいません。それどころか、発表後は自分でも好んで使っています。
慶應義塾大学メディアセンターのデジタルコレクションには、1901年(明治34年)元旦に福沢が揮毫した「独立自尊迎新世紀」が収められています。
解説によれば、前年の大晦日に塾生が開いた世紀送迎会を受けて書かれたもので、文言を決めるのに推敲を重ねた記録も残っているとのことです。
慶應義塾は現在も、第二条の「心身の独立を全うし、自らのその身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」という一文を、福澤諭吉が定義した基本精神として掲げています。
まとめると、こうなります。「独立自尊」は、福沢が長年書いてきた「独立」の思想をもとに、晩年の『修身要領』の編纂を通して四文字の標語として形になり、福沢自身もそれを受け入れて揮毫した言葉です。
福沢が若い頃から使っていた四文字ではない、という点だけ押さえておけばよいでしょう。

『修身要領』は門下生が起草し、福沢さんが目を通したと前書きにあります。この作られ方について、どうお考えですか。

あれは塾の者が草案を作り、私が目を通したものであります。前書きにそう記してありましょう。
私が一字一句書き下ろしたのではありませぬ。日ごろ申しておった事を、若い者がまとめてくれた。そういう成り立ちであります。
ですから、あの二十九か条を私の文章として並べるのは、少々具合が悪い。
もっとも、中身に不服があるという話ではありませぬ。独立自尊の四字は、私も気に入って筆を執っております。誰の筆かという話と、賛成か否かという話は、分けておいたほうがよろしいでしょうな。
【番外編】福沢諭吉の言葉として広まっているが、本人の作ではないもの
ここまでの35件は、すべて本人の著作に原文がありました。一方で、福沢の名前で広く出回っていながら、本人の作ではないとされる言葉があります。代表的な二つを取り上げます。
「福沢心訓七則」は偽作とされている
「世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つ事である」で始まる七か条です。学校や職場の壁で見かけた方も多いでしょう。
慶應義塾大学メディアセンターの案内「福澤諭吉について」には、「福沢心訓七則は福澤諭吉が書いたものではありません」と明記されています。
同じ案内には、根拠となる論考の書誌も並んでいます。富田正文「福沢心訓七則は偽作である」(『福沢諭吉全集』第20巻付録、1963年)、同「重ねて福沢心訓について」(『三色旗』198号、1964年)などです。
福沢を研究してきた側が、全集の付録という場所で偽作だと述べているわけです。心訓を福沢の名言として紹介するのは、避けたほうがよいでしょう。

福沢さんが創られた学校が、心訓七則は先生の作ではないと明言しています。

その七か条とやら、私は存じませぬ。
書いた覚えはございませんが、覚えがないと申したところで、それだけでは証しになりますまい。物を書く者は、自分の書いたものを全部そらんじてはおらぬのです。
塾の者が調べて違うと申しておるのなら、そちらのほうが確かでありましょう。名を借りられるのは、世に出た者の宿命のようなものですな。腹を立てても始まりませぬ。
「ペンは剣よりも強し」も福沢の言葉ではない
名言集では、福沢の言葉として掲載されていることがあります。慶應義塾のペンマークとの結びつきから、そう思われやすいのでしょう。
慶應義塾の公式サイト「シンボルマーク」には、由来がこう説明されています。「明治18年(1885年)ごろ、塾生が教科書にあった一節『ペンには剣に勝る力あり』にヒントを得て帽章を自分たちで考案した」。
考案したのは塾生であり、もとになったのも教科書の一節です。福沢が考えた言葉だとは書かれていません。
このフレーズ自体は、英国の作家エドワード・ブルワー=リットンの戯曲に由来する言い回しとして広く知られています。慶應義塾の象徴であることと、福沢の名言であることは別という整理になります。

ペンマークは塾生が考案したものだと、慶應義塾の公式サイトに書かれています。

ほう、塾生が帽章をこしらえた話でありますか。
あれは私が考えたものではありませぬ。若い者が教本の一節から思い付いて、自分たちで作った。そう伝わっておるのなら、そのとおりでありましょう。
だいたい、学校の印を先生が決めてしまっては面白うない。自分たちで決めたからこそ、長く使われておるのではありませんか。
福沢諭吉の名言から見えてくる考え方
35件を原文で並べてみると、いくつかの傾向が見えてきます。人物像を断定するのではなく、言葉の並び方から読み取れることとして書きます。
- 断定を避ける書き出しが多い。①は「と言えり」、⑦は「同等」の中身をわざわざ限定している
- 抽象語を、必ず具体例で受け直している。実学はそろばんと手紙、人望は十銭のお使い
- 個人から始めて社会へ向かう順番が繰り返される。⑨も㉝も、先に立つのは一人の独立
一つ目の傾向は、この記事を書きながら一番意外だったところです。福沢は強い言葉の人だと思っていましたが、原文はしばしば留保を付けています。
二つ目は、読みやすさに直結しています。「学問の要は活用にあるのみ」の直後に、写本を海に流した書生の話が来る。この落差が記憶に残ります。
三つ目については、順序が逆になっていない点を確かめておきたいところです。国のために個人を鍛えるのではなく、個人が独立した結果として国が独立する、という並びが繰り返されています。
ただし、これらはあくまで今回選んだ35件から読み取れる傾向です。福沢は膨大な量を書いた人で、対外論をはじめ議論の分かれる論説もあります。この記事の範囲で言えることには限りがあります。

35件を並べてみると、断定を避ける書き方が目立ちました。

そう見えましたか。書いておる時分には、気にもしておりませなんだ。
強く言い切ったほうが、読む人の腹には残ります。それは分かっております。ただ、言い切ってしまうと、読む人はそこで考えるのをやめてしまう。
私が渡したかったのは答えではのうて、考える段取りのほうでありました。まあ、そう都合よく書けておったかどうかは、読む方が決めてくださればよろしい。
よくある質問(FAQ)
福沢諭吉の一番有名な名言は何ですか?
もっとも広く知られているものの一つが、『学問のすゝめ』初編の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」です。ただし原文はここで終わらず、「と言えり」という伝聞・引用の形で書き出されています。
「天は人の上に人を造らず」の続きはどうなっていますか?
現実には賢い人も愚かな人も、貧しい人も富める人もいると格差を並べ、その差は「学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」と結論づけます。この続きがあって初めて『学問のすゝめ』という題名につながります。
「福沢心訓七則」は本当に福沢諭吉の言葉ですか?
慶應義塾大学メディアセンターの案内には「福沢心訓七則は福澤諭吉が書いたものではありません」と明記されています。富田正文が『福沢諭吉全集』第20巻付録(1963年)で偽作だと論じており、その書誌も同じ案内に示されています。
「独立自尊」は福沢諭吉自身が書いた言葉ですか?
この四文字を掲げた『修身要領』(1900年)は、門下生が文案を起草し福沢が閲覧したものです。ただし福沢はこの標語を受け入れ、1901年元旦には自ら「独立自尊迎新世紀」と揮毫しています。本人が退けた言葉ではありません。
「ペンは剣よりも強し」は福沢諭吉の名言ですか?
慶應義塾の公式サイトによると、ペンマークは1885年ごろに塾生が教科書の一節から考案したものです。福沢が考えた言葉だとは書かれていません。もとの言い回しは英国の作家ブルワー=リットンの戯曲に由来するものとして知られています。
福沢諭吉の名言は、どの本で読めますか?
この記事の35件は『学問のすゝめ』から30件、『福翁自伝』から5件を選びました。どちらも著作権保護期間が終了しており、青空文庫で全文を無料で読むことができます。
インタビュー後記|福沢諭吉の言葉が今も響く理由
今回は福沢諭吉AIに登場してもらい、35件の言葉を原文にあたりながらたどってきました。
作業を始めた動機は、壁に貼られた心訓七則への違和感でした。調べてみると、否定していたのは福沢が創った学校自身で、しかも全集の付録という真正面の場所で論じられていました。
そのうえで原文を読み進めて、印象が変わったところがあります。福沢は強い断定の人だと思っていたのですが、もっとも有名な一文が伝聞・引用の形で書き出されていた。この事実が、ずっと引っかかり続けました。
十五編の「信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し」を読んだときは、少し笑ってしまいました。出典を疑って原文を確かめるという作業を、本人に先回りされていたようで。
あなたは福沢諭吉の生き方から、何を受け取るでしょうか。
福沢諭吉の生涯や功績については、こちらの記事でくわしく紹介しています。
参考資料
- 青空文庫「福沢諭吉 学問のすすめ」※本記事の名言①〜㉚(30件)の本文確認に使用。底本は『日本の名著33 福沢諭吉』(中公バックス、中央公論社、1984年)、親本は『福沢諭吉全集 第三巻』(岩波書店、1959年)
- 青空文庫「福沢諭吉 福翁自伝」※本記事の名言㉛〜㉟(5件)の本文確認に使用。底本は『福澤諭吉著作集 第12巻』(慶應義塾大学出版会、2003年)、親本は『福翁自傳』(時事新報社、1899年)
- 青空文庫「慶応義塾 修身要領」※「独立自尊」の条文と成立事情の出典。底本は『福沢諭吉選集 第3巻』(岩波書店、1980年)、初出は『時事新報』1900年2月25日
- 慶應義塾大学メディアセンター Research NAVI「福澤諭吉について」※心訓七則が福澤の作ではないこと、および富田正文の論考の書誌の出典
- 慶應義塾「シンボルマーク」※ペンマークの由来(1885年ごろ塾生が教科書の一節から考案)の出典
- 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション「學問のすゝめ. 初編」※初版本の表紙と末尾に「福沢諭吉 小幡篤次郎 同著」と記されていること、初編の成立経緯の出典
- 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション「独立自尊迎新世紀」※1901年元旦に福沢が揮毫したこと、推敲を重ねた記録が残ることの出典
- 慶應義塾「理念と歴史」※「独立自尊の人」の定義を基本精神として掲げていることの出典
- 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション「福翁百話」※1897年(明治30年)7月に時事新報社から刊行された経緯の出典
- コトバンク「学問のすゝめ」※初編1872年・十七編1876年の刊行年、1880年の合本、初編が1871年に中津の市学校で生徒に示されたものであることの出典
- 慶應義塾「歴史」※慶應義塾の沿革の出典




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