「東善寺」と検索窓に打つと、私の環境では先に出てくるのは山口県や千葉県の同じ名前の寺でした。高崎の東善寺は、「小栗上野介」と添えてようやく出てきます。
小栗上野介忠順が最後に暮らし、墓がある寺です。2027年の大河ドラマの主人公なのに、寺の名前だけでは行き着けない。それが気になって、調べ始めました。
寺の公式サイト、高崎市の文化財情報、記念館を報じた新聞記事を1件ずつ開いて、確かめた結果が次の3つです。
この記事の結論
東善寺は、群馬県高崎市倉渕町権田にある曹洞宗の寺で、小栗忠順(小栗上野介)父子主従の菩提寺です。寛永10年(1633年)の開創で、境内の墓は群馬県の指定史跡になっています。
小栗がこの寺に住んだのは、慶応4年3月1日(1868年3月24日)から捕縛されるまでのおよそ2か月です。江戸を離れて知行地の権田村に土着し、観音山に家を建てる準備を進める途中で、新政府軍に斬られました。
隣接地に建設中の小栗上野介記念館は、2026年12月の完成を目標に工事が進んでいます(2026年10月14日時点)。報道は事業主体を一般社団法人小栗上野介顕彰会とし、高崎市が1億1千万円を補助しています。
- 1633年
東善寺の開創(寛永10年) - 約2か月
小栗が東善寺に住んだ期間(慶応4年3月1日から) - 2026年12月
記念館の完成目標(報道各紙)
この記事では、寺の基本情報から、小栗がなぜここにいたのか、墓と碑の場所、寺に残る遺品、記念館の計画、拝観とアクセス、年表まで、順にたどります。
語り手として、小栗忠順AI(小栗忠順をモデルにしたAI)に登場してもらいます。この寺を仮住まいとした本人です。
※以下のインタビュー部分は、公開されている史料をもとに人物像を再現した創作です。実際の発言ではありません。小栗忠順は1868年5月27日(慶応4年閏4月6日)に亡くなっているため、墓や記念館など、それ以降のことは伝聞としてしか語りません。
出典の確かめ方と、公開前に行っているチェックは編集方針にまとめています。

小栗さん、今日はあなたが最後に暮らした東善寺についてうかがいます。まず、権田村はあなたにとってどういう土地でしたか

権田村は、わが小栗家の知行地にて候。江戸から遠く、榛名の山の西へ入った里でございます。
慶応4年の3月、私は駿河台の屋敷を引き払い、あの村の東善寺に身を寄せました。小栗家と古くからつながりのある寺と聞いております。
墓や記念館とやらは、私の見届けられなかった先の話。そなたらの世の話として、聞かせてもらいましょう。
東善寺とは?読み方・宗派・小栗家との縁を表で確認
この章で確かめたことです。東善寺(とうぜんじ)は曹洞宗の寺で、開創は寛永10年(1633年)です。寺の案内によれば、宝永元年(1704年)に権田村が小栗家の知行地になったことから縁が始まりました。
小栗家5代の政信が中興開基(寺を立て直した施主)とされています。
まず、寺の公式サイトと高崎市の文化財情報から、基本事項を表にまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方 | とうぜんじ |
| 宗派・山号 | 曹洞宗 諏訪山 東善寺 |
| 本尊 | 釈迦牟尼仏 |
| 開創 | 寛永10年(1633年) |
| 開山・開基 | 開山 円室存察、開基 洞庵首座 |
| 中興開基 | 小栗政信(小栗家5代。忠順は12代) |
| 所在地 | 群馬県高崎市倉渕町権田169 |
| 小栗忠順との関係 | 父子主従の菩提寺。慶応4年3月1日(1868年3月24日)から仮住まい |
| 文化財 | 境内の「小栗上野介忠順の墓」が群馬県指定史跡(昭和28年8月25日指定) |
| 住職 | 21世 村上泰賢 |
参考:東善寺のあれこれ|東善寺
参考:小栗上野介忠順の墓|高崎市文化財情報
小栗家との縁について、東善寺はこう書いています。
宝永元年(1704)に権田村が小栗家の知行地となったことから、小栗家との縁が始まる。
出典:東善寺「東善寺のあれこれ」
権田村は、榛名山の西麓にあった上野国群馬郡の村です。日本歴史地名大系は、寛文郷帳(17世紀後半の帳面)では幕府領で、田方105石余・畑方1024石余と記します。畑の多い山里でした。
「東善寺」という名前の寺は各地にあり、小栗の墓があるのは高崎市倉渕町権田の東善寺です。山口県周南市や千葉県富津市、東京都内にも同名の寺があるため、検索するときは「高崎」か「小栗上野介」を添えると確実です。
なお、寺紋は「丸に立波」で、東善寺は旗本小栗家の家紋と同じと説明しています。『寛政重脩諸家譜』の小栗の項が載せる紋は「丸に蔦」「三葵」などで、本記事はどちらかに決めません。
参考:寛政重脩諸家譜 巻第四十五(小栗)|国立国会図書館デジタルコレクション
小栗家の代数や家系は、子孫の記事で確かめています。

寺の案内では、1704年に権田村が小栗家の知行地になり、5代の政信さんが中興開基になっています。あなたにとって、この寺はどういう存在でしたか

先祖の代から知行地の寺として縁のあった寺、と承知しておりました。江戸の屋敷からは、山ひとつ越えた遠い寺でございます。
慶応4年に身を寄せたとき、村の者が住まいを用意してくれたのが、あの寺の一室でございます。
寺の由緒を細かく語るのは、そなたらの世の寺の案内に譲りましょう。私が申せるのは、あの春の数十日のことまでにて候。
小栗忠順はなぜ権田村の東善寺にいたのか?権田村に着いてから捕縛までのおよそ2か月
この章の結論です。小栗は慶応4年1月に御役御免となり、幕府の許可を得て知行地の権田村に土着し、東善寺を仮住まいにしました。観音山に家を建てる計画を進め、用水を引く工事に取りかかった途中で、新政府軍に捕らえられました。
東善寺は「権田村での最後の64日間」というページで、『小栗日記』の現代語訳・意訳(村上泰賢住職による)と、その後の経過を補った記述を公開しています。
日記は閏4月2日の条で途切れ、捕縛と斬首は寺の補足です。本記事は日記の原文を確認していないため、この紹介ページと高崎市の資料から日付を並べます。
- 慶応4年1月15日(1868年2月8日)|勘定奉行などの役を解かれる(御役御免)
- 1月28日(2月21日)・29日|権田村への土着を願い出て、翌日に許可が下りる(東善寺)
- 2月28日(3月21日)|江戸・駿河台の屋敷を発ち、桶川宿に泊まる。翌日は深谷宿、その翌日に高崎宿(東善寺)
- 3月1日(3月24日)|権田村に着き、東善寺に入る(高崎市・東善寺)
- 3月4日(3月27日)|軍用金を狙ったと寺の注記にある一団が村に押し寄せ、家臣と村人で退ける(東善寺)
- 3月6日〜|観音山の居宅の用地を見回り、用水路の工事を進める(東善寺)
- 閏4月1日(5月22日)|高崎・安中・吉井の三藩の役人が権田村へ。大砲などを引き渡す(東善寺)
- 閏4月5日(5月26日)|捕縛(高崎市・東善寺)
- 閏4月6日(5月27日)|水沼河原で斬首(高崎市・東善寺)
参考:権田村での最後の64日間|東善寺
参考:本市ゆかりの幕臣・小栗上野介|デジタル広報高崎
高崎市は、権田村で過ごした期間を「65日という短い期間」と書きます。東善寺は略歴で処刑を到着の「65日後」とし、日記の紹介ページは「最後の64日間」と題しています。
到着した3月24日から斬首の5月27日までは、経過日数で64日、両日を含めると65日です。どちらの数え方を採ったのかは各資料に書かれていないため、本記事は「およそ2か月」とします。
御役御免のあと土着を願い出て許可を得た、という流れは、寺の紹介ページで日付まで追えます。事典は「上州に隠退」と短く記します。処刑に至る経緯は、別の記事で扱いました。
観音山の計画は、家だけではありませんでした。高崎市は、小栗が田畑と用水路を開発し、「小高用水」は現在も小高地区を潤していると書いています。高崎市の文化財情報は、邸宅は完成に至らず、屋敷跡に礎石が残ると記します。
捕縛から斬首までの経緯と、取り調べの有無をめぐる資料の違いは、処刑の記事で史料から追っています。
生涯の全体像は、人物の記事にあります。

3月6日から観音山を見回り、用水の工事を始めています。江戸を離れてすぐに、土地を開く仕事に取りかかったのですね

左様。権田に着いてからは、観音山に家を建てる段取りと、小高へ水を引く普請に日を費やしました。測って、道筋を決め、手付けの金を渡す。それだけのことでございます。
横須賀の製鉄所の普請に関わった身には、山里の用水も同じ道理に見えました。水と道が通れば、人は暮らせる。
家が建つ前にどうなったかは、後の世の帳面に書いてあるとおりでございましょう。私からは申しませぬ。
小栗上野介の墓はどこにある?供養墓・本墓・碑を一覧で確認
この章で確かめたことです。小栗父子主従の墓は東善寺の境内にあり、明治初年に権田の村人が建てた供養墓と、その上の寺山にある本墓の2つに分かれます。処刑地の水沼河原には、昭和7年(1932年)に建てられた碑が立っています。
墓と碑と屋敷跡を、場所と指定の有無を添えて表にします。
| 名称 | 場所 | 建立・指定 |
|---|---|---|
| 父子主従の供養墓 | 東善寺の境内 | 明治初年に権田の村人が建立。正面に父子の墓、左右に家臣・家族の墓(東善寺・高崎観光協会) |
| 本墓 | 供養墓から寺山を2〜3分登った所 | 遺体と、館林から運ばれた首級が葬られている(東善寺) |
| 小栗又一忠道の墓 | 高崎市下斎田町335 | 養嗣子・又一の墓。東善寺の供養墓とは別に、高崎市観光サイトが所在地を示す |
| 顕彰慰霊碑 | 高崎市倉渕町水沼の烏川河原(終焉の地) | 昭和7年(1932年)に地元有志が建立。碑文「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」、書は蜷川新。終焉の地は高崎市指定史跡(1982年4月1日) |
| 観音山小栗邸跡 | 高崎市倉渕町権田 | 礎石が残る。高崎市指定史跡(1982年4月1日) |
参考:小栗上野介忠順の墓|高崎市文化財情報
参考:小栗上野介忠順終焉の地|高崎市文化財情報
参考:小栗上野介の関連史跡|高崎市観光サイト
参考:小栗上野介父子主従の墓・小栗椿|東善寺
高崎市の文化財情報は、墓をこう書いています。
市内倉渕町権田の東善寺境内に小栗上野介父子の墓があります。
出典:高崎市文化財情報「小栗上野介忠順の墓」
供養墓と本墓を分けておらず、境内の墓が「小栗上野介忠順の墓」として、1953年8月25日に群馬県の史跡に指定されています。
供養墓と本墓が分かれているのは、首級(斬られた首)の行方によります。東善寺と館林市によれば、首は斬首のあと高崎へ、翌日に館林の総督府へ送られ、首実検のあと法輪寺の墓地に埋められました。
明治2年(1869年)の春、権田村の中島三左衛門らがそれを掘り出し、東善寺で遺体とともに葬ったと東善寺は伝えています。村人はこれを「お首級迎え」と呼んだ、と同じページにあります。
参考:お殿様のお首級迎え|東善寺
参考:小栗上野介忠順と館林|館林市
首と胴を一緒に葬るために村人が館林まで出向いた、と寺は本墓の由来として書いています。時期の書き方は、館林市が「一周忌にあたる夜」、東善寺が「明治2年の春」で、細かさが違います。
境内には、水沼河原で小栗とともに斬られた3人、高崎で又一とともに斬られた3人とされる家臣のほか、家族の墓も並びます。墓の総数は資料で数え方が違うため、本記事は書きません。
水沼河原の碑には、こう刻まれています。
偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる
出典:東善寺「顕彰慰霊碑」
この「罪なくして」について、東善寺は、建碑の届け出のときに高崎警察署長が異議を唱えたと伝えています。処刑から60年以上たっても、石に刻むのは簡単ではなかった、という話です。
参考:顕彰慰霊碑|東善寺

村の人たちが館林まで行って首を掘り出し、権田に運んで胴と一緒に葬った、と寺は伝えています。あなたは見届けていない話ですが、聞いてどう思いますか

村の者がそこまでしたと聞けば、申す言葉がございませぬ。ここからは創作としての物言いと思われよ。
権田の者とは、水路の普請で同じ土を掘った仲でございました。その手で墓を掘ってくれたのなら、それで十分でございます。
碑の文言をめぐって役人が何を申したかは、後の世の揉めごと。私は、首と胴が一つ所にあれば、それでよいと存ずる。
東善寺に残る遺品と伝承 ネジ・駕籠・東郷の書・小栗椿
この章で確かめたことです。東善寺には、小栗が渡米から持ち帰ったネジ、斬首の日に小栗を運んだと伝わる駕籠、東郷平八郎の書額などが残り、境内の「小栗公遺品館」と本堂・庫裡で見ることができます。
寺の公式サイトと、群馬県の観光サイト「心にググっと観光ぐんま」のライター記事(2026年7月23日)で確認できたものを並べます。
- ネジ|万延元年(1860年)の遣米使節で持ち帰ったとされる。「床で拾った1本」という語られ方を、寺は否定している
- 捨て駕篭|斬首のあと河原に捨てられた駕籠と寺は伝える。遺品館の中心的な展示(観光ぐんま)
- 槍・鉢割・日本刀|遺品館に保管(観光ぐんま)
- 東郷平八郎の書額「仁義禮智信」|明治45年(1912年)に東郷が小栗の遺族に贈ったと寺は伝える。1997年に子孫の小栗忠人氏が寺に寄進し、本堂に掲げられている
- 築地ホテル館とポーハタン号の模型、前住職の天井画|本堂(観光ぐんま)
- 小栗椿|供養墓の脇に咲く黒椿。2026年は3月27日に開花(寺の花だより)
参考:勝者によって捻じ曲げられた歴史 小栗上野介忠順【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】|心にググっと観光ぐんま
参考:武士は拾わない ー拾ったネジではないー|東善寺
参考:東郷平八郎と小栗家|東善寺
ネジは、この寺でいちばん知られた遺品です。「工場の床に落ちていた1本を拾って持ち帰った」と語られることがありますが、所蔵する東善寺自身がその語られ方を否定しています。経緯は人物の記事で書きました。
東郷平八郎の書は、款記に「壬子夏為小栗又一君 東郷書」とあり、壬子は明治45年にあたります。この又一は国子と貞雄の子(忠順の孫)で、1868年に斬られた養嗣子・又一忠道とは別人です。
東郷が述べたという謝辞の文言には、寺も出典を示していません。書が残っていることと、言葉の文言は分けて読む必要があります。
小栗椿には、寺に伝わる由来があります。江戸から倉賀野河岸へ運ばれた引越荷物のなかに鉢植えの椿があり、引き取り手がなく競売にかけられました。
それを下斉田村(現・高崎市下斎田町)の名主・田口十七蔵が買い、村人が墓を建てたときに墓のそばへ植えた、と東善寺は書いています。
百数十年を経た今も、春になると墓の脇で黒みを帯びた八重の花が咲く、と寺の花だよりにあります。
なお、東善寺は埋蔵金がらみの電話を一切断る、とトップページに明記しています。埋蔵金の話の根拠は、別の記事で確かめています。

ワシントンの海軍造船所で手に入れたネジが、寺に残っています。あなたは土産として何本も持ち帰ったと寺は書いていますが、1本を拾ったという話も広まりました

寺がそう説明しておるのなら、武士の作法としては、そのほうが道理にかなうと存ずる。拾った物を土産にする者はおりますまい。
あのネジは、鉄を削って同じ形の物を幾らでも作れる、という西洋の工場の証でございました。私はその道理を日本に持ち込みたいと思うておった。それだけの話にて候。
その一本が、いまの世まで寺に残っておるとは。配った土産のなかで、いちばん長く働いたネジでございましょうな。
小栗上野介記念館はいつ完成する?報道と寺の案内で確かめる
この章で確かめたことです。東善寺に隣接する小栗上野介記念館は、2026年12月の完成を目標に建設中で、2026年6月11日に地鎮式が行われました。
2026年12月の開館を目指すとの報道はありますが、具体的な開館日(月日)は、2026年10月14日時点で今回確認した資料では確認できませんでした。
報道4件と寺のサイトで確認できたことを、出典を添えて表にします。
| 項目 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 名称 | 小栗上野介記念館(2026年2月の上毛新聞は「(仮称)」。4月28日の上毛新聞・日経と5月の東京新聞は仮称なし) | 上毛新聞・日経・東京新聞 |
| 場所 | 東善寺に隣接。寺が購入した国道406号沿いの土地 | 東京新聞・日経・東善寺 |
| 建設の事業主体 | 一般社団法人小栗上野介顕彰会(報道) | 各紙 |
| 土地・資金・運営 | 宗教法人東善寺が購入した土地に、住職の私財と募金で建て、完成後は寺が運営する計画(寺の建設趣意ページ) | 東善寺 |
| 完成目標 | 2026年12月(日経と上毛新聞4月28日は「開館」、東京新聞は「完成」と書く) | 上毛新聞(2月12日)・秋田魁新報(4月1日、共同)・日経(4月28日)・東京新聞(5月21日) |
| 費用 | 高崎市の補助1億1千万円。総事業費は上毛新聞(2月)が約1億5000万円、東京新聞(5月)が約1億4千万円 | 各紙 |
| 規模 | 2階建て、1階が鉄筋コンクリート造、2階が木造。延べ約213平方メートル。しっくいとなまこ壁をイメージした蔵造り風。見学スペースに倉渕産のヒノキ・スギ | 日経・東京新聞 |
| 展示予定 | 小栗を河原へ運んだと伝わる駕籠や拳銃ケースなど遺品約50点と、パネルやネジなど資料約400点 | 上毛新聞(2月15日)・東京新聞 |
| 館長 | 村上泰賢住職が就任予定 | 東京新聞 |
| 工事の経過 | 6月11日地鎮式、6月16日現場工事開始、8月21日に1階のコンクリート打設、9月に2階の建て方、10月は屋根となまこ壁の工事中 | 東善寺 |
参考:小栗上野介の「記念館」 群馬・高崎市で12月オープン目指す 2027年大河ドラマ前に|上毛新聞
参考:群馬・高崎に小栗上野介記念館 地元顕彰会が12月開館、蔵造り風|日本経済新聞
参考:小栗上野介の功績を後世へ 27年大河「逆賊の幕臣」主役 高崎で記念館や史跡整備進む|東京新聞
参考:小栗上野介記念館建設工事|東善寺
記念館には、東善寺と小栗上野介顕彰会の両方が関わっています。報道は建設の事業主体を顕彰会としています。
寺の建設趣意ページには、寺が土地を購入し、住職の私財と募金で建て、完成後は寺が運営する計画と書かれています。建設の事業主体と、土地の所有・資金・完成後の運営は別の役割なので、二つの説明は食い違うものではありません。
共同通信の記事(秋田魁新報、4月1日)は、建設費をこう書いています。
顕彰会理事を務める村上泰賢東善寺住職の自己資金のほか、寄付金や市からの補助1億1千万円を充てる
出典:秋田魁新報「『逆賊の幕臣』記念館建設 27年大河の小栗忠順、群馬」(共同通信)
住職は顕彰会の理事も務めています。
総事業費の2つの数字(約1億5000万円と約1億4千万円)は、記事の時期が違います。差の理由を書いた資料は今回確認できていないため、本記事は両方を帰属つきで書くにとどめます。
寺のサイトは、建物の特徴として、2階が張り出す「せがい造り」、なまこ壁、屋根の「越屋根」の3つを挙げています。
ステンドグラス作家のヨージウチヤマ氏が、遣米使節の造船所見学・横須賀造船所・ヴェルニー像の3面を制作中、とも書いています。
参考:新着情報2026|東善寺
高崎市の側では、2025年4月18日に「高崎市小栗上野介プロジェクト推進協議会」の発足が発表され、4月30日に第1回の会議が開かれました。
委員には村上住職と顕彰会の市川平治会長が入っています。史跡を巡る観光ルートや土産品の開発を検討する、と市のプレスリリースにあります。
参考:高崎市小栗上野介プロジェクト推進協議会の発足について(プレスリリース)|高崎市
記念館の建設は、2027年の大河ドラマに向けた動きの一つです。ドラマの配役と、史実で確かめられる関係は、相関図の記事で整理しています。

あなたの名前を掲げた記念館が、寺の隣に建てられています。あなたが建てようとしていたのは、観音山の家と横須賀の製鉄所でした

私の名を掲げる館が、寺の隣に建てられておると聞く。誰が建てておるのかは、そなたらの世の帳面に任せましょう。
私が建てたかったのは、仰せのとおり、横須賀の製鉄所と観音山の家でございました。一つは国のため、一つは家の者のため。どちらも、建ち上がるのを見届けることはかないませなんだ。
館に何を並べるかは、そなたらが決めればよい。ただ、ネジと駕籠を同じ部屋に置くなら、ネジのほうを先に見てもらいたいものでございます。
東善寺の訪ね方 拝観料・アクセス・小栗まつり(2026年10月時点)
この章で確かめたことです。墓参だけなら無料、遺品館と本堂の展示を見るなら大人200円で、JR高崎駅からは室田で乗り換えるバスで向かいます。
高崎駅から権田への直通バスはなく、土日・祝日は平日と運行条件が異なります。
寺の公式サイト「東善寺のあれこれ」の案内を、2026年10月14日時点でまとめます。訪ねる前に、最新の案内を寺のサイトで確かめてください。
- 拝観時間|8:00〜17:00(受付は16:30まで)
- 拝観料|墓参だけなら無料。遺品館・庫裡・本堂の展示は大人200円・高校生100円・中学生以下無料
- 講話|住職の小栗講話は予約制。参拝と見学30分+講話1時間30分で、基本料金7,000円(1〜10人)
- 御朱印|あり。御朱印帳を忘れた人には書き置きで対応。観光スタンプや御城印との同時押印は断っている
- バス|JR高崎駅西口の3番乗り場から群馬バス「室田行き」、室田営業所で乗り換え。権田行きの群馬バスか、高崎市のぐるりん倉渕線(系統番号26「権田車庫行き」、片道300円)に乗り、「権田寺前」下車
- 新幹線|北陸新幹線「安中榛名駅」からタクシー約20分(駅からのバスはない)
- 車|関越道の前橋IC・高崎ICから国道406号で約50分。駐車場は第1・第2(大型バス3〜4台)・東(4〜5台)・西(乗用車30台)
- 注意|寺の周辺にコンビニ・飲食店はない。土日・祝日は平日と運行条件が異なる
参考:東善寺のあれこれ|東善寺
所要時間は、利用する便と室田営業所での待ち時間によって変わります。寺の接続表(2024年3月改正)には、高崎駅8:35発→室田9:17着→9:28発→権田寺前9:58着(83分)の例があります。
高崎市のぐるりん倉渕線の時刻表(2025年4月1日改正)にも、同じ9:28発・9:58着の便があります。出発前に、両区間の最新の時刻表を確かめてください。
参考:バスでお参りする東善寺|東善寺
参考:倉渕線 系統番号26 時刻表|高崎市
寺の約3キロ下流には、直売所と食堂のある「道の駅くらぶち小栗の里」があります。寺のライブカメラの案内にも「東善寺はその上流約3キロ」とあります。
毎年5月下旬には、一般社団法人小栗上野介顕彰会が「小栗まつり」を開いています。2026年は5月24日で、寺の案内では「非命159回忌」としています。
午前に式典と講演、午後1時から東善寺で墓前の献香、そのあと新作能「小栗」の上演があった、と寺の新着情報にあります。
2025年は5月25日で、会場は倉渕小学校と東善寺ほか、と高崎市の広報にあります。2027年の日程は、寺と顕彰会の案内を待つことになります。
参考:幕臣・小栗忠順の偉業に思いはせ 大河ドラマ主人公、群馬で祭り|熊本日日新聞(共同通信)
小栗の妻・道子が権田村を離れて会津へ向かった道筋も、この地域が舞台です。

高崎駅から権田まで、いまは室田でバスを乗り継いで、寺の接続表の例では1時間20分あまりです。あなたは江戸から何日かけて着きましたか

駿河台を発って、桶川、深谷、高崎と三夜を宿に過ごし、四日目に権田の寺へ着きました。荷は先に倉賀野の河岸へ送ってございます。
高崎から権田までは、烏川に沿って山へ入る道。あの道を歩いた者でなければ、里の遠さは分かりますまい。
いまどきは、鉄の車で一時間あまりと聞く。それでも乗り換えが要るというなら、山里は山里のままでございますな。
東善寺と小栗忠順の年表(和暦・西暦)
ここまでの出来事を、和暦と西暦を並べた年表にまとめます。年齢は載せません。慶応4年の日付は、人物の記事と同じ換算です。
| 和暦 | 西暦 | 出来事 |
|---|---|---|
| 寛永10年 | 1633年 | 東善寺の開創(東善寺) |
| 宝永元年 | 1704年 | 権田村が小栗家の知行地になる(東善寺) |
| 文政10年6月23日 | 1827年7月16日 | 小栗忠順、江戸・神田駿河台に生まれる |
| 慶応4年1月15日 | 1868年2月8日 | 御役御免 |
| 慶応4年1月28日 | 1868年2月21日 | 権田村への土着を願い出る(東善寺) |
| 慶応4年2月28日 | 1868年3月21日 | 江戸・駿河台を出立(東善寺) |
| 慶応4年3月1日 | 1868年3月24日 | 権田村に着き、東善寺に仮住まい |
| 慶応4年3月4日 | 1868年3月27日 | 押し寄せた一団を退ける(東善寺) |
| 慶応4年閏4月1日 | 1868年5月22日 | 三藩の役人が権田村へ |
| 慶応4年閏4月5日 | 1868年5月26日 | 捕縛 |
| 慶応4年閏4月6日 | 1868年5月27日 | 水沼河原で斬首 |
| 慶応4年閏4月7日 | 1868年5月28日 | 又一忠道が高崎で斬首 |
| 明治2年春 | 1869年 | 首級が館林から権田へ運ばれる(東善寺・館林市) |
| 明治初年 | ― | 権田の村人が供養墓を建てる |
| 昭和7年 | 1932年 | 水沼河原に顕彰慰霊碑が建つ |
| 昭和28年8月25日 | 1953年 | 墓が群馬県指定史跡になる |
| 昭和57年4月1日 | 1982年 | 終焉の地と観音山小栗邸跡が高崎市指定史跡になる |
| 令和7年4月18日 | 2025年 | 高崎市が推進協議会の発足を発表 |
| 令和8年6月11日 | 2026年 | 記念館の地鎮式 |
| 令和8年12月 | 2026年 | 記念館の完成目標(報道) |
寺の開創から小栗が身を寄せるまでに、235年あります。1704年に知行地になってからでも164年です。小栗がこの寺にいたのは、そのうちのおよそ2か月でした。
慶応4年の換算は、人物の記事と処刑の記事で使った日付に合わせました。1月28日と2月28日の西暦は、東善寺の日記のページが併記する日付によります。
小栗の師である安積艮斎の記事では、小栗が江戸で何を学んだかを扱っています。

年表の最初は1633年、最後は2026年です。あなたがこの寺にいたおよそ2か月は、その真ん中あたりの、ほんの一部です

寺は私の生まれる200年ほど前からあり、私が去ったあとも続いておる。六十四日は、寺にとっては短い春でございましょう。
ただ、その春に私が手を付けた水路は、いまの世でもまだ田を潤しておると聞く。家は建たず、水は残った。
年表の長さより、水の長さのほうが、私には得心のいく話でございます。
よくある質問(FAQ)
東善寺の読み方は?
「とうぜんじ」と読みます。群馬県高崎市倉渕町権田169にある曹洞宗の寺で、山号は諏訪山です。同じ名前の寺が山口県周南市や千葉県富津市などにもあるため、検索では「高崎」や「小栗上野介」を添えると確実です。
東善寺はどこにありますか?
群馬県高崎市倉渕町権田169です。榛名山の西麓、国道406号沿いにあります。JR高崎駅から室田で乗り換えるバスで向かい、車なら関越道の前橋IC・高崎ICから約50分です。
東善寺の宗派は何ですか?
曹洞宗です。寺の案内によれば、寛永10年(1633年)の開創で、開山は円室存察、開基は洞庵首座です。宝永元年(1704年)に権田村が小栗家の知行地になってから縁が始まり、小栗家5代の政信が中興開基になっています。
小栗上野介の墓はどこにありますか?
東善寺の境内にあります。明治初年に権田の村人が建てた供養墓と、そこから寺山を2〜3分登った所にある本墓の2つがあり、境内の墓は群馬県指定史跡(1953年8月25日指定)です。養嗣子・又一の墓は高崎市下斎田町にもあります。
東善寺の拝観料はいくらですか?
墓参だけなら無料です。遺品館・庫裡・本堂の展示を見る場合は大人200円・高校生100円・中学生以下無料で、拝観時間は8時から17時(受付16時30分まで)です。2026年10月14日時点の寺の案内によります。
東善寺へのアクセスは?高崎駅からバスで行けますか?
行けますが直通はありません。群馬バス「室田行き」で室田営業所へ行き、権田行きの群馬バスかぐるりん倉渕線に乗り換えて「権田寺前」で降ります。寺の接続表の例では83分です。土日・祝日は条件が異なるため、両区間の時刻表を確かめてください。
小栗上野介記念館はいつ完成しますか?
2026年12月の完成・開館が目標です(上毛新聞・日経・東京新聞・共同通信の報道)。6月11日に地鎮式があり、10月時点で屋根となまこ壁の工事中です。具体的な開館日(月日)は、10月14日時点で確認できていません。
小栗上野介記念館は誰が建てているのですか?
報道では、建設の事業主体は一般社団法人小栗上野介顕彰会で、高崎市が1億1千万円を補助しています。東善寺の建設趣意ページには、寺が土地を購入し、住職の私財と募金で建て、完成後は寺が運営する計画と書かれています。
小栗まつりはいつですか?
毎年5月下旬です。2026年は5月24日、2025年は5月25日に開かれました。主催は小栗上野介顕彰会で、2026年は式典と講演のあと、午後に東善寺で墓前の献香がありました。2027年の日程は寺の案内をご確認ください。
東善寺で御朱印はもらえますか?
もらえます。寺の案内では、御朱印帳を忘れた人には書き置きで対応しています。観光スタンプや御城印との同時押印は断っている、とも書かれています。
東善寺に徳川埋蔵金の話を聞きに行けますか?
寺は埋蔵金がらみの電話を一切断る、とトップページに明記しています。小栗が埋蔵金を隠したとする話の根拠は、別の記事で検証しています。
インタビュー後記 寺の名前だけでは行き着けない理由
冒頭で、「東善寺」と打つと別の寺が先に出てくる、と書きました。調べ終えてみると、それは高崎の東善寺の知名度の問題というより、同じ名前の寺が各地にあるという、それだけのことでした。
代わりに分かったのは、この寺の情報が、寺の公式サイトのなかに大量にあって、ページごとに散らばっていることです。開創の年、小栗が過ごした日々、首級の経緯、記念館の工事、バスの乗り換えまで、すべて寺のページに書いてありました。
本記事がしたのは、それを高崎市の文化財情報と新聞記事で裏づけ、1本に並べ直すことです。資料が足りないのではなく、資料が多すぎて行き着けない。それが、この寺について調べたときの正直な感想です。
記念館については、完成目標と工事の経過までは確かめられましたが、具体的な開館日(月日)と開館時間は、2026年10月14日時点では分かりません。開館したら、この記事に書き足します。
寺のサイトの拝観案内には、「お墓を『見る』のではなく『お参り』してください」という一文があります。石の数や指定の年を並べてきた記事の最後に、その言葉を置いておきます。
参考資料
- 東善寺「東善寺のあれこれ」※曹洞宗 諏訪山、本尊、寛永10年開創、開山・開基・中興開基、「宝永元年(1704)に権田村が小栗家の知行地となった」、寺紋「丸に立波」、拝観時間・拝観料・講話料、御朱印、バス・新幹線・車のアクセス、ぐるりんの運賃300円、駐車場、コンビニ・飲食店がないこと、道の駅から上流約3キロの根拠
- 東善寺「トップページ」※記念館工事が2026年6月から進んでいること、埋蔵金に関する電話を受け付けていないことの根拠
- 東善寺「小栗上野介忠順」※慶応4年3月の土着、東善寺を仮住まいとしたこと、65日後、家臣3名とともに斬首、又一が翌7日に斬首されたことの根拠
- 東善寺「権田村での最後の64日間」※『小栗日記』の現代語訳・意訳が村上泰賢住職によること、日記が閏4月2日の条で途切れること、1月28日の願書と29日の許可、2月28日の出立と桶川・高崎の宿泊、3月1日の到着、3月4日の一団、3月6日からの観音山の見回りと用水の普請、閏4月1日の三藩の役人、閏4月5日捕縛・6日斬首の根拠
- 東善寺「バスでお参りする東善寺」※室田営業所での乗り換え、高崎駅8:35発→室田9:17着→9:28発→権田寺前9:58着の接続例、停留所名「権田寺前」の根拠。2024年3月17日改正
- 高崎市「倉渕線 系統番号26 時刻表」(令和7年4月1日改正)※系統番号26「権田車庫行き」、停留所名「権田寺前」、室田営業所9:28発・権田寺前9:58着の根拠
- 東善寺「小栗上野介父子主従の墓・小栗椿」※供養墓が明治初年に権田の村人の建立であること、本墓が2〜3分登った所にあること、小栗椿の由来(倉賀野河岸・競売・田口十七蔵)、2026年3月27日の開花の根拠
- 東善寺「お殿様のお首級迎え」※首級が高崎から館林へ送られ、首実検のあと法輪寺に埋められたこと、明治2年春に中島三左衛門らが掘り出して本墓に葬ったこと、「お首級迎え」の呼び名の根拠
- 東善寺「顕彰慰霊碑」※昭和7年の建立、碑文、書が蜷川新であること、高崎警察署長の異議の根拠
- 東善寺「小栗上野介記念館を建設したい」※宗教法人東善寺が購入した国道406号沿いの土地に住職の私財と募金で建設し完成後は寺が運営すること、募金の経緯の根拠
- 東善寺「小栗上野介記念館建設工事」※6月11日の地鎮式、8月21日のコンクリート打設、9月の建て方、10月の屋根・なまこ壁工事の根拠
- 東善寺「新着情報2026」※小栗まつり2026(5月24日、非命159回忌、献香13時、新作能「小栗」)、6月16日の工事開始、せがい造り・なまこ壁・越屋根、ステンドグラス3面の根拠
- 東善寺「武士は拾わない ー拾ったネジではないー」※「床に落ちていた1本を拾った」という語られ方を寺が否定していることの根拠
- 東善寺「東郷平八郎と小栗家」※書額「仁義禮智信」と款記「壬子夏為小栗又一君 東郷書」、贈られた相手が小栗貞雄と孫の又一であること、1997年に子孫の小栗忠人氏が寄進したこと、謝辞の文言に典拠が示されていないことの根拠
- 館林市「小栗上野介忠順と館林」※首級が館林へ送られて首実検を受けたこと、泰安寺から法輪寺への埋葬、「一周忌にあたる夜」の掘り出しの根拠
- 国立国会図書館デジタルコレクション『寛政重脩諸家譜』巻第四十五「小栗」※小栗の項が載せる家紋が「丸に蔦」「三葵」「丸に長轡三葵」であることの根拠
- 高崎市「小栗上野介忠順の墓」(高崎市文化財情報)※群馬県指定史跡、昭和28年8月25日指定、東善寺境内に父子の墓があることの根拠
- 高崎市「小栗上野介忠順終焉の地」(高崎市文化財情報)※高崎市指定史跡、昭和57年4月1日指定、閏4月5日捕縛・翌日水沼川原で処刑、昭和7年に地元有志が碑を建立したことの根拠
- 高崎市「観音山小栗邸跡」(高崎市文化財情報)※高崎市指定史跡、昭和57年4月1日指定、東善寺を仮の住まいとして観音山の開発を進めたこと、邸宅が完成に至らず礎石が残ること、用水路が現在も使われていることの根拠
- 高崎市「小栗上野介の関連史跡」(観光サイト)※境内の「小栗公遺品館」、顕彰慰霊碑の碑文、観音山小栗邸跡の礎石と用水路、小栗又一源忠道の墓(高崎市下斎田町335)の根拠
- 高崎市「本市ゆかりの幕臣・小栗上野介」(デジタル広報高崎)※「65日という短い期間」、3月の到着と東善寺での仮住まい、小高用水、小栗まつり2025(5月25日、倉渕小学校・東善寺ほか)、推進協議会の初会合の根拠
- 高崎市「高崎市小栗上野介プロジェクト推進協議会の発足について」(プレスリリース、令和7年4月18日)※協議会の名称と目的、委員(村上泰賢住職・市川平治顕彰会会長ほか)、4月30日の第1回会議、観光ルートや土産品の検討の根拠
- 高崎観光協会「東善寺(小栗上野介)」※境内の墓が明治初年に権田の村人の建立であること、墓参のみ無料、年1度の小栗まつりの根拠
- 心にググっと観光ぐんま「勝者によって捻じ曲げられた歴史 小栗上野介忠順【ぐんま観光県民ライター(ぐん記者)】」(2026年7月23日)※遺品館の捨て駕篭・槍・鉢割・日本刀、展示室のネジ、本堂の天井画・築地ホテル館とポーハタン号の模型・東郷の書額の根拠
- 心にググっと観光ぐんま「群馬ゆかりの幕臣 小栗上野介」※水沼で斬首された家臣3名と高崎城で斬首された家臣3名の墓、顕彰慰霊碑、道の駅くらぶち小栗の里の根拠
- コトバンク「権田村」(日本歴史地名大系)※榛名山西麓、群馬郡、寛文郷帳で幕府領、田方105石余・畑方1024石余の根拠
- コトバンク「小栗忠順」(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・デジタル版 日本人名大辞典+Plusほか)※「上州に隠退」、「知行地の上野群馬郡で新政府軍に捕らえられ処刑」、閏4月5日とする記述の根拠
- 上毛新聞「小栗上野介の『記念館』 群馬・高崎市で12月オープン目指す 2027年大河ドラマ前に」(2026年2月12日)※「小栗上野介記念館(仮称)」、一般社団法人小栗上野介顕彰会、総事業費約1億5000万円、市の補助1億1000万円、12月の完成目標の根拠。記事後半は有料
- 上毛新聞「小栗上野介記念館(群馬・高崎市)の完成予想図公表 重厚な蔵造り風の外観に 地元倉渕産木材を使用」(2026年4月28日)※蔵造り風の外観、倉渕産のヒノキ・スギ、12月開館予定の根拠。記事後半は有料
- 北関東ナビ「2027年大河ドラマ前の12月オープン目指す 高崎市に幕臣・小栗上野介の『記念館』」(上毛新聞2026年2月15日掲載)※拳銃ケースや籠など遺品約50点と資料約400点、スタッフ常駐の検討の根拠
- 日本経済新聞「群馬・高崎に小栗上野介記念館 地元顕彰会が12月開館、蔵造り風」(2026年4月28日)※東善寺前、2階建て、1階鉄筋コンクリート造・2階木造、延べ約213平方メートル、市の補助1億1000万円、2026年12月開館の根拠
- 東京新聞「小栗上野介の功績を後世へ 27年大河『逆賊の幕臣』主役 高崎で記念館や史跡整備進む」(2026年5月21日)※東善寺に隣接、2026年12月完成予定、総事業費約1億4千万円、市の補助1億1千万円、館長に村上住職、ネジ・かご・パネル・動画の展示の根拠
- 秋田魁新報「『逆賊の幕臣』記念館建設 27年大河の小栗忠順、群馬」(共同通信、2026年4月1日)※一般社団法人小栗上野介顕彰会、「村上泰賢東善寺住職の自己資金のほか、寄付金や市からの補助1億1千万円」、12月の完成目標、収蔵品約400点の根拠
- 熊本日日新聞「幕臣・小栗忠順の偉業に思いはせ 大河ドラマ主人公、群馬で祭り」(共同通信、2026年5月24日)※小栗まつり2026の開催日、主催が一般社団法人小栗上野介顕彰会であること、墓参と講演会の根拠










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