幕末の人物の表を作っていて、没年の列を足したところで手が止まりました。
坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰。維新の顔として真っ先に名前が挙がる人たちが、明治という時代を1日も生きていないのです。
知りたかったのは、誰がどの陣営にいて、明治まで生き延びたのか、新政府で何になったのかでした。それを1枚ずつの表で見たくて、この記事を作りました。
この記事の結論
明治維新の主な人物は、幕府・薩摩・長州・土佐・新選組・朝廷、それに肥前などの陣営に分かれます。この記事では47人を表にしました。
47人のうち14人は明治への改元(1868年10月23日)の前に亡くなり、24人が中央政府の主要官職に就きました。維新の三傑と呼ばれるのは、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の3人です。
47人は筆者が選んだ人数で、事典が定めた数ではありません。幕府の側からも、明治政府へ入った人がいます。
- 47人
この記事で一覧にした人物 - 14人
明治への改元前に死去 - 24人
中央の主要官職に就いた人
この記事では、陣営ごとの表で生没年・幕末の働き・明治での立場を確かめ、そのあと明治政府の顔ぶれと、47人を数えて分かったことをまとめます。
陣営ごとの答え役として、勝海舟AI(勝海舟をモデルにしたAI)のほか、小栗忠順・西郷隆盛・高杉晋作・坂本龍馬・土方歳三・岩倉具視・伊藤博文のAIに答えてもらいます。
※以下のインタビュー部分は、公開されている史料をもとに各人物の人物像を再現した創作です。実際の発言ではありません。各AIは本人の没年までのことだけを知っている設定で、没後の出来事は筆者が伝えます。
出典の確かめ方と、公開前に行っているチェックは編集方針にまとめています。

勝先生、人物一覧を作ってみると、幕府側から明治政府へ移った人もいるのですね。

人を表に押し込むとは、おめえさんも役人向きだね。
移った者がいりゃ、坂本や高杉のように、明治の年号を一度も書かずに終わった者もいるさ。
で、おれはどの欄だい。

幕府の欄で、しかも明治政府へ移った側です。1873年に参議兼海軍卿になっています。

そこを突かれると、福沢に叱られた話を思い出すな。
行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張。そう返しておいたよ。恥じ入る、とも書き添えたがね。
- 明治維新の人物はどの陣営にいた?47人の一覧の見方
- 幕府の人物9人 大老・将軍から明治政府へ入った幕臣まで
- 薩摩の人物7人 7人中6人が中央政府の主要官職に就いた藩
- 長州の人物8人 松下村塾の門下から総理大臣が2人
- 土佐の人物6人 龍馬の暗殺後、後藤と板垣が明治を動かす
- 新選組の人物5人 中央政府の主要官職に就いた人はいない
- 朝廷の人物5人 三条実美と岩倉具視が政府の頂点へ
- 肥前ほかの人物7人 薩長土肥の肥前と、藩の枠に入らない人たち
- 明治政府で活躍した人は誰?官職でたどる24人
- 47人を数えて分かったこと 明治を見なかった14人と15人の最期
- よくある質問(FAQ)
- インタビュー後記 表の右端が空いている人たち
- 参考資料
明治維新の人物はどの陣営にいた?47人の一覧の見方
明治維新の人物を分ける陣営は、幕府・薩摩・長州・土佐・新選組・朝廷・肥前ほかの7つです。
明治維新の人物のその後を、3問で予想してみませんか
答えの根拠は、この記事の章に書いてあります。
- 幕府の9人は? → 4人が改元前に死去、3人が明治政府へ
- 薩摩の7人は? → 島津斉彬を除く6人が中央政府の主要官職に
- 長州の8人は? → 3人が改元前に死去、5人が新政府へ。総理大臣が2人
- 土佐の6人は? → 龍馬と中岡が暗殺され、3人が新政府へ
- 新選組の5人は? → 中央政府の主要官職に就いた人はいない
- 朝廷の5人は? → 三条実美と岩倉具視が政府の頂点に
- 肥前ほかの7人は? → 5人が中央政府の主要官職に。大隈重信はのちに総理大臣
明治維新がいつからいつまでかは、事典でも幅があります。デジタル大辞泉は始まりと終わりに諸説あるとしたうえで、西南戦争(1877年)までをいうことが多いと説明しています。
この記事は、ペリー来航(1853年)のころから西南戦争のころまでに働いた人物を対象にしました。そのため、井伊直弼のように明治まで生きなかった人も表に入っています。
参考:明治維新|コトバンク
陣営は、その人の幕末の主な足場で分けています。薩摩と長州には1866年に手を結ぶまで敵どうしの時期があり、幕臣から新政府へ移った人もいるので、線は固定ではありません。
「中央政府の主要官職」は、参与・議定・参議・卿・大輔・大臣・元老院議官・大蔵大丞などを数えました。警察官・学校職員・神職は含めません。
表の年齢はすべて満年齢です。生年は西暦に換算した年で書いたので、旧暦の年末に生まれた西郷隆盛などは、事典の見出しと1年ずれて見えることがあります。
幕府の人物9人 大老・将軍から明治政府へ入った幕臣まで
幕府の9人のうち、4人は改元の前に亡くなり、3人は中央政府の主要官職に就きました。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ) | 1837〜1913年(76歳) | 15代将軍。1867年に大政奉還を上表 | 明治政府の官職には就かず。1902年に公爵 |
| 徳川家茂(とくがわ いえもち) | 1846〜1866年(20歳) | 14代将軍。和宮と婚儀。第2次長州征討の最中に大坂城で死去 | 維新前に病死 |
| 井伊直弼(いい なおすけ) | 1815〜1860年(44歳) | 大老。勅許のないまま日米修好通商条約に調印し、安政の大獄を進めた | 桜田門外の変で暗殺 |
| 阿部正弘(あべ まさひろ) | 1819〜1857年(37歳) | 老中首座。ペリー来航に対応し、日米和親条約を締結 | 維新前に病死 |
| 小栗忠順(おぐり ただまさ) | 1827〜1868年(40歳) | 勘定奉行・外国奉行。横須賀製鉄所の建設を推進 | 1868年5月、新政府軍に捕らえられ斬首 |
| 勝海舟(かつ かいしゅう) | 1823〜1899年(75歳) | 軍艦奉行。1868年に西郷隆盛と交渉し、江戸城の無血開城に貢献 | 参議兼海軍卿(1873年)。のちに枢密顧問官 |
| 榎本武揚(えのもと たけあき) | 1836〜1908年(72歳) | 海軍副総裁。箱館の五稜郭で抗戦し、1869年に降伏 | 初代逓信大臣(1885年)。農商務相・文相・外相も歴任 |
| 大久保一翁(おおくぼ いちおう) | 1818〜1888年(70歳) | 1862年に政権奉還論を唱えて免職。1868年、会計総裁・若年寄として江戸開城にあたる | 東京府知事(1872年)、元老院議官(1877年) |
| 松平容保(まつだいら かたもり) | 1836〜1893年(57歳) | 会津藩主・京都守護職。戊辰戦争で会津が降伏 | 明治政府の官職には就かず。1880年に日光東照宮宮司 |
表の右端を上から読むと、幕府の人物の分かれ方がはっきりします。
将軍と大老は明治を見ずに終わるか、官職に就かずに生きます。一方で、海軍や会計の役目を担った勝と榎本と一翁は、明治政府でも席を得ています。
榎本は、箱館で新政府軍と戦って降伏した人物です。その榎本が、1885年に発足した最初の内閣で逓信大臣になっています。

小栗さん、この9人のうち、勝海舟・榎本武揚・大久保一翁の3人が、のちに明治政府の主要な官職に就きます。

9のうち3。割合にして3分の1でございますな。
新しき政府とて、帳面を読める者と船を動かせる者がいなければ始まりませぬ。勘定には合うております。
ところで筆者どの、この9人のうち、誰の下で働きたいと思われますか。

榎本武揚です。オランダで学び、箱館で負けたあとに大臣まで務めた人の話を聞いてみたいので。

負けたあとに席が残るとは。
私の帳面には、その項目がございませなんだ。
小栗忠順の働きと最期は、こちらの記事で詳しくたどっています。
薩摩の人物7人 7人中6人が中央政府の主要官職に就いた藩
薩摩の7人のうち、改元の前に亡くなったのは島津斉彬だけで、ほかの6人は中央政府の主要官職に就きました。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 島津斉彬(しまづ なりあきら) | 1809〜1858年(49歳) | 薩摩藩主。集成館事業を興し、西郷隆盛らを登用 | 維新前に病死 |
| 島津久光(しまづ ひさみつ) | 1817〜1887年(70歳) | 藩主の父。1862年に藩兵を率いて上京し、幕政改革を実現 | 左大臣(1874年)。のちに辞官 |
| 西郷隆盛(さいごう たかもり) | 1828〜1877年(49歳) | 薩長同盟、王政復古、江戸開城に関わる | 参議(1871年)。1873年に辞職し、西南戦争の城山で最期 |
| 大久保利通(おおくぼ としみち) | 1830〜1878年(47歳) | 岩倉具視と結び、王政復古を推進 | 参議兼内務卿(1873年)。紀尾井坂で暗殺 |
| 小松帯刀(こまつ たてわき) | 1835〜1870年(34歳) | 薩摩藩家老。薩長同盟に関わり、1867年に慶喜へ大政奉還を進言 | 参与・外国官副知事(1868年)。1869年に辞官し、翌年病死 |
| 五代友厚(ごだい ともあつ) | 1836〜1885年(49歳) | 薩英戦争で捕虜に。1865年に留学生を率いて渡欧 | 参与・外国事務局判事など(1868年)。1869年に退官し、大阪の実業界へ |
| 黒田清隆(くろだ きよたか) | 1840〜1900年(59歳) | 箱館の五稜郭攻めの参謀。榎本武揚の助命に努めた | 第2代内閣総理大臣(1888年) |
7人中6人という割合は、7つの陣営のなかで最も高い数字でした。
ただ、官職に就いたあとの道は分かれています。
西郷は1873年に政府を去り、大久保は政府に残って内務卿となりました。五代は早くに官を離れ、大阪で実業の道へ進みます。小松は1870年に満34歳で病死しました。
箱館で榎本武揚の助命に努めた黒田清隆と榎本は、1880年代には同じ内閣に名を連ねます。敵味方の線は、明治に入って引き直されたのでしょう。

西郷さん、大久保さんは西南戦争の翌年、東京で暗殺されました。

そうでごわすか。一蔵どんが、そげな最期を。
おいどんと一蔵どんは、しまいには敵味方の形になりもした。そいでも、いま問われれば、あん男の働きを悪う言う気にはなれもはん。
おはんは、何のためにこん表を作りもしたか。

誰がどちら側で、どんな最期だったかを、一度に見られるようにしたかったからです。

そいなら、名より働きを読んでもらいたかでごわす。
敬天愛人。名は後からついてくるもんでごわんど。
長州の人物8人 松下村塾の門下から総理大臣が2人
長州の表には、改元の前に亡くなった松陰・高杉・久坂と、のちの総理大臣である伊藤・山県が並びます。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 吉田松陰(よしだ しょういん) | 1830〜1859年(29歳) | 松下村塾で高杉・久坂・伊藤・山県らを教えた | 安政の大獄で処刑 |
| 高杉晋作(たかすぎ しんさく) | 1839〜1867年(27歳) | 奇兵隊を結成。功山寺挙兵で藩論を転換 | 維新前に肺結核で病死 |
| 久坂玄瑞(くさか げんずい) | 1840〜1864年(24歳) | 藩論を尊攘へ導き、禁門の変を主導 | 禁門の変で負傷し、自刃 |
| 木戸孝允(きど たかよし、桂小五郎) | 1833〜1877年(43歳) | 藩論を討幕へ導き、1866年に薩長同盟を結ぶ | 参議(1870年)。五箇条の誓文の草案、廃藩置県に関わる |
| 大村益次郎(おおむら ますじろう) | 1824または1825〜1869年(44〜45歳) | 第2次長州征討と戊辰戦争で軍略を担う | 兵部大輔(1869年)。京都で襲われ、その傷がもとで死去 |
| 伊藤博文(いとう ひろぶみ) | 1841〜1909年(68歳) | 松下村塾に学び、1863年にイギリスへ密航 | 初代内閣総理大臣(1885年)。ハルビン駅で暗殺 |
| 井上馨(いのうえ かおる) | 1836〜1915年(79歳) | 1863年にイギリスへ密航し、帰国後は開国論へ | 外務大臣(1885年)。元老 |
| 山県有朋(やまがた ありとも) | 1838〜1922年(83歳) | 奇兵隊の軍監。戊辰戦争で参謀を務める | 第3代内閣総理大臣(1889年)。元老 |
8人のうち3人が改元の前に亡くなり、5人が中央政府の主要官職に就きました。
松陰と高杉と久坂は、いずれも満30歳に届かず亡くなっています。その松陰の塾に学んだ伊藤と山県が、のちに内閣を率いました。
同じ塾の名簿のなかで、改元の前に命を落とした人と、内閣を率いた人が並ぶわけです。維新の三傑の1人である木戸孝允も、長州の出身です。

高杉さんは満27歳で亡くなりました。松下村塾にいた伊藤博文さんと山県有朋さんは、のちに総理大臣になります。

俊輔が!それはおもしろい。
僕の知る俊輔は、まだ若造じゃったが。
その総理大臣というのは、将軍のようなものかね。

政府を率いる役職です。1885年に内閣ができて、その初代が伊藤さんでした。

将軍のおらん世の天下の頭を、俊輔がやるのか。
腹を抱えて笑いたいところじゃが、それがいちばんおもしろい落ちかもしれん。
土佐の人物6人 龍馬の暗殺後、後藤と板垣が明治を動かす
土佐の6人のうち、坂本龍馬と中岡慎太郎は改元の前に暗殺され、3人が中央政府の主要官職に就きました。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 山内容堂(やまうち ようどう) | 1827〜1872年(44歳) | 土佐藩主。1867年に慶喜へ大政奉還を建白 | 議定・内国事務総裁(1868年)。1869年に辞官 |
| 坂本龍馬(さかもと りょうま) | 1836〜1867年(31歳) | 亀山社中と海援隊。1866年の薩長同盟を周旋し、木戸の書簡に裏書 | 近江屋で暗殺 |
| 中岡慎太郎(なかおか しんたろう) | 1838〜1867年(29歳) | 薩長同盟を周旋。1867年に陸援隊を組織 | 近江屋で龍馬とともに襲われ、2日後に死去 |
| 後藤象二郎(ごとう しょうじろう) | 1838〜1897年(59歳) | 大政奉還の建白運動を主導 | 参議(1873年)。逓信大臣(1889年)、農商務大臣(1892年) |
| 板垣退助(いたがき たいすけ) | 1837〜1919年(82歳) | 戊辰戦争で東山道先鋒総督府の参謀を務める | 参議(1871年)。自由党総理(1881年)。内務大臣(1896年) |
| 岩崎弥太郎(いわさき やたろう) | 1835〜1885年(50歳) | 長崎の土佐商会主任。海援隊の資金や船の事務に関わる | 明治政府には入らず、三菱の原点となる事業を築いた |
土佐で目を引くのは、大政奉還の建白に関わった人たちの、その後の広がりです。
後藤は政府の大臣となり、板垣は1873年に政府を去って1874年に民撰議院設立建白書を出し、1881年に自由党の総理になりました。政府の外から政府に物を言う人が、土佐から出ています。
岩崎弥太郎は官職に就かず、九十九商会を足場に事業へ進みました。同じ藩の出身でも、明治の居場所はこれだけ違います。
龍馬の生涯を物語で追うなら、武田鉄矢さん原作、小山ゆうさん作画の漫画『お〜い!竜馬』があります。全23巻で完結している作品です。

龍馬さん、後藤象二郎さんは大臣になり、板垣退助さんは議会を開けと建白書を出して、自由党の総理になります。

ほう、象二郎が大臣で、退助は議会を開けと言うたがか。こりゃあ愉快ぜよ。
政の外から政に物を言う者が出てきた。日本が広うなった証拠じゃき。
ときに、おまんはわしの欄に何と書いちゅうが。

薩長同盟の周旋と、木戸さんの書簡への裏書です。明治の欄は、近江屋で暗殺とだけ。

裏書か。字の一つも残しておくもんじゃのう。
明治の欄が短いなら、読むもんが勝手に広げればえいぜよ。
新選組の人物5人 中央政府の主要官職に就いた人はいない
新選組の5人に、中央政府の主要官職に就いた人はいません。近藤勇と沖田総司は改元の前に亡くなり、土方歳三は箱館で戦死しました。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 近藤勇(こんどう いさみ) | 1834〜1868年(33歳) | 局長。京都守護職の下で活動し、池田屋事件に関わる | 流山で捕らえられ、板橋で斬首 |
| 土方歳三(ひじかた としぞう) | 1835〜1869年(34歳) | 副長。鳥羽・伏見ののち宇都宮・会津を転戦し、箱館へ | 箱館戦争で戦死 |
| 沖田総司(おきた そうじ) | 1842または1844〜1868年(23〜26歳) | 一番隊組長。池田屋事件で活躍 | 肺の病で病死 |
| 永倉新八(ながくら しんぱち) | 1839〜1915年(75歳) | 二番隊組長。のちに松前藩へ戻り杉村義衛と改名 | 中央政府の主要官職には就かず。剣術を教え、大正まで生きた |
| 斎藤一(さいとう はじめ) | 1844〜1915年(70〜71歳) | 三番隊組長。会津戦争に山口二郎の名で参戦 | 警視庁に勤務。のちに東京教育博物館の守衛など |
新選組は京都守護職の松平容保の下で動いた組織で、1867年には近藤が幕臣に取り立てられています。ここでは幕府の表とは分けました。
斎藤一は警視庁に勤めましたが、警察官は集計の対象に含めていないので、24人には入っていません。
土方は改元のあとも生きましたが、箱館で新政府軍と戦い続けています。7つの表のなかで、明治の欄が最も短い表です。
土方の生涯を物語で読むなら、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』があります。新選組副長を描いた代表作で、歴史の記録ではなく小説です。

土方さん、新選組の5人で中央政府の主要官職に就いた人はいません。斎藤一さんは、あなたの没後に警視庁に勤めました。

斎藤らしい。
理由は本人に聞け。永倉はどうなった。

杉村義衛と改名して剣術を教え、あなたの死から46年後の1915年まで生きました。

近藤さんと別れた男が、そこまで生きたか。
それでいい。
朝廷の人物5人 三条実美と岩倉具視が政府の頂点へ
三条実美と岩倉具視の2人が、太政大臣と右大臣として新政府の頂点に立ちました。孝明天皇は王政復古の前に亡くなっています。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 孝明天皇(こうめい てんのう) | 1831〜1867年(35歳) | 条約の勅許を拒み、攘夷を求めつつ公武合体を支持 | 維新前に病死。死因には議論がある |
| 明治天皇(めいじ てんのう) | 1852〜1912年(59歳) | 1867年に践祚。王政復古の大号令と五箇条の誓文は天皇の名で出された | 在位1867〜1912年 |
| 岩倉具視(いわくら ともみ) | 1825〜1883年(57歳) | 和宮の降嫁を推進。1867年に大久保らと王政復古を画策 | 右大臣(1871年)。岩倉使節団の特命全権大使 |
| 三条実美(さんじょう さねとみ) | 1837〜1891年(53歳) | 尊攘派公家の中心。1863年の八月十八日の政変で京都を追われる | 太政大臣(1871〜1885年)。内閣制度の発足後は内大臣 |
| 和宮(かずのみや) | 1846〜1877年(31歳) | 14代将軍家茂に降嫁。1868年に徳川家の存続を嘆願 | 官職なし。箱根で療養中に死去 |
三条実美は1863年の政変で京都を追われた人で、岩倉具視も一度は「四奸」として幽居に追い込まれています。その2人が、明治の太政官で太政大臣と右大臣を占めました。
和宮は47人のなかでただ1人の女性で、将軍の妻として徳川家の存続を嘆願しました。朝廷と幕府のどちらの表にも入れられる人ですが、皇女なので朝廷に置いています。

岩倉さん、朝廷の表は5人だけなのに、太政大臣と右大臣がこの中にいます。

その数を言う前に、そなたに一つ聞こう。
公家が2人上に座っておれば、公家が政を動かしたと読むのかの。

読みません。参議には薩長土肥の人が並んでいますから。

それでよい。席の高さと、手を動かす者とは、別の勘定じゃ。
そこまで読めるなら、表も役に立とう。
肥前ほかの人物7人 薩長土肥の肥前と、藩の枠に入らない人たち
肥前の3人はそろって新政府の参議になり、大隈重信はのちに総理大臣になりました。ほかの4人では、横井小楠と渋沢栄一が中央政府の主要官職に就いています。
| 人物 | 生没年(没時の満年齢) | 幕末の働き | 明治での立場と最期 |
|---|---|---|---|
| 大隈重信(おおくま しげのぶ) | 1838〜1922年(83歳) | 佐賀藩士。1867年に副島と脱藩上京し、大政奉還を説こうとした | 参議(1870年)。第8代内閣総理大臣(1898年) |
| 江藤新平(えとう しんぺい) | 1834〜1874年(40歳) | 佐賀藩士。江戸開城の直後に江戸鎮台判事を務める | 司法卿(1872年)、参議(1873年)。佐賀の乱に敗れ処刑 |
| 副島種臣(そえじま たねおみ) | 1828〜1905年(76歳) | 佐賀藩士。フルベッキに英学を学ぶ | 参議(1869年)、外務卿(1871年)、内務大臣(1892年) |
| 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち) | 1835〜1901年(66歳) | 中津藩士の子。幕府の使節に3度随行し、『西洋事情』を著す | 明治以降は官職に就かず |
| 佐久間象山(さくま しょうざん) | 1811〜1864年(53歳) | 松代藩士。塾で勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬らを教えた | 京都で暗殺 |
| 横井小楠(よこい しょうなん) | 1809〜1869年(59歳) | 熊本藩士。福井藩主に招かれ『国是三論』を著す | 参与(1868年)。在任中に京都で暗殺 |
| 渋沢栄一(しぶさわ えいいち) | 1840〜1931年(91歳) | 一橋家に仕官。1867年に徳川昭武に随行してパリ万博へ | 大蔵省に出仕し、大蔵大丞(1872年)。のちに実業界へ |
薩長土肥(さっちょうどひ)は、薩摩・長州・土佐・肥前の4藩を指す言葉です。日本大百科全書は、この4藩を「明治維新を推進した藩として」西南雄藩と呼ばれると説明しています。
参考:雄藩|コトバンク
福沢諭吉は、この7人のなかでは異色の立場にいます。明治以降は官職に就かず、勝海舟と榎本武揚が新政府に仕えたことを『瘠我慢の説』で問いました。
勝はその草稿を受け取り、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」と答えました。同じ答書には「実に慙愧に不堪ず」と、恥じ入る言葉も続いています。冒頭の海舟AIの台詞は、この答書から取りました。
渋沢栄一は、幕臣の側から明治政府へ移ったあと、実業界へ進みました。47人のなかで最も長く生き、満91歳で亡くなっています。
明治政府で活躍した人は誰?官職でたどる24人
47人のなかで内閣総理大臣になったのは、伊藤博文・黒田清隆・山県有朋・大隈重信の4人です。
| 役職 | 就いた人 | 時期 |
|---|---|---|
| 太政大臣 | 三条実美 | 1871〜1885年 |
| 右大臣 | 岩倉具視 | 1871年から |
| 左大臣 | 島津久光 | 1874年から |
| 参議(1869〜1885年に置かれた役職) | 大久保利通・木戸孝允・西郷隆盛・板垣退助・大隈重信・副島種臣・江藤新平・後藤象二郎・勝海舟・伊藤博文・山県有朋・黒田清隆・井上馨 | 人により異なる |
| 内閣総理大臣 | 伊藤博文(第1代)・黒田清隆(第2代)・山県有朋(第3代)・大隈重信(第8代) | 1885年から |
| 第1次伊藤内閣の大臣 | 井上馨(外務)・山県有朋(内務)・榎本武揚(逓信)・黒田清隆(農商務)・大隈重信(外務) | 1885〜1888年 |
参考:第1次伊藤内閣|首相官邸
三条実美も1889年に短い期間、総理大臣を兼任しましたが、代には数えられていません。歴代の数え方は、次の記事で詳しくまとめています。
維新の三傑の3人は、1877年5月に木戸孝允、同年9月に西郷隆盛、1878年5月に大久保利通と、およそ1年のあいだに全員が世を去りました。1885年の内閣の顔ぶれに、3人の名前はありません。
新政府は、薩長土肥の出身者だけで動いていたわけでもありません。国立国会図書館は、政権の担い手が「経験や人員が不足しており、政府は旧幕府側の人物(以下、幕臣等)を登用することで不足部分を補填しました」と説明しています。
同じ解説によると、1871年の廃藩置県で基礎が固まると、維新時に登用された人々は徐々に政府から去っていきました。榎本のように大臣まで務めた人は、その一部です。
参考:明治政府を支えた幕臣等|国立国会図書館 近代日本人の肖像

伊藤さん、維新の三傑は1877年から翌年にかけて全員亡くなります。1885年の最初の内閣を率いたのは、あなたでした。

落としどころから言えば、誰か1人がおらねば止まる形では、国は持たぬ。
いま問われれば、内閣という箱は、そのためのものじゃと答えたいところじゃ。
人は欠ける。箱のほうを残しておかねばならん。
戊辰戦争のあとの新政府の歩みを通史で追うなら、学習まんがの『日本の歴史(12)』があります。戊辰戦争から西南戦争までを1冊で扱う巻です。
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戊辰戦争と明治維新から、西南戦争で維新が終わるまで話が進みます。四民平等の宣言や廃藩置県など、戦争のあとの新政府の改革も扱う巻です。
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47人を数えて分かったこと 明治を見なかった14人と15人の最期
47人を陣営ごとに数えると、中央政府の主要官職は薩摩と長州に厚く、幕府と新選組は改元の前に亡くなった人の割合が高くなります。
| 陣営 | 人数 | 改元前に死去 | 主要官職に就いた | どちらでもない |
|---|---|---|---|---|
| 幕府 | 9人 | 4人 | 3人 | 2人(慶喜・容保) |
| 薩摩 | 7人 | 1人 | 6人 | 0人 |
| 長州 | 8人 | 3人 | 5人 | 0人 |
| 土佐 | 6人 | 2人 | 3人 | 1人(岩崎) |
| 新選組 | 5人 | 2人 | 0人 | 3人(土方・永倉・斎藤) |
| 朝廷 | 5人 | 1人 | 2人 | 2人(明治天皇・和宮) |
| 肥前ほか | 7人 | 1人 | 5人 | 1人(福沢) |
| 合計 | 47人 | 14人 | 24人 | 9人 |
人選を変えれば割合も変わる、47人の中の数字です。
改元の日は、当時の暦(旧暦)で慶応4年9月8日、いまの暦で1868年10月23日です。土方歳三は翌年まで生きたので「改元前に死去」には入らず、「どちらでもない」に数えました。
最期の形で数えると、47人のうち15人が暗殺・処刑・戦いのなかで亡くなっています。
暗殺や襲撃が8人で、井伊直弼・佐久間象山・坂本龍馬・中岡慎太郎・横井小楠・大村益次郎・大久保利通・伊藤博文です。処刑が4人で、吉田松陰・小栗忠順・近藤勇・江藤新平です。戦いのなかの死が3人で、久坂玄瑞・土方歳三・西郷隆盛です。
西郷の最期は、事典によって「自刃」とも「戦死」とも書かれています。
没年齢は、徳川家茂の満20歳から渋沢栄一の満91歳まで。同じ表の中に71年の幅があるのです。
よくある質問(FAQ)
明治維新の中心人物は誰ですか?
維新の三傑と呼ばれる西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允がよく挙げられます。ほかに、公家の岩倉具視と三条実美、土佐の坂本龍馬、幕府側で江戸開城にあたった勝海舟などがいます。
維新の三傑とは誰のことですか?
薩摩の西郷隆盛・大久保利通と、長州の木戸孝允の3人です。デジタル大辞泉は「明治維新に功績の大きかった」3人と説明しています。
薩長土肥とは何ですか?
薩摩・長州・土佐・肥前の4藩のことです。明治政府の参議などに、この4藩の出身者が多く就きました。
幕臣から明治政府に入った人はいますか?
います。この記事の47人では、勝海舟が参議兼海軍卿に、榎本武揚が初代逓信大臣に、大久保一翁が東京府知事になりました。渋沢栄一も大蔵省に出仕しています。
明治維新の人物で総理大臣になったのは誰ですか?
47人のなかでは、伊藤博文(第1代)・黒田清隆(第2代)・山県有朋(第3代)・大隈重信(第8代)の4人です。1889年に兼任した三条実美は、代に数えられていません。
坂本龍馬は明治政府で何をしましたか?
明治政府には入っていません。龍馬は1867年12月に京都の近江屋で暗殺され、明治への改元を見ていません。高杉晋作と吉田松陰も同じく改元の前に亡くなりました。
明治維新はいつからいつまでですか?
事典でも幅があります。始まりはペリー来航(1853年)か天保期、終わりは廃藩置県(1871年)、西南戦争(1877年)、憲法発布(1889年)などが挙げられます。
インタビュー後記 表の右端が空いている人たち
47人の表を作り終えて、私が長く眺めていたのは、明治の欄が「維新前に死去」で終わっている行でした。
検索で探される「明治維新の人物」の顔ぶれと、明治政府を実際に動かした顔ぶれは、同じではありません。龍馬も松陰も高杉も、後者には入らないのです。
私は、この2つを分けて読むほうが、幕末はおもしろくなると思っています。語り継がれた人と、席に座って制度を作った人。どちらが偉いかではなく、役回りが違うのでしょう。
幕府の表にいた勝と榎本が新政府で働き、福沢がそれを問い、勝が「毀誉は他人の主張」と返しながら恥じ入る言葉も添える。この一往復を読むと、陣営で人を分ける表は入り口にすぎないと感じます。
気になる人がいたら、表の名前のリンクから、その人の記事へ進んでみてください。
参考資料
- コトバンク「明治維新」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・山川 日本史小辞典ほか)※明治維新の期間に幅があることの根拠
- コトバンク「維新の三傑」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・旺文社日本史事典)※三傑の定義の根拠
- コトバンク「雄藩」(日本大百科全書)※薩長土肥と西南雄藩の説明の根拠
- コトバンク「藩閥政治」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典ほか)※薩長土肥の4藩の根拠
- コトバンク「参議」(改訂新版 世界大百科事典ほか)※参議の設置と廃止の時期の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」明治政府を支えた幕臣等 ※旧幕臣の登用とその後の根拠
- 首相官邸「第1次伊藤内閣」※閣僚の顔ぶれの根拠
- 青空文庫 勝海舟・福沢諭吉「瘠我慢の説 書簡」※「行蔵は我に存す」の答書の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」徳川慶喜 ※生没年と経歴の根拠
- コトバンク「徳川家茂」※生没年と経歴の根拠
- コトバンク「井伊直弼」※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」小栗忠順 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」勝海舟 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」榎本武揚 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」大久保一翁 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」松平容保 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」島津斉彬 ※生没年の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」島津久光 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」西郷隆盛 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」大久保利通 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」小松帯刀 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」五代友厚 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」黒田清隆 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」吉田松陰 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」高杉晋作 ※経歴の根拠
- コトバンク「久坂玄瑞」※経歴と最期の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」木戸孝允 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」大村益次郎 ※経歴と生年の異説の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」伊藤博文 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」井上馨 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」山県有朋 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」山内豊信 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」坂本龍馬 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」中岡慎太郎 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」後藤象二郎 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」板垣退助 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」岩崎弥太郎 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」近藤勇 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」土方歳三 ※経歴の根拠
- コトバンク「沖田総司」※生年が事典で割れることと最期の根拠
- コトバンク「永倉新八」※維新後の足跡の根拠
- 会津若松市「会津と新選組」※斎藤一の維新後の足跡の根拠
- コトバンク「明治天皇」※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」岩倉具視 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」三条実美 ※経歴の根拠
- コトバンク「和宮」※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」大隈重信 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」江藤新平 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」副島種臣 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」福沢諭吉 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」佐久間象山 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」横井小楠 ※経歴の根拠
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」渋沢栄一 ※経歴の根拠
- BOOK☆WALKER『日本の歴史(12)【電子特別版】 明治維新と新政府 明治時代前期』※章立ての根拠






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